連関資料 :: 文化

資料:486件

  • 文化大革命十年史』を読んで
  • 文化大革命は中国および世界の歴史において最も異様な現象であった。10年にわたって続いたこの内乱による死者は3万4千8百人におよび、中国の経済損失は5千億元に達したという。しかし、中国および世界の情勢に決定的な影響を与えたこの歴史的大事件への本格的研究は今までなかったという。本書は1989年の第2次天安門事件前に政治の民主化を勇気をもって主張した著者が、膨大な資料に基づき文革の背景と全過程を詳細に究明し、その歴史的意義を真っ向から問うたものである。しかし、筆者の様々な事象への目配りや文革の本質への言及は高く評価されるべきものではあるものの、本書は基本的には歴史的事実を解明するに留まっていると考える。理路整然と文革の進展を説き起こしていきつつも、文革を毛沢東の権力への執着や、林彪や四人組ら「君側の奸」の私利私欲に基づく「愚行」と感情的に捉える側面があることは否定できない。文革の10年を狂気と野心の産物として片づけるのではなく、なぜこのような狂乱がこれほど長い間続けられたのかを徹底的に追究せねばならない。むろん様々な要素が絡み合い複雑怪奇の様相を呈す文革を全面的に検討することなど、私の力量では不可能である。本レポートは文革を主導した毛沢東の政治理念について若干考察することで、文革理解の一助とならんことを目指すものである。  文革の検討に入る前に、文革以前の中華人民共和国と毛沢東を大ざっぱに見ておこう。1949年、中華人民共和国を建国した毛沢東は、まず農村の振興と農民の生活安定を第一とし、農民集団的な力による自力更正を重視した。農村には人民公社・生産大隊・生産小隊が組織され、勤勉、扶養、親和協力が要求された。自由競争は否定され、外国貿易は抑制され、商業は限定された。農民労働者も国家の高官も、質素倹約に努めることが要求され、ファッションも宝石も豪邸も禁じられた。
  • レポート 史学 文化大革命 毛沢東 中国 万民の平等 四人組
  • 550 販売中 2005/07/31
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  • 文化理解レポート・試験対策セット
  • 異文化理解(西欧)のレポート、試験対策セットです。 1つのword文書にまとめようと思いましたが、見づらいかと思い、2つのword文書をzipファイルにしました。 【内容】 ■P6701 異文化理解(西欧).docx ■異文化理解(西欧)試験.docx  ・EUの一体性と多様性  ・懐疑論  ・イギリスで進められている分権化(デヴォリューション)  ・多文化空間の保障:文化的多様性こそがヨーロッパの命  ・国民国家に代わる共同体を求めて:人の移動の自由、欧州市民権、欧州議会、地域委員会  ・女性問題について  …等  5ページのボリュームある内容です。 (DLしたあと、右クリックで『展開』で解凍してください) 【レポート】2012年:A判定いただきました。 【試験】2012年:合格しました。 コメ残してもらえると、くるくる回るくらい喜ぶのでよろしくお願いします:) 参考にご使用ください:)
  • 仏教大学 P6701 異文化理解(西洋) 試験対策 レポート
  • 全体公開 2012/03/14
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  • 文化理解 西欧 第1設題
  • 「EU統合はそこに暮らす人々、ひいては世界の人々の幸福にどのような貢献を果たすと考えられるか。もっとも基本的な目的と具体的な発現状況を要約して述べよ。」  現在EUは、27もの国々によって成り立っている。ヨーロッパの統合については、近年考えられて成立したわけではなく、過去何百年も前から多くの政治家や宗教家、思想家たちが、ヨーロッパの平和のための統合について構想を打ち出してきた。フランス国王フィリップの法律顧問ピエール・デュポアのヨーロッパ統一構想から始まり、シュリー公爵の「グランド・デザイン」、プロイセンのフリードリッヒ・リストが提唱した「広域経済圏創設構想」は、現EUの関税同盟や域内市場の原点になっているとされる。しかしながら構想は机上の空論で終わり、具体的に形になることはなかったのだが、第一次世界大戦後現実的な政治運動へと発展したのがカレルギーの組織した「パン・ヨーロッパ運動」であった。フランスのブリアン外相やドイツのシュトレーゼマン外相が賛成演説をしたことで国際政治の舞台で論議され、運動の成果をあげていった。しかし、結局それも世界情勢の悪化やナチスの国家主義運動に阻まれてしまった。そして第二次世界大戦が起こり、勝敗に関わらずヨーロッパの国々は経済的に大きな損傷を負うこととなったため、アメリカの援助に頼らざるを得ない状況にまで落ちぶれてしまった。アメリカではヨーロッパ復興のための援助計画「マーシャル・プラン」が発表され、その受け皿としてOEECが設立された。そしてそれはのちにOECDとなる。1950年、フランスのシューマン外相が、「シューマン・プラン」を発表した。これは、西ドイツとフランスの間で長い間紛争の原因となっていた二国にまたがるすべての石炭・鉄鋼産業を超国家的な共同管理機関にゆだね、その機関に他のヨーロッパ諸国を加盟させることを認めるというものだった。そしてその二年後、フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス三国の6カ国を加盟国とした「欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)」が誕生した。これが、現在のEUの基礎となるヨーロッパ統合の始まりである。  ECSCに加えて、「ヨーロッパ経済共同体(EEC)」と「ヨーロッパ原子力共同体(ユーラトム)」が設立され、1958年1月1日に発足した。この3つの共同体を母体に経済統合に向けて大きく前進することとなり、9年後、「ヨーロッパ共同体(EC)」となった。  では、EC/EUはなぜ設立されたのか。その目的は3つある。最も重要な目的とされているのが、不戦共同体としてヨーロッパに平和をもたらすということである。そして、政治統合や共通安全保障体制を確立することによって、ヨーロッパ全体の国際的発言力を強化するということ。もうひとつは、活力あるヨーロッパを実現させるための経済的動機である。それには11カ国で導入された単一通貨ユーロ等に代表される経済的効率性の追求や、自律的な地域経済圏の構築というねらいがあった。ヨーロッパだけではなくグローバルに考えると、不戦維持ほど平和なことはない。限られた資源を奪い合い、殺傷しあうことに何の意味ももたないことは周知のとおりであり、今更改めて述べることもないといいたい。が、実際未だに悲しい現実として、醜い争いを続けている国がある。もしEC/EUが設立されていなかったらと考えたら、とんでもなく恐ろしい結果を招いていたかもしれないと安易に予想がつく。統合を恐ろしい形で実現しようとしたのが、ヒトラーのナチス・ドイツであるが、その悲惨な事実はヨーロッパの人々の心に深く切り込まれている。そし
  • 異文化理解 西欧 第1設題 EU EU統合
  • 550 販売中 2008/04/18
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  • 【早稲田大学】多文化教育論レポート
  • 女性が生涯に産む子供の数の平均が1,33人(2001年)と過去最低となり、少子高齢化が進み、それに伴う労働力人口の減少が叫ばれている。しかしその一方で、2001年の外国人登録者数は177万人を超え、過去最高を記録し外国人労働者が増加している。同時に日本に定住する外国人が増えているのも事実である。そのような多文化多民俗化の社会を生きていくうえで、私たちはいくつかの問題と向き合っていかなければならない。  ひとつは識字教育の問題である。これは外国人が社会に適応するために大切なことであり、同時に人間らしく生きていくための基本的な条件といえる。字が読めない、書けないということが子供の不就学を呼び、生活ひとつについてもそれが原因で身体の危険、または金銭的な被害をこうむることがある。またこの識字教育は異文化間の相互理解のためにも、多文化多民俗化の中で共存していく上で必要である。  もうひとつは母語の理解の問題である。識字教育が行われる一方、日本語を覚えるぶんだけ母語(自国の言葉)を忘れてしまったり、母国語を覚えるべき幼児期で日本語だけを学習する、という問題が起こっている。このことは日本語を早く覚えた子供と、覚えられない親との間のコミュニケーション不足を引き起こしている。母国に帰っても言葉がわからないというような事態も起きてしまう。母語を忘れるということは、母文化、の維持・継承にもかかわりを持ち、アイデンティティの保全がままならなくなってしまう。このような問題を解決するため、オーストラリア、ニュージーランドの事例を参考にしながら、日本でどのような取り組みが行われ、また行われるべきか考えてみる。  オーストラリアでは、1788年のアングロ・ケルティックの入植をかわきりに、19世紀半ばにはアングロ・ケルト系が先住民族アボリジニーをしのぎ、過半数を占め白豪主義体制の基礎ができた。
  • レポート 教育学 多文化教育 アボリジニー オーストラリア
  • 550 販売中 2006/02/08
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  • 文化についての映画、裸足の1500マイルを見て
  • The stage is Western Australia of 1931. They are stories of girls of three aborigines who ardently want to back their home town by wanting meet their mother. Aborigines residence ground was chased after it became a British territory in 1770, and there was severe discrimination. A lot of aborigines are slaughtered, and that 750,000 person population decreases to 50,000 people, and was exposed even to the crisis of extermination. And some aborigine woman became the sacrifice of a sexual desire of the white at that time.
  • レポート 語学 映画 異文化 裸足の1500マイル
  • 550 販売中 2006/07/15
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  • 売る雑誌の文化記号論的分析
  • ・「売る」雑誌の文化記号論的分析 僕はバイクの免許を2004年の5月に取得し6月にはバイク(ホンダのフォルツァ)を購入した。それ以前からグーバイクなどの中古新車のバイク情報誌を読みあさっていたのだが、本体を購入すると改造の本や(改造は金がなくてしていない)バイクファッションの雑誌を大量に読むようになった。そこで「バイク」とそれを取り巻く環境やファッションに喚起を呼ぶような雑誌について考察したいと思う。今回そのサンプルにあげたいのは「STREET BIKERS」という雑誌。これはバイク本体の紹介は広告+αくらいでそれにアイテムや行事の紹介、またバイクとは関係ないような男性向けの記事ものせたバイク雑誌である。また、毎号たいてい読んでいるのではあるが、レポート作成上去年の10月号を主な例としたい。 表紙と裏表紙について 文字通り雑誌の顔となる表紙であるが、「STREET BIKERS」(以下「バイカーズ」)はどの号も停車したバイク1台に対して人一人というおとなしい構図である。今回の表紙のバイクはヤマハのトリッカー。色やマフラー、ホイールの部分がだいぶカスタムされておりそれだけでもかっこよさが伝わるが、隣にたたずむ女性がまたかっこいい!!
  • レポート 経営学 文化産業論 バイク 雑誌の売り方
  • 550 販売中 2006/07/22
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  • 日本文化論 設題2・近世の文学について
  • 設題2.近世の文学について概説しなさい 江戸時代の文学は、普通前期と後期に大別される。前者は1600年から1770年に至る、上方が文学の主たる生産地だった時期。後者は1770年から1867年までで、中心が将軍のひざもとである江戸に移った時期である。
  • 文化 文学 江戸
  • 550 販売中 2009/11/07
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  • 文化人類学課題(通過儀礼についての考察)
  • 桜の花が咲くころにメディアがいっせいに特集を組むものといえば、「とんでもない成人式」と、そう言われるようになってもう久しい。私達の世代の人間は、そういった成人式の形骸化とまさにリアルタイムで接してきたため、世の中の批判的な視線に対してそれを「向けられる対象」として、いまも青年期を過ごしている。今回は、形骸化された成人式を、客観的にみるだけではなく当事者として捉えることで、私達の世代の様相と通過儀礼とのかかわりを明らかにしていきたい。そのために、具体的な知見から、「二十歳」という年齢の持つ様々な意味合いを考察する必要がある。  私が成人式に参列したのは、三年前である。振り袖を着て写真を撮り、雪の降るなか式典に参加したはずなのだが、前後に会った友達の顔は覚えていても、肝心の式典の内容はさっぱり覚えていない。本当に自分自身で式に出席したのかも、定かではないのである。他に記憶にあるものと言えば、一部の出席者の異様な格好、態度である。メディアで取り沙汰されるほどではないものの、厳かな場であるという認識を持っていたならば、あのような服装や態度はあり得なかったことだろう。  しかしながら、そういっ
  • 文化人類学 通過儀礼 成人式 モラトリアム
  • 550 販売中 2008/12/12
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