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連関資料 :: レポート

資料:8,661件

  • 分子レポート
  •  「犬の祖先であるオオカミとジャッカルは人間が狩りをして獲物を持ち帰って食べると、食べ残しを近くに捨てることを知って、人間たちのあとをつけてくるようになった。そのうちに、彼らは人間の先に立って獲物を捕らえる先導をするようになった。こうして協力関係ができあがった。そのうち、彼らは人間の近くで住むようになった」  これは動物学者として有名なコンラート・ローレンツの説である。 この説を考えると、私は動物と人間の関係は密接なものであり、動物から見た人間の姿をもっと知りたいと思うようになった。人間の視点からみた動物と動物からみた人間の姿は、実は同じではないか、とさえ考えてしまう。そんな思いをもって、この本を手にした。 私はこの本の中で一番面白いと感じたのは、動物からの発想における人間の目ということだ。昆虫の複眼は、何千という個眼に映る像によって世界をモザイク状にみえており、実際に目を頭からはずし、それをレンズにして写真をとる装置を作り撮影すると本当にモザイク状にうつっている。一方で、人間の目というのが網膜に移ったときは上下逆さまになって映っているということである。つまり、そのまま我々が見る世界は
  • 実験 人間 動物 技術 世界 視点 神経
  • 550 販売中 2008/01/18
  • 閲覧(1,551)
  • ゼミ レポート
  • 論評 メアリー・カルドー「新戦争論」  冷戦後、戦争の形態は劇的に変化しており、今までの戦争のイメージでは今世界に存在する「新しい戦争」は理解することができない。地球規模の諸紛争を分析し、この「新しい戦争」を概念化しているのが「新戦争論」である。 筆者は「新しい戦争」の特徴を序論で3つ述べているが、その中で「新しい戦争」はグローバリゼーションの影響を強く受けている、という点に大変共感した。第2章で「旧い戦争」について述べられ、「新しい戦争」と対比されているが、それらを踏まえて考えると「新しい戦争」はグローバリゼーション抜きでは考えられないと思う。 「旧い戦争」によって経済と政治の区別や民事と軍事の区別、また戦争と平和の区別などが生じるようになったが、それらは「新しい戦争」では区別がつきにくくなっている、と筆者は第2章で述べている。これはグローバリゼーションの影響によって国内のノー・ボーダー化も起こっているからだと考える。 また、グローバリゼーションの中心的関心は「世界的な相互連繋が近代国家の将来に対してどのような意味を持つのか」ということであるが、アフリカ、東欧またその他の国々における
  • 平和 国際
  • 全体公開 2008/01/18
  • 閲覧(2,173)
  • 人権レポート
  • 【佛教大学】 2020年 「人権」 合格済み レポート 2020年度佛教大学通信課程 「人権」の合格済みレポートです。 佛教大学は特に罰則が厳しいのでそのままの転用は控えてください。 こちらを参考程度に、新テキスト・自らの考察を付け加えるなどしてご利用ください。 大変ですががんばりましょう!
  • 佛教大学 レポート 佛教大学通信教育 通信教育 リポート 人権
  • 550 販売中 2021/10/13
  • 閲覧(1,789)
  • お雑煮★レポート
  • はじめに 新年を迎え、今年も我が家では家族や親戚一同と共に、皆で三箇日を過ごした。私にとって正月の楽しみといえば、お年玉ももちろんだがやはり祖母や母の手作りの雑煮や餅、新潟の郷土料理であるのっぺ(のっぺい汁)が一番である。雑煮は正月に食べる伝統的な日本料理の一つだ。現在でも、沖縄を除く日本各地で年頭に雑煮を食べる風習がある。しかし雑煮には決まった形式がなく、地方や家々でその汁やだし、具材はさまざまである。また、雑煮には餅を入れるのがほとんどで、その形にも地域差がある。今回のレポートでは、こんな身近にあって興味深い日本料理である「雑煮」について論じたいと思う。 雑煮の概略 『日本民俗大辞典』の定義では、雑煮とは「正月三箇日に食べる餅入りの羹(あつもの)」である。羹とは汁物などの熱い料理の古称である。 正月元日の祝いは奈良時代から宮廷の公式行事になったとされているが、現在のように正月に雑煮を作って祝うという風習は、室町時代からのことである。武士社会の献立を庶民が見習ったとされている。それ以前にも雑煮はあったが、とくに正月の食べ物だったわけではなく、祝いの席や将軍の酒肴として食されていた。
  • 雑煮 日本 日本文化 文化 正月 地域文化
  • 550 販売中 2009/01/12
  • 閲覧(7,476)
  • 博物館実習レポート
  • 博物館という場所は、基本的には物を見せる為の場所である。しかし、ただ物を見てまわるだけで子どもが楽しめるかというと、そうではない。「子どもは飽きやすい」。消極的だが、まずはこの前提に立ってアプローチの方法を考えるべきだろう。 幼少の経験を振り返って、自分が楽しいと思えた展示内容を思い出してみると、どれも「体験」を通したものが多い。科学博物館で実際に装置に触れたり、民俗資料館で民具を作ったりなど、体を使って楽しめる展示内容は、飽きる暇もなく、好奇心も刺激された。先日「紙の博物館」で紙すき体験をしたが、これも地元の小学生にはとても人気があるという。 次に高齢者向けのアプローチ方法を考える。 私は潜在的に、博物館に興味を持っている高齢者は多いと思う。しかし、たとえ興味を持っても、足を運ぶまでにいくらか妨げになるものがある。それは「体力」だ。博物館を見て回るのは、若輩である私にとっても体力を消耗するものである。そういう点が「気負い」を生んでいるのではないだろうか。博物館の展示方針にもよるだろうが、もう少し気軽に楽しめる雰囲気が必要だと思う。
  • レポート 生涯学習
  • 550 販売中 2005/06/02
  • 閲覧(9,639)
  • 旅風景レポート
  • ピエール・ロティ「氷島の漁夫」における空と海の風景                   ピエール・ロティ作の「氷島の漁夫」は、フランス・ブルターニュ地方の漁港・パンポル近辺に住む、漁夫・ヤンと、若い娘であるゴードの恋愛を描いた小説である。この地方では、漁夫たちは早春から初秋にかけて、一年のおよそ半分の間、アイスランド島沖の海に漁に出ており、この小説にはその海の風景描写がいくつも見られるが、その中で物語の冒頭に描かれている風景について述べようと思う。 この小説で最初に出てくる船外の風景は次のようなものである。   外では、極北の夜が明け、長い長い常昼の朝を迎えようとしているのだった。   だが、それは何ものにも似ない青白い、青白い光だった。そして、その光は、消え失せた太陽の残照のように、物の上にいつまでもたゆたっていた。彼ら漁夫たちの周りでは、すぐさま、いかなる色ともつかない広大無辺な空間が拡がっていた。そして彼らの漁船の外では、一切が透明で、触知しえない、まぼろしのようになっていた。   眼には、わずかに海とおぼしいものが認められるだけだった。最初、それは、何一つ映すもののない揺れ動く
  • ピエール・ロティ 氷島の漁夫 文学
  • 550 販売中 2008/04/23
  • 閲覧(1,358)
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