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連関資料 :: 社会

資料:4,240件

  • 家族福祉における要介護の社会化と介護保険制度について
  • (1) 家族と介護老人の問題の現状 在宅における要介護の高齢者と家族介護の実態を見ると、在宅における65歳以上の要介護者は100万3000人で、そのうち寝たきり者数は31万6000人となっている。介護が必要となった主な原因をみると、「脳血管疾患(脳卒中など)」が30,3%と最も多く、次いで、「高齢による虚弱」が14,9%、「痴呆」が12,2%となっている。また要介護期間をみると、「1年以上3年未満」は26,1%、「3年以上」が53,7%となっている。 その要介護者に対する家族介護はどのような状況かというと、寝たきり者の主な介護者を、同・別居別にみると、「同居」の者が86,1%、「別居」の者が13,9%である。「同居」の介護者の寝たきり者との関係は、「配偶者」が28,5%、「子」が22,5%、「子の配偶者」が32,5%である。性別でみると「男」が14,8%で「女」が85,2%となり、介護者の8割以上を女性が占めている。高齢者の家族介護の問題は、女性の問題でもある。
  • レポート 福祉学 家族福祉 同・別居別 配偶者 寝たきり老人 介護負担
  • 5,500 販売中 2005/07/27
  • 閲覧(2,708)
  • 「感情労働」と「マニュアル化」に関する社会心理学的考察
  • 現代社会の労働においては、従来の肉体労働、頭脳労働に加えて新たに「感情労働」なるものが出現し、サービス産業化が進む中であらゆる職種に広がり始めているという。「感情労働」とは、労働力商品として感情を表出したり制御したりすることが労働者に求められるもので、相手(=顧客)に合わせた高度な感情コントロールが必要とされる仕事をさす。その典型例としては客室乗務員や看護関係者、クレーム処理担当者などが挙げられる。そこでは、労働者は本来の感情を押し殺すことで、日常生活における感情表出が阻害(疎外)されている。「感情労働は賃金と引き替えに売られ、交換価値を有する。現代社会は、感情の商品化、すなわち感情の売買を組織的に、広範に推し進める社会であるという意味では過去に類をみない社会である。」(1)という。  自分は、あるスーパーのレジうちのアルバイトに数ヶ月従事した経験があるが、今思えばそこで「感情労働」をある程度実体験していたようだ。具体的には、客からの度重なるクレームへの対応、「理不尽」な要求、来店者への作り笑いと愛想のよい「いらっしゃいませ」等といった言葉がけである。たしかに、当初は自分の感情を無理に
  • 社会 労働 サービス 現代 役割 社会心理学 マニュアル化 ゴフマン世界の再構成 管理される心
  • 550 販売中 2009/08/03
  • 閲覧(2,921)
  • 社会科 地理歴史科教育法 分冊1
  • ① 「地理的分野」   地理的分野の目標は4項目より成立しており、目標(1)では、地理的分野の基本的な目標が以下のように述べられている。 「日本や世界の地理的事象に対する関心を高め、広い視野に立って我が国の国土の地域的投句色を考察し理解させ、地理的な見方や考え方の基礎を養い、我が国の国土に対する認識を養う。」  「日本や世界の地理的事象に対する関心を高めることにより、生徒自らが地理的状況を見出し、手がけることによって課題を設定する。そして、地理的特色を研究し、考察する。このような学習により関心が喚起され、問題意識が高まる。そうした学習指導を要請している。 「広い視野に立って我が国の国土の地域
  • 日本大学 通信 教職課程 地歴 教育法
  • 2,200 販売中 2008/07/03
  • 閲覧(2,215)
  • 書評:エリック・アシュビー講演集 科学技術社会と大学
  • E.アシュビー著(宮田敏近訳)『エリック・アシュビー講演集 科学技術社会と大学』 玉川大学出版部、2000年、246頁。  本書は、名著『科学革命と大学』(島田雄次郎訳、中央公論社および玉川大学出版部)の著者として有名なアシュビーの講演集である。これらの講演は、最も古いもので1959年、最も新しいもので1972年になされたとのことである(本書「序文」による)。原著Adapting Universities to a Technological Societyは1974年に出版されている。  アシュビーは1904年生まれのイギリスの生物学者であった。とはいえ、彼の知的好奇心と活動範囲は、一生物学者として留まるにはあまりに広かった。イギリスの大学で学んだ後、ドイツやアメリカに留学し、オーストラリアの大学で教えたこともあれば、第二次大戦中は(オーストラリア公使館)科学顧問としてモスクワに滞在した、といった具合である。また、アシュビーは1950年、北アイルランドのベルファスト大学の学長に就任するなど、大学管理者としての経歴を歩み始め、1959年から75年までケンブリッジ大学クレア・カレッジの学寮長を務めるとともに、1967年から69年まではケンブリッジ大学の学長も務めた。アシュビーは、イギリスの大学をその中枢にあって経験するとともに、世界各地の大学の実状に通じるという希有な経歴の持ち主であったわけである。  元来生物学者であったアシュビーは、大学を生物との比喩で考えており、このことは原著のタイトル(直訳すると、『技術社会への大学の“適応”』)にもみてとることができる。また、本書の随所で開陳されている。例えば、次の通り。    生物の共同体のなかでは、そして大学の共同体のなかでは、新しい品種が現れるとき、そこに革新と交配という出来事がおこります。(17頁)  大学は生物のように遺伝(伝統)と環境の産物であります。大学の伝統は明白であり、大学が何を標榜するかについて大学人のあいだにはコンセンサスがあります。つまり、卓越性、客観性、理性の陶冶、知識の内在的価値であり……このコンセンサスは、……力強い内部論理をつくりだします。大学環境とはそれをささえる社会的、政治的システムです。それは二つの主要な力によって作動します。二つの力とは入学しようとする志願者の圧力(顧客ニーズ)と卒業生を引き出す雇用者からの吸引力(人的資源に対するニーズ)です。……それゆえ、すべての大学において内部論理、圧力、吸引力という三つの力のあいだに動的な平衡状態が存在します。(173頁)    すなわち、アシュビーによれば、大学は内部論理と圧力と吸引力という三つの力ないしはベクトルのせめぎあいと均衡の中から変革のエネルギーをくみ取ってきたのである。その結果、大学は中世に誕生して現代に至るまで、また、ヨーロッパから発して世界の至る所に、さまざまな変異種を生み出しながら、存続し発展を遂げてきたのである。換言すれば、大学には「知的専門職のための学校という機能に、紳士をつくるための教養学校、研究機関、共同体のための奉仕場所……」といった多様な機能が加増され、現代の大学は「多目的機関」となった(222頁)。  ところが、大学は、単なる「危機」というよりは、これまで経験したことのないような「文明の転換期」に遭遇している、とアシュビーは考える(224頁)。だとすれば、大学は、科学技術の急速な発展によってもたらされた「文明の転換期」を、これまで成功してきた「適応」戦略によって、これまでと同様に乗
  • 全体公開 2007/12/24
  • 閲覧(1,735)
  • 社会福祉総合実習指導W0721 試験問題
  • 佛教大学 通信教育学部 社会福祉総合実習指導 W0721  最終試験問題のまとめ。 社会福祉学の全体構造と社会福祉の基礎知識として5つの分野を簡潔に述べよ。 基礎介護について、介護の意義と目的に触れ、介護技術の事例を述べよ。 実習の目的や意義、視点について述べ、実習で得られる自己教育効果について述べよ。 社会福祉演習の目的と演習で行う具体的な教育実践について述べよ。 社会福祉援助技術について、各技術の概要や目的、具体的技法について述べよ。 社会福祉制度について、各福祉法と制度の関係及び内容について述べよ。 「社会福祉学の全体構造と社会福祉の基礎知識として5つの分野を簡潔に述べよ。」 Ⅰ 社会福祉学の全体構造  社会福祉学は、社会現象や社会現実に対応し、顕在的、潜在的な生活問題の緩和・解決を目的としている。社会福祉の考え方を構成している要件や、それらに関する理念、仕組み、内容および、それらを総合的に実践できる手法が示されている。社会福祉の基礎知識をはじめ、社会福祉制度や援助技術等、社会福祉を支える理念や体系から新たな展開へと結びつける人間理解や心理学、社会学や学際的な学びの側面をもつ。また知識を得ることばかりで
  • 佛教大学 通信 科目最終試験 教育 福祉 指導 福祉学 実習 試験 問題 テスト
  • 2,200 販売中 2008/10/05
  • 閲覧(3,146)
  • 社会調査における二つの認識論――実証主義と解釈主義
  •  社会調査を行なう上で、その調査が解釈主義的な見地に立ったものであるか実証主義的なものかという認識は重要であるが、それはどちらをとるべきかという問題ではない。  結論から言えば、社会調査は、解釈主義と実証主義というどちらかの方法論が明確に社会的現実を観察しうるということではなく、どちらを選択するかは調査対象と調査の目的、そして調査の段階によって決定されるべきであり、またその調査段階は一過性のものではなく、連続的な段階を経てその認識を社会的現実に近しいものとする営為であるといえる。このような見地から、私は二つの主義の双方を研究対象に則した段階的に扱うことがわれわれの認識を豊かなものとすると考える。  それは、「社会調査における認識は、必ずしも社会的現実を正確に映し出すものではない」、「いかなる調査にも調査という行為によるバイアスがかかる」という前提による。これについてそれぞれの方法論において考えてみる。  実証主義では、いくつかの概念を構成し概念間の関連づけを仮説として行い、それらの概念を指標化して検証する。これは観察者自身の認識にもとづいた構成概念を操作的定義をもって測定可能なものとする。この方法に従えば誰であっても同じ認識にたどり着くことが出来るという意味で、認識方法において客観性が保たれるのである。たとえば、「フリーターは都市に多い」という命題を検証するためには、「フリーター」、「都市」の概念を観察者が構成し、その概念を観察可能な指標として検証する。この方法であれば、同じ概念、同じ方法で検証する限り誰でも同じ結果が得られるのが実証主義である。しかし、「フリーター」や「都市」という概念は正しいのだろうか。パートタイマーはフリーターだろうか、契約社員はフリーターではないのだろうか。神奈川は都市だろうか、栃木は都市ではないのだろうか。
  • レポート 社会学 解釈主義 実証主義 マッキーバー ランドバーグ
  • 550 販売中 2006/01/21
  • 閲覧(10,756)
  • 戦後の我が国の社会福祉の歴史的展開と今日の課題について
  •  1945年8月の敗戦とともに戦時体制も終わり、米軍の占領下において新たな施策が開始された。1945年12月15日、閣議は「生活困窮者緊急生活擁護綱領」を決定し、この対象は「著シク生活ニ困窮セルモノ」であり、失業者、戦災者、海外引揚者、在外者留守家族、傷痍軍人及びその家族、軍人の遺族に限定されており、その数はおよそ800万人と推定していた。また、戦後の混乱した社会情勢のもとにおいて、浮浪児対策は緊急課題であった。戦災で両親を失った孤児、引き揚げ孤児等が、物資の不足と日常生活をなんとか維持することで精一杯という世相のもとで、浮浪しては物を乞い、金品を窃取するなどの不良行為を繰り返した。  占領軍(GHQ)は1946年「社会救済にかんする覚書」を発表し、?無差別平等の原則?公私分離の原則?救済の国家責任?必要な救済は制限しない、と4つの基本原則を確認し、これをうけた形で政府は旧生活保護法の制定に着手する。  やがて、浮浪児、孤児対策が進んで1947、児童福祉法の公布となり、児童委員や児童相談所の設置となった。次いで、主として戦争の結果、一挙に増えた戦傷病者を救済することを目的に、1949年、身体障害者福祉法を制定し、これに生活保護法をあわせた「福祉三法」ができあがり、そのうえ社会福祉政策のあり方をめぐって、社会保障制度審議会が1950年に「勧告」を発表した。それは、社会保障、国家扶助、公衆衛生、社会福祉の各分野にまたがる新たな制度の提唱を行ったものであった。  1951年、社会福祉の全分野にわたる具体的な施設運営や人事配置に関する規定を定めた社会福祉事業法が公布され、以後、設置基準や公費助成、指導監督に適切な対応が図られるようになった。
  • レポート 福祉学 原論 社会福祉 戦後
  • 550 販売中 2006/01/26
  • 閲覧(6,225)
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