連関資料 :: 社会

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  • 欧米での社会福祉の歴史的展開と国際動向
  • 社会福祉政策は、まず資本主義の歴史の古いイギリスで始まった。1601年エリザベス女王が実施した「救貧法」がこれに当たり、失業者、病人、老人等貧しい人々を救済するのが目的であった。これは、今日の社会保障制度における「公的扶助」(生活保護)の起源でもある。しかし、このような救貧政策は、イギリスにおいても、その他の国においても長い間不完全のままであった。その為、資本主義が発達するに従って、労働者は不景気、失業、病気等から生活を守るため、賃金の一部を拠出して相互扶助を目的とする共済組合の組織をつくり始めた。だが、労働者だけの扶助組織では、財政的に破綻をきたしたので、国と雇用主とがその扶助組合に加わることになった。こうして生み出されたのが、ドイツのビスマルクによる「社会政策三部作」と呼ばれる最初の社会保険制度であった。これが今日の医療保険や年金制度等の前身と言える。  社会保障制度が主要国の積極的政策として推し進められるようになったのは、1929年の大恐慌以後であった。1935年、アメリカでは社会保障法が制定され、そこで「社会保障」という言葉が初めて使用された。ついで1942年に、イギリスではビバリッジ報告書が出され、ここに初めて全国民を対象に、その最低生活を国家の責任において保障しようという現在的社会保障の考え方が確立された。第二次世界大戦後、このような考え方に基づき、イギリスはもとよりヨーロッパ各国が社会保障制度を確立し、福祉国家としての道を歩みはじめた。  イギリスに先だって社会保障制度を完備したスウェーデンでは、早くも1913年に国民年金法を制定し、以来独自の方法で社会保障を充実させてきた。ヨーロッパの他の多くの国が、まず工場労働者を対象とする社会保障制度から出発し、順次国民全体に広げていったのに対して、工業化の遅れたスウェーデンでは、一挙に国民の全てを対象とした国民年金方式を採用した。スウェーデンが年金保険の充実に力を入れるに至った背景には、老後の生活は、子どもから独立して営まれるべきであるとする国民一般の考え方があった。このような考え方に立って、国が老人年金の充実に力を入れてきたため、その給付水準は非常に高く、給与の大半が物価スライド式年金として支給される。更に所得税率が下がるので所得額は退職前と殆ど変化なく生活水準を保つことができる。しかしながら、ここにはスウェーデンのみならず、高福祉社会の持つ問題が存在するとも言える。子どもは安心して老人の許を去ることができるという事情もあって、ますます核家族化が促進されることになる。また、親が苦労せずとも子は育つという条件が完備されているため、子どもの教育やしつけに対して、親の責任感が希薄となる傾向も生じてしまう。互いに独立を認めあう親子関係が生み出される結果、65歳以上の老人で家族と同居中のものはほんの数パーセントにすぎない。そのうえ、高福祉は必然的に国民の高負担を伴い、高度の累進課税によって国民の勤労意欲そのものをそぐ結果にも繋がる。スウェーデンでは、そのような老人や青少年の問題を含めて、年金制度の改正等福祉の見直しを行った。具体的には、1994年に年金改革の方向が決まり、1999年1月より施行されているが、その内容は、基礎年金制度を廃止し、所得比例年金に再編成するもので、年金額は賦課方式による部分と積立方式による部分を組み合わせること、年金額算定方式の変更、本人負担保険料の導入、最低保障年金制度の導入などこれまでの制度を一変させるものとなった。  1970年代後半から、先進諸国においては福祉国家体
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  • アメリカ社会における新興宗教とキリスト教との関わりあいについて
  • 「アメリカ社会においてNew Ageの思想がいかなる影響を与えたのか?」 序論  このレポートでは、アメリカの新興宗教であるNew Ageのアメリカ社会への影響について、考えていきたい。そのために、アメリカにおける宗教の特殊性、とりわけ、キリスト教との関わりについて考えたい。先進国の中でも、特に宗教的関心が高いといわれるアメリカだが、その宗教はキリスト教が主流である。しかし同じキリスト教である、といってもその中で細かな考え方の違いが存在しているのもまた事実である。こうした差異はあるものの、アメリカの伝統的価値観にキリスト教が強い影響を与えてきた。  1960年代に端を発するNew Ageの広まりは、既存の価値観と完全に対立するするものであった。つまり、輪廻転生をはじめとする非欧米社会の宗教的概念に、多くのアメリカ人が強い拒否反応を示したのである。こうした、経緯はShirley Maclaineの著書“Out on a Limb”に詳しい。この本の引用から、われわれはNew Ageの思想に触れることができるだろう。それでは、始めていきたい。 宗教的な国、アメリカ まず、アメリカにおける信仰について考える前に、そもそも宗教というものがどういうものなのか考えてみたい。日本人であるわれわれは、ともすれば宗教というものを何か胡散臭いものと捉えがちである。そして、多くの人が自分は無神論者であると考えている。しかし、本当にわれわれの中に信仰というものがない、と言い切ることができるのだろうか? そもそも宗教に関して、辞書ではどういう説明がなされているのだろうか?三省堂の大辞林で「宗教」を調べてみると、『[1]神仏などを信じて安らぎを得ようとする心の働き。また神仏の教え。[2](補説)religion 経験的・合理的に理解し制御することができないような現象に対し積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。アニミズム・トーテミズム・シャーマニズムから、ユダヤ教・バラモン教・神道などの民族宗教、さらにキリスト教・仏教・イスラム教などの世界宗教にいたる様々な形態がある。』とある。実際のところ、宗教というものは概念的で実態として捉えにくいものであり、こうした辞書の説明は、あまりわれわれの理解の助けにはならないのかもしれない。しかし、この辞書の定義にあるように、宗教の基盤にあるのは超人的な現象の理由をどうにかして捉えようとする姿勢である。 こうした姿勢は、多くの哲学者の「宗教」の定義にも見ることができる。たとえば、マレットは宗教を「人間の有限性の克服」と考え、フレーザーは「超人的な力・存在に対する宥和」であると定義した。この定義は今回のレポートの重要な論点であるNew Ageの主要な考え方をずばり言い表しているのだが、これを言った哲学者がキリスト教の価値観に多分に支配されていたであろうという事実は示唆的である。かの有名なカール・マルクスは「宗教は阿片である。」と表現し、宗教が死後の世界や来世での救いを餌に革命を阻止していると激しく非難している。 アメリカという国においては、宗教というものがわれわれの想像以上に人々の意識の中に根付いている、ということが統計的に示されている。1997年にミシガン大学によって、主な国別の毎週の教会への出席率が調査された。その調査によると、アメリカ人の40%が教会のミサに出席していると回答した。この数字は、いわゆる欧米先進国の中ではイタリアと並んで高い水準である。この調査は電話によるものだったために、実際にそれだけの割合のアメリカ人が
  • レポート 国際関係学 アメリカの宗教 キリスト教 ネオコン new age out on a limb
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  • 『現在は情報社会さらには知識社会と呼ばれているが、その社会にあっては知識を扱う教育はきわめて重要である。基礎基本の学力と教育格差と経済格差との関連について論ぜよ。
  • 『現在は情報社さらには知識社と呼ばれているが、その社にあっては知識を扱う育はきわめて重要である。基礎基本の力と育格差と格差との連について論ぜよ。また格差問題を解決するうえで育方法はどのようにあるべきか。』  2004年12月に、力にする2つの際調査結果が公表された。IEA(際育到達度評)の際理科育動向調査の2003調査(TIMSS2003)の結果によると、日本は、中2のが前回(1999年)と同じく5位、理科が4位から6位になり、小4の算は前回(1995年)と同じ3位、理科は2位から3位になった。また、調査に含まれている質問紙にする解答で、理科とも「勉のしさ」、「勉への積極性」、「得意な科かどうか」、「勉にする自身」、「自宅で宿題をする時間」などが際的にみてかなり低い況だった。同じく2003年にOECD(協力開機構)が施した際的な習到達度調査(PISA)の結果においても、日本の順位は解力が8位から14位へ、的リテラシが1位から6位へと下がり、科的リテラシは2位のままわらず、今回導入された問題解決力が4位という結果だった。また、2002年に文科省から公表された「全校一力テスト(育課程施況調査)」の分析結果は、少なくとも算と社で、子どもたちの力低下が確に起こっていることを物語っている。育係者は、これまで以上に、科の基礎基本の力をすべての子どもたちに確に身につけさせる方策を講じなければならない、と叫ばれている。「ゆとり育」の方針に基づいて、1999年に習指導要領の全部を改聖˚나履智┴괭퉤먼切몽쁠貼瞼묫в非 ちょうどこの時期、首都で私立中を受する子どもの割合が急している。
  • 教育方法学 リポート 格差社会 知識社会 経済格差
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  • 中根千枝・著『タテ社会の人間関係』の再考察[東京学芸大学・教育学部・日本社会学・評価A]
  • 私が中根の理論に興味をもち、『タテ社会の人間関係』を初めて読んだのは、実はかなり前のことである。日本の大学に在籍しているにもかかわらず、こんなことを言うのは問題があるかもしれないが、私自身は決して日本の学校教育、社会システムにすんなり馴染める人間ではなかった。この本に初めて出会った時、私は今まで自分自身が直面し、疑問に思ってきた事柄を、中根が全てすっきりと言い切っていることに驚き、感動すら覚えたのだった。  私は中学生の頃、「いじめ」をきっかけに不登校をした。勉強だけは好きだったので、何とか高校に入学したものの、そこにも馴染めずにまた不登校をした。私が馴染めなかったのは、一言で言えば、「場」への帰属意識を求める感覚を、どうしても理解できなかったからであった。もちろん、私もいろいろな人と仲良くやっていくことを望まないわけではない。それが人生にとって大事な要素であることも承知している。しかしながら、日本の学校教育において求められる「協調性」とは、私からすれば「協調性」からは程遠い、反対の概念にすら感じられたのである。それは、中根の言う「場による集団の孤立性」を感じ取っていたからに他ならない。  「同じ学校だから、同じクラスだからということが、いったいどれほどの価値を持つものか? 最後は結局は自分で自分の人生に責任を取らなくてはならない。人間はそうやって進歩していくものなのに、いつまでも一つの「場」にいることを強制されたのではたまらない」と、やることなすこと、意図しなくても浮いてしまう私からしてみれば、疑問に思うことばかりであった。私にとって重要な価値は、一人一人の違いを尊重すること、そしてその総和としてなされる世界全体(「場」によって閉鎖された空間ではなく)の認識であったからだ。
  • レポート 社会学 タテ社会 ムラ社会 日本 文化 社会
  • 1,100 販売中 2006/02/15
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