連関資料 :: 文化

資料:488件

  • 朝鮮の歴史と文化
  •  2002年も残すところ数ヶ月となったころ、日本中に激震が走った。80年代に全国各地で起こった多くの失踪事件について北朝鮮が拉致した事実を公表し、生存者の一時帰国を認めた。工作員をもぐりこませ、自国の発展のために他国の無関係な人々を拉致・拘束するというのは、常軌を逸しているとしか思えない許されない行為である。帰国できた人はまだいいが、若くして亡くなった人の家族は悔やんでも悔やみきれないだろう。生存を信じて長年捜索活動を続けてきたにもかかわらず、死を知らされたときの悲しみは計り知れない。私は鹿児島県出身で、83年ごろに鹿児島の吹上浜で北朝鮮に拉致された増元るみ子さんの家族が、街頭でビラを配って情報提供を呼びかけている姿を何度か見かけたことがある。涙を流しながら道行く人々に訴えかけていた姿は、今でも忘れられない。しかしその活動が実を結ぶこともなく、北朝鮮の身勝手な行動で拉致された事実が発覚し、そのまま現地で亡くなったという残念な結果になってしまった。家族のことを思うと心が痛む。北朝鮮は日本の要求に対して生存者の永住帰国を認めるなどの妥協策をとったが、依然として日本は北朝鮮に囂々たる非難をあびせている。さらに核開発の再開や、核弾道ミサイルの危惧、人民軍の異常な訓練の報道などが、それに拍車をかけている。少し前には朝鮮半島統一の気運が高まり、オリンピックの入場行進を南北合同で行ったり、南北首脳の間に平和的対話がなされたりと、それまで謎に包まれていた北朝鮮の姿が徐々に明るみに出てきたことで、「遠くて近い国」の観念もなくなりつつあったかと思ったが、今回の事件を期に、また元に戻ってしまった。むしろ悪くなったかもしれない。今ほとんどの日本人は、北朝鮮に対して悪いイメージを持っているだろう。実際私も北朝鮮に対してマイナスイメージを持っていた。
  • レポート 国際関係学 北朝鮮 拉致問題 韓国
  • 550 販売中 2006/01/12
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  • 文化大革命とは
  •  文化大革命は失敗に終わり、中国社会が混乱に巻き込まれたことは講義で習った。おおざっぱではあるが文革はどのように始まったのか、具体的にどのような状態だったのかを調べ、文化大革命とは何だったのかを考えたい。 文革の流れ  1966年から70年代半ばにいたる約10年間、毛沢東が発動し、中国社会を歴史的な混乱に巻き込んだ動乱、権力闘争、大衆運動。これが文革である。党政府の幹部から知識人、一般庶民まで多大な犠牲者が生まれた。  1958年の大躍進運動が破産すると、党主席の毛沢東は自己批判を迫られ、その権力は棚上げされた。これを契機に劉少奇(国家主席)や小平(総書記)が実権を握った。劉、
  • レポート 政治学 中国政治 文化大革命 毛沢東
  • 550 販売中 2006/03/05
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  • 縄文の漆文化
  • はじめに  今年の6月、東京両国の江戸東京博物館にて「発掘された日本列島2001」と題し、最新の考古学速報展が開催され、考古学を志す者の一人として私もそこに足を運んだ。展示品の中で私の目を引いたのが縄文時代の漆製品だった。むろん、縄文時代から漆が利用されてきたことは知識としてあるものの、実物を見ると驚きが先に来てしまった。そして、自身の研究テーマになり得るものであると考えたのである。  そこで今回、漆関係資料に関して発掘報告書を中心にまとめ、今後の研究展開を考えてみようと思う。
  • 日本 文化 考古学 地方 縄文時代 生産 研究 調査 東京
  • 550 販売中 2009/11/24
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  • イスラーム文化―その根底にあるもの―
  • イスラーム文化とは、腫々様々に異なる文化伝統の入り乱れ、錯綜し、絡み合う多くの交差点の網の目の広がりの中で形成された複雑な内的構造をもった一つの国際文化である。イスラームの地理的広がりを見ても分かることであるが、顕著な例としては、イスラーム文化の一番重要な歴史的担い手であるアラブとイラン人の思想的差異が挙げられる。この2つの民族は、その世界観、人生観、存在感覚、思想形態において、あらゆる場合に正反対の性格をあらわす。アラブの代表するスンニー派とイラン人の代表するシーア派との隔たり、その確執は言うまでもないだろう。しかし、様々な要素を含んだイスラーム文化だが、それにもかかわらず、全世界のイスラーム教徒は『自分たちは一つの共同体だ』という自覚を持っている。そして、イスラーム文化を一個の有機的文化構造体たらしめている統一要素は、宗教としての、あるいは信仰としてのイスラームであり、さらにその根底にあって全てを統一しているのが聖典『コーラン』ただ一冊の書物である。預言者ムハンマドが神の啓示を受けて、その神の言葉が記録されることによって成立したといわれている一冊の書物。全てがこの一点から発出する、まさにイスラームの原点である。国際的文化構造体として歴史的に自己形成したイスラームがどれだけ複雑な様相を呈しようが、そのどの側面を取ったとしても、イスラームは究極的には聖典『コーラン』の自己展開なのだ
  • 歴史 宗教 文化 哲学 国際 思想 人間 言葉 イスラーム イスラム レポート 書評 社会学 文学部 社会学部 卒論 論文
  • 550 販売中 2010/01/26
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  • 文化理解
  • 『EU統合はそこに暮らす人々、ひいては世界の人々の幸福にどのような貢献を果たすと考えられるか。またそれが持つジレンマとは何か。最も基本的な目的と具体的な発現状況を要約して述べよ。』  EU統合の最も重要な目的は「不戦共同体」を作り、ヨーロッパに平和を実現することである。出発は1950年5月9日に発表されたシューマン・プランであり、そこからECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)が生まれ、そこから、ヨーロッパに不戦共同体か拡大した。ヨーロッパの歴史は長い戦争の歴史であった。そのヨーロッパにおいて恒久の平和が実現したことが、最も大きな成果である。  第二に重要なことは、ルールによる問題の解決である。強制力のある司法的な解決も用意されている。過去においては、問題や紛争を軍事的手段で解決しようとしたが、EUの中では非軍事的手段、とりわけ立法化されたルールによる解決を定着させたことは、依然として戦争が絶えない他の地域の模範となる。  EUは20言語も公用語に採用し、他文化で多元的なヨーロッパに向かいつつある。構成国も当初の6から、27カ国へと拡大し、さらに今後も増えようとしている。  EUの発展は国
  • 異文化理解(西欧) レポート
  • 550 販売中 2008/12/07
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  • アメリカの文化と言語?
  • <要約>オランダでは、安楽死または自発的な尊厳死は、法律上合法と認められている。死が近い患者については医師とその家族との間で医療措置を行うか行わないかについて話し合うことができる。それは、余命が短い人生において、患者の苦痛を最小限にするためである。  安楽死を提唱したアメリカで最も有名な人物で「ジャック・キボキアン」というミシガン州の医師がいる。1990年から約100人の人々の死を看取ってきたという余命の短い患者のために、ボタン一つで一酸化炭素やその他の毒で患者自身が自分に致命的なダメージを与えることが出来る機械を発明した。  このことで、キボキアンは「自殺援助者」と呼ばれ、今後、論争になることとなった。キボキアンは重症患者の尊厳死と苦痛を取り除く手助けをしていると言っている。しかし、その考え方に多くの人たちが反対しており、ミシガン州の役員たちは彼を“連続死刑執行人”と呼んだ。  この問題には、答えが必要だった。苦痛を伴い、余命いくばくもない人々に、自分自身で死ぬ権利はあるのか。医師は、何があっても患者を支えるものである。そのような彼らが自殺を援助するのは、論理的なものなのか。医師、患者、その家族、誰が最後の運命を決めるのか。
  • レポート 海外文学 アメリカ ジャックキボキアン 医師 安楽死 Jack Kevorkian
  • 550 販売中 2006/04/26
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  • 日本におけるアニメーション文化
  • 「アニメ大国」と言われ、海外にも数多くのアニメ作品を輸出している日本、いったいアニメとはどのような意味を指すのか。そもそも日本ではアニメとは、単なるアニメーション(Animation)の略語であったが、現在では、「アニメ=日本製アニメーション」として世界に浸透してきている。アニメーションとは、画像の位置を少しずつ変えて描いた絵を一コマずつ撮影し、動きを与えたものである。元々、アニメーションは欧米から日本に入ってきた動画だったが、ディズニ−のアニメーションなどを参考に追いつけ追い越せという思想が、戦後日本独自に起こったマンガ文化と結びついたことで、独特の形で発展してきた。現在では、日本で一年に制作されるアニメの数は100本を越える。 1990年代に「日本のアニメが世界のアニメ」と言われるようになった。その代表作品には、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」(年表No.1439)、原作藤子・F・不二雄の「ドラえもん」(年表No.188)、原作鳥山明の「ドラゴンボール」(年表No.740)などがある。これらは日本だけでなく、世界的にも名作と認知されている。 アニメを見て育った私は、日本でアニメーション作品がたくさん制作され、評価されるようになったのはどうしてだろうか、と興味を持っていた。以前、アニメは子供が見るものだと言われていた。ディズニー映画もあるが、どちらかというと子供にターゲットを絞った作品が多かった。しかし、現在の日本のアニメには大人向け、子供向け、中高生向けのアニメなど様々なジャンルがある。
  • 論文 日本文化 アニメーション スタジオジブリ
  • 550 販売中 2005/07/09
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  • 渤海文化について
  •  渤海国とは、高句麗が唐に滅ぼされた後に、北朝鮮から支那東北部、ロシア沿海地方にかけて存在した広大な国家で、二百数十年間続いた。唐の影響を持ちながらも高句麗の文化を受け継ぎ、独特の渤海文化を興しその繁栄ぶりは北朝鮮の歴史のなかでも光輝くものであった。  渤海は満洲と韓半島を同時に領土にした国々だ。 満洲や韓半島で起きたどの国も持つことができなかった特徴である。  高句麗は早くから周辺多くの国や族属と多様な関係を結んだ。4~6世紀には中国王朝の権威を認めながらも遊牧民であるキタイ族、 大興の中領山脈に居住した族属、 そして本来狩猟族だった水路などを従えるとか影響力を行使して大勢力圏を形成した.。こういうわけで高句麗は満洲とその周辺の多様な文化を包容しながら韓半島の国とはよほど他の面貌を持つようになった.。特に文化や身分制運営は新羅に比べてずっと開放的で柔軟だった。  このような面貌は渤海でもそのまま現われる.。渤海は旺歪など多様な族属を従えたし唐、 新羅、 日本、キタイなどと多様な関係を結んだ。最近にはシベリアを通じて遠く中央アジアと交通したことで明かされている。 高句麗文化の開放性と国際性がそのまま渤海につながったのだ。このような文化基盤とアイデンティティを持ったから中国大陸の先進文化を収容しながらも伝統的な支配理念や政治制度を土台で国家体制を整備することができたのだ。 特に追慕王が ‘天帝の息子であり河伯の外孫’という建国説話を土台で高句麗が天下で一番神聖で周辺国を服属させることは当たり前だという独自的天下官を確立したことはこれをよく見せてくれる。
  • レポート 史学 渤海 日本 歴史
  • 550 販売中 2005/11/22
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  • 文化体験
  • 海外で学ぶ魅力の1つとして、もちろん語学力の習得が挙げられる。けれど、魅力はそれだけではない。教育制度が国によって実に様々であり、大学をとってみて、その専門性や専攻の種類など、国それぞれに特徴があるのである。今までに聞いたこともないような専攻分野、また、こんなことも学問として学べるのかと思うものまで、その多様性はまさに驚きである。日本では学べないことが学べるというのは、留学の大きな魅力の1つである。多様なのは、学問そのものに留まらない。学び方も国によって様々で、興味のある専攻が複数ある場合、アメリカやイギリスなどに見られるように、その2つを同時に学ぶ機会が与えられることも、日本には見られない特徴である。広く教養を身につけ、ある程度の深さで学びたいのか、それとも1つの専門分野にじっくり取り組みたいのか。あるいは、学問ではなく、そこにしかない技術を身につけたいのか。希望に応じて自分自身の留学を作り上げていけるのである。 もう1つ留学によりもたらされるものは、視野を広げるための大きなチャンスを得れるということである。さまざまな国の人達と出会うことや、また、日本で受けた教育とは違う教え方に触れることにより、新しい発見が生まれるだろう。そして、その経験は、何年先までも自分自身の人生に影響をもたらすのである。
  • レポート 社会学 異文化 留学生 海外
  • 550 販売中 2006/07/20
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  • アジアの歴史と文化
  • 「アジアの歴史と文化」 20世紀初め、日中戦争後の中国は国が衰退しており国家の建て直しをする必要があった。そこで中国がモデルとした国が当時のソビエト連邦(以下ソ連とする)であった。中国はロシアの採る社会主義を最も優れている政治体系だとし、自国に社会主義を取り入れることで豊かで強い国家の実現を目指したのである。 やがてソ連式の社会主義にも行き詰まりが見え始めた。そこで登場したのが建国の父と呼ばれる毛沢東による新たな社会主義思想である。しかしこれは毛沢東が自ら批判した従来の社会主義を強化しただけのものにすぎなかった。生産活動の手段は相変わらず国有化されたままであり、利益も分配されていた。政治の決定
  • レポート 国際関係学 中国経済 大躍進運動 毛沢東 改革解放時代
  • 550 販売中 2007/02/13
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  • 朝鮮の衣食住の文化
  • 私は日本の文化と朝鮮の文化はもともと同じなのではないか?という仮説を立ててみた。実際、焼肉は韓国が本場だし、日本の文化は大和政権のときに半島から渡ってきた渡来人によってもたらせられたものが基本となっているはずだ。しかし実際のところまったく違うと思う。これから、朝鮮の衣食住文化をレポートし、やはり朝鮮と日本は違う文化なのだと自分自身認識していきたい。 まず「衣」文化だ。特に伝統的な民族衣装から比較する。 まず、朝鮮といったら「チマ・チョゴリ」であろう。日本人なら誰でも耳にしたことがある有名なものだ。チマ・チョゴリの語源は、チマはスカートを意味し、チョゴリは上着を意味する言葉である。韓国では通常「韓服」(ハンボ)と言いうそうだ。チマ・チョゴリの始まりは高句麗、新羅、百済の三国時代から始まったと言われている。初めてチマ・チョゴリの痕跡が発見されたのは高句麗時代の王と貴族の墓の壁画である。その後唐の国から衣装や仏教等の色々な事が伝わり、モンゴルの影響も受けながら現代のチマ・チョゴリの始まりになった。いわば多文化が作り上げ洗練された結晶である。今度はチマ・チョゴリの色について調べて見る。授業でも習ったが、朝鮮では陰陽五行をいろいろな場面で応用してきた。チマ・チョゴリも例外ではなかった。子供や、未婚の若い女性は赤いチマに黄色いチョゴリを好んで着た。結婚した女性はチョゴリに赤紫色のコルンを付けて既婚者と言うしるしになったと言うことだ。又、青い色の生地を袖の先に付けたら子供を持った母親と言う意味があったそうだ。それと、新郎はブルー系のチマ・チョゴリを、新婦はピンク系のチマ・チョゴリを着ると言ういわれも有る。ただ、今では個性により好みの色やデザインを自由に選んで着るのが好ましいそうだ。 もうひとつ紹介するなら、「コムシン」だろう。これも授業で習い、手に取った瞬間驚いた。靴にしてはものすごく硬かった。よくこれで履けるなあ…と思っていたら、これは「トルチャンチ」という子供の1歳のお祝いに使うものだそうだ。日本で言う七五三みたいなものか。私も七五三で着慣れない羽織袴と草履で親に苦労をかけたそうだ。多分、朝鮮の小さい子供もたいへんであろう。 次に「食」文化に移るとする。やはり有名なものは「キムチ」だろう。日本でもかなり好まれて食されているし、韓国人の92%はキムチを自宅で漬けているというデータがある。代表的なものを上げると、カッキムチ(高菜のキムチ)、ペチュキムチ(白菜のキムチ)、カクテギ(大根のキムチ)などである。このように朝鮮人の食事のお供であるキムチで衝撃的なものを見つけた。コチュキムチという唐辛子のキムチである。キムチ自体に唐辛子を使うはずなのに、唐辛子のキムチとは…。朝鮮人はかなりのキムチ好きだと改めて思い知らされた。 もうひとつは「犬肉」(タンコギ)だ。私が思う犬肉のイメージは獣くさくて、肉が筋肉質で硬いというものだが、実際はそうではないらしい。犬肉料理の代表的なものの「補身湯」(ポシンタン)は様々な調味料や食材を使用して長時間煮込んであるため肉が柔らかく味も複雑でとてもおいしいらしい。コラーゲンが豊富で、肌や関節に良いそうだ。韓国人のほぼ半数が犬肉を食べた経験があると答えているが、朝鮮では犬肉は高級料理である。大事なおもてなしをする時に、まず選ばれるのは犬の肉、もしくはアヒルの肉である。2番目に鶏肉、3番目に豚肉、4番目に牛肉、の順番にランクが下がるそうだ。牛は普段農業に使われているのだが、老いて働けなくなった時に殺して食するので、肉のランクとしては低いそう
  • レポート 国際関係学 朝鮮 韓国 犬肉 チマチョゴリ キムチ
  • 550 販売中 2007/11/14
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