連関資料 :: 教育
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ペスタロッチーの教育学について考察せよ
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ペスタロッチーの教育学(直感の原理など)について考察せよ
ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチーは、1746年スイス生まれで、父親は外科医であったが彼が5歳の時に死去し、その後は母親と家政婦によって育てられた。したがって幼年期を女性に育てられた事は、後年教育における女性の重要性を説いたことに影響していると考えられる。また祖父が貧しい人々の救済のために働いているのを見て、祖父と同じく牧師となり宗教的信仰を以て救済事業にあたることを生涯の使命としようと決意したが大学在籍中に貧民救済のためには宗教ではなく法学を学ぶことが重要と悟る。そして祖国への愛国心と政治改革に目覚め政治運動を行うが事件にかかわり投獄され農民となることを決意した。その後は農場で教育活動を開始し、上手くはいかなかったものの教育実践を新聞紙上で紹介し世間の好評を得る。その後フランス革命が勃発しスイスも巻き込まれて成立した新政府を支持することにより孤児院を任され、そこで半年で改善に成功した。しかし戦争で孤児院は閉鎖され、またもや政変、追放、開校を繰り返し1827年に亡くなるまでたくさんの素晴らしい書物を執筆した。
ペスタロッチーは「直感の原理」を教育法の重要な柱と考えている。直感はすべての認識の基礎であるので教育方法はまず直感的でなくてはならないとされる。しかし直感において受け取ったものはまだ曖味で混乱している。すなわち直感はまだ素材であり、概念的には不明瞭であるので、直感を分離・結合して秩序を与え、明晰判明な概念にまで高めることが求められるのである。認識が混沌、規定、明晰、判明へと進むゆえに段階的・漸次的な教育法でもあった。「もっとも容易なことからはじめて、先に進む前に、これを完全に仕上げ、次に順序を追って進むことによって、常に、ある僅かなものだけを、既習のものに付け加える」
ペスタロッチーは直感が三つの根本的要素から成り立っていることを発見し、その三要素の基礎的部分を学習することが重要であるとする。そしてその三要素とは①如何に多くの、また機種類の対象が、その眼前に漂っているか(=数)②どんなに見えるか、その形と輪郭は何か(=形)③どんなにそれは呼ばれるか。如何にして子どもは、その各々を、一つ一つの音により、語によって再現することができるか(=語)の三つである。ペスタロッチーによるとあらゆる事物はこの三つの要素を有しているゆえに子どもの教育においてはこの三要素から始めなければならない。この三要素の各々の領域において「暗い直感から規定された直感、明晰な表象、判明な概念を導くこと」が求められる。このように教育方法を根元的要素にまで遡って単純化し、その要素から確実性を有する合自然的な教育の実行が可能とされる。これが直感の「ABC」という考えである。
それでは三要素を更に詳しく見ていくと①数の教授では事物の数を数えることが可能になり、子どもがどれだけ多くの対象が目の前にあるのかを明確に学習することが目標である。単純化された要素から次第に複雑な計算へ進むことが主張されてます。つまり最初は足し算で1を足す事から始め次に2、3と数字を上げていきます。そして10までの足し算を理解したやすく言い得るようになると掛け算へ進み最後に10からの引き算を教えます。これは単なる記憶作業ではなく、理性的訓練によって行われるべきであり、一つ一つの数字を確実に感覚的に把握し、その上で理性的で算術を行う訓練をすることが求められている。②形の教授でもまず、事物を直感する事から始めなければならない。つまり、輪郭によって事物
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教育学
ペスタロッチー
直感
数
形
語
550 販売中 2007/04/09
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教育課程とは何か(A判定)
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「教育課程とは何かについてその基準と編成原理、今日的課題についてまとめなさい。」
教育課程とは、学校教育法によって定められた学校教育の目的や目標(第17条、第18条)を達成するために編成され、教育内容を児童または生徒の心身の発達に応じて授業時数との関連において学習指導要領に示された内容を総合的に組織したもので、各学校で行われる教育の中核となる教育計画である。学習指導要領は1947年に初めて発行されて以来、改訂を重ねてきたが、常にその時代の社会に求められる教育のあり方などが盛り込まれ、それをもとにして教育課程は教育の現場となる各学校で編成され、実践されてきたのである。
各学校が教育課程
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教育学
学習指導要領
教育課程
教育
学校教育課程論
550 販売中 2007/05/02
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ジョン・ロックにおける子ども教育論
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「 ジ ョ ン ・ ロ ッ ク に お け る 子 ど も 教 育 論 、 特 に 習 慣 形 成
や 賞 罰 法 を 中 心 に 述 べ よ 」
ジ ョ ン ・ ロ ッ ク は 、 1 7 世 紀 か ら 1 8 世 紀 に 活 躍 し た イ
ギ リ ス の 哲 学 者 ・ 思 想 家 で あ っ た 。 彼 は 、 哲 学 ・ 思 想 の
み な ら ず 、 教 育 学 に お い て も 代 表 さ れ る 人 物 で あ っ た 。
彼 が 提 唱 し た 教 育 と は 、「 紳 士 教 育 」 で あ る 。
紳 士 教 育 と は 何 か 。彼 が 求 め る 「 紳 士 」そ れ は 、「 紳 士
は 健 全 な 身 体 と 道 徳 ・ 知 識 を 持 っ て い る 者 」 で あ っ た 。
彼 は 、 こ の 者 こ そ が 本 来 の 紳 士 で あ り 、 そ れ を 最 終 目 的
と し た も の が 、「紳 士 教 育 」で あ る 。紳 士 は 、理 性・宗 教 ・
良 き 躾 を 基 礎 と し て 育 成 さ れ る も の と し 、「日 々 の 道 徳 教
育 は 、家 庭 に よ っ て 達 成 す る 」と 言 う 。つ ま り 、ジ ョ ン ・
ロ ッ ク は 、 家 庭 教 育 こ そ が 教 育 の 原 点 で あ る と 考 え た の
で あ る 。
ジ ョ ン ・ ロ ッ ク が 唱 え る「 紳 士 教 育 」の 背 景 に は 、「 タ
ブ ラ ・ ラ サ( 精 神 白 紙 説 )」が あ る 。子 ど も は 生 ま れ た そ
の 時 点 で は 、 善 も 悪 も な く 、 ま だ 白 紙 で 無 の 状 態 で あ る
と 考 え る 。 子 ど も は 、 そ の 「 白 紙 」 の 状 態 か ら 、「 経 験 」
と い う 色 を つ け て い く の で あ る 。 つ ま り 、 経 験 に よ り 、
観 念 を 持 ち 始 め る と 考 え た の で あ る 。 そ し て 、 そ の 観 念
を 結 び つ け る た め の 教 育 と し て 、「 習 慣 づ け と 訓 練( 身 体
的 訓 練 と 精 神 的 訓 練 )」 を 彼 の 教 育 論 の 柱 と し た 。 ジ ョ
ン ・ ロ ッ ク の 見 解 か ら 、 教 育 と は 「 習 慣 形 成 」 で あ る と
い う こ と が 言 え る 。
で は 、 そ の 習 慣 形 成 と は ど の よ う な も の な の か 。 そ れ
は 、 身 体 ・ 精 神 が 正 し く さ れ る よ う な 習 慣 形 成 を 指 し て
い る 。言 い 換 え る と 、「 欲 望 を 制 限 し 、理 性 が 最 善 と し て
示 す も の に 純 粋 に 従 う こ と が で き る よ う に な る 」 こ と を
意 味 す る 。 こ の 習 慣 形 成 は 、 幼 い と き か ら 行 わ れ る べ き
で あ る と ロ ッ ク は 主 張 す る 。
ロ ッ ク が 唱 え る 「 習 慣 形 成 」 で は 、 で き る 得 る 限 り 少
な い 規 則 を 子 ど も た ち に 実 践 さ せ 、 そ れ を 繰 り 返 す こ と
に よ り 、 習 慣 化 を 図 る と い う も の で あ る 。 一 度 で き
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教育学
ジョンロック
習慣形成
処罰法
550 販売中 2007/06/23
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現在の道徳教育の課題について述べよ。
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「現在の道徳教育の課題について述べよ。」
道徳教育とはどのようなものか。
まず、道徳とは社会生活の秩序を存続するために個人が守るべき規範の総体であり、それらを身につけるために道徳教育が学校において設けられている。
2.日本の道徳教育について述べる。
今日の学校での道徳教育は、学校の教育活動の全体を通じて行われるものとされているが、さらにそれを補充し深化し統合するためでもあるのだ。しかし、今日の道徳問題は単に学校という枠の中だけではなく、家庭や地域社会や機能社会の全体にわたって密接不可分な関連をもって、大規模な展開をみせているのである。道徳教育をするうえで学校教師は、自分自身で人生の意味を発見できるように彼らの生活経験領域を意図的に計画的に整備しておくことが必要である。
学校道徳教育の課題となるのは、児童生徒が人生の意味についての感受性を敏感にさせることができるような、六領域の生活経験について検討してきた。これらは、児童生徒の道徳性の育成のための基礎であり、また文化的・宗教的な背景が何であったとしても、すべての児童生徒の道徳教育の基礎となりうるものであるのだ。
現代社会における学校道徳教育は、あくまでも人類全体に開かれた普遍的な目的を持ったものでなければならない。また、人間として真に生きるに値する生活を実践することができるような価値の発見へと導いていくような知性と感受性を育成していかなければならない。そのような人生の意味についての探究は、単に何のために生きるのかという目的感覚だけでなくて創造的に生活するための精力と活力とを児童生徒の身につけさせることが出来るようになるのである。
欧米の道徳教育の歴史的変遷について。
古代の道徳教育は「徳の教師」と自称する「知識人」(ソフィスト)の代表者プロタゴラスとその批判者ソクラテスとの間で行われた「徳は教えられるか」についての論争がおこった。この問題は、プラトンの「メノン」では、教えられる唯一のものは知識であると述べられている。従って、「徳が知識であれば教えられる」のである。「徳は知である」ということが証明され、「徳は教えられる」という証明にならなければならないのであるが、出された前提は、物事をおしえるにはどうしても教師が必要であるということである。しかるに徳には教師はないといえるのだ。
批判者であるソクラテスは「徳を教える教師もなく、徳を教える方法もない。」と言った。ようするに、徳の教師はないということであり徳は教えるものではなくして徳によって化かせられるのである。徳の知見は、徳ある人との行為的な関連によってしか学ぶことができないのである。それに対してプロタゴラスは、世の中の人々の憤りや懲罰や叱責が存在するという事実を注目して、徳は教えられると主張した。つまり、現実の世の中では子どもと同じ水準の精神構造をもつ大人に対して、細心の注意を払いながら懲罰などの外的圧力を用いることによって徳を他律的に教えているではないか。それゆえ徳とは何かと言うことは、まった自明の事実であったのである。プロタゴラスが主張する道徳教育は、世間でおこなわれているようなごく普通の道徳訓練であったが、これに対してソクラテスは子どもではなく青年を対象として永遠不滅の徳の理論を求めることを目標に掲げて、問答法を用いて道徳教育を進めようとしたのである。
ソクラテスの弟子プラトンは、子どもの道徳的成長を発達段階的にとられ、子どもが理性的になるまではプロタゴラス的立場を、また、理性的になればソクラテス的立場をそれぞれ採用するという考えを示したので
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教育学
道徳
教育
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道徳教育の研究
550 販売中 2007/06/24
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ペスタロッチーの教育学(直観の原理など)について
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「ペスタロッチーの教育学(直観の原理など)について考察せよ。」(第一設題)
ペスタロッチーの教育学の特徴は、「直観」と言う言葉で言い表すことができるだろう。ペスタロッチーは「私は、むしろ、人間本性の本質の中にあって、すでにそれ自体真理であり、この人間本性そのものの自主性の作用である教育の出発点を認めております。」と述べているとおり、子どもには将来発展する資質が備わっており、この資質が子どもの内から発展するように助成するのが教育と考えている。子どもは生まれながらには未だ動物的であるにすぎず、この動物的衝動を根絶することが教育なのであると考える古い教育観に真っ向から反対する。真への認識、美の感情、善の力、これらは全て子どもが生まれながら有しているものであり、教育者は子どもの内的本性が自ら実現していくのを援助すること専念しなければならない。子どもにはすでに将来成長する能力を内的に有しており、この能力を自然に即した形で伸ばしていくことが重要であり、この教育法を「有機的、発生的」であると呼んでいる。子どもの内的素質を重視するという点で「有機的」であり、また自発的な成長を即している点で「発生的」でもある。人間を自然な形で道徳的状態にもたらすことが教育の目的とされている。
彼は「直観の原理」を教育方法の重要な柱に置いているのである。では直観の原理とはどのようなものであると述べると「直観と感情とは、子どもの内的な能力の所産としてすでに本源的に人間的で、精神的かつ道徳的であります。人間は直観と感情を、まず最初に知覚し、まさにそのことによって直観と感情それ自体と人間の内的なるものとを知覚する外界の対象から分けて、純粋に自由に直観され、感ずるのです。直観と感情とは児童と人類の純粋に人間的な、純粋に精神的な、また純粋に道徳的な文化のすべての単純な、不変の要素となり、また要素であるのです。」直観はすべての認識の基礎であるので、教育方法はまず直観的でなくてはならないとされる。しかし、曖昧な直観を明瞭な概念にすることが次に求められる。それは、直観において受け取ったものは、曖昧で混乱しているからだ。直観はまだ素材であり、概念的には不明瞭であるので、直観を分離、結合して、秩序を与え、明晰判明な概念にまで高めることが求められる。彼が言うには明晰判明な概念にまで、高めるという作業が必要になってくる。それゆえ、彼の教育方法は段階的・漸次的な教育方でもあった。それは彼の「我々の認識は混沌から規定へ、規定から明晰へ、明晰から判明へと進むのです。」ということからも明らかである。初等教育において「直観の原理」という彼の教育法を中心に沿えて考察することが求められるではないだろうか。
つぎに彼の理論の中で注目すべき点は「直感のABC」という学習の方法論であろう。上記に示したとおり、彼は直観の重要性を説いた。その中でさらに彼は直観が三つの根本的要素から成り立っていることを発見しその三つの基礎的部分を学習することが重要であるとした。三つとは、簡単に言うと「数」、「形」、「語」の三つである。それぞれを「如何に」「どのように」と考えることで根源的要素にまで遡って単純化し、その要素から確実性を有する合自然的な教育の実行が可能とされる。
「語」の教授のおいて、まず単純化された要素から順々に教育が行われている。親は子どもの注意力を刺激するために、簡単な音(バババ、ダダダなど)を発音して聞かせることで話のできない子どもたちは聞いた音を繰り返すようになる。これを発音教授という。次に親は子どもに物の名前を教える。名称
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教育学
教育原理
ペスタロッチー
直観の原理
A評価でした。
550 販売中 2007/07/15
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ジョン・ロックにおける子どもの教育論
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「ジョン・ロックにおける子どもの教育論、特に慣習形成や賞罰法を中心に述べよ。」(第二設題)
「人間の精神は白紙(タブラ・ラサ)であり、教育とは精神に印象を刻み込むことである」
ジョン・ロックの教育論について語るにおいて、タブラ・ラサ説から入っていかなくてはいけない。タブラ・ラサとは心の中には生まれながらに刻み付けられた観念や原理はないという考えのことである。「そこで、心は、言ってみれば文字をまったく欠いた白紙で、観念は少しもないと想定しよう。どのようにして心は観念を備えるようになるか。人間の忙しく果てしない心像が心にほとんど限りなく多種多様に描いてきた、あの膨大な貯えを心のどこから得るか。どこから心は理知的推理と知識のすべての材料をわがものにするか。これに対して、私は一語で経験からと答える。この経験に私たちはいっさいの知識は根底を持ち、この経験からいっさいの知識は究極的に由来する。」と彼は述べている。子どもは生まれた時はまだ何の観念も持っていない白紙の状態なので、教育によってさまざまな観念を獲得するようになるという。ロックは子どもの教育は経験的な訓練から始めるよう主張する。感覚を通じて、さまざまな知識や経験が心の白紙に書き込まれるのである。
もし幼少期に子どもに謝った知識や経験を与えると、一生誤った観念を持つ危険性もある。「観念はきわめて安易に結びつく傾向を持っており、それが慣習化すると非常に強く思考を誤らせる結果となる。」とロックは述べている。正しい方法で正しい知識と観念を子どもに教育することが求められるのは彼が述べていることからも想像に難くない。
しかし、正しい教育をすれば、誰でもすばらしい人間になれるのかという疑問が生まれてくる。彼が述べた理論には、楽観的教育論が潜んでいるのは事実である。教育さえすれば立派な人間が生まれるという教育万能論に結びついてくる。
ロックの教育論は紳士教育論とも言われている。紳士になるために子どものときの親の教育の重要性を述べている。紳士とは健全な身体と道徳と知識を持っている人のことを指す。ロックは親が子どもを甘やかしすぎ、必要な訓練を行っておらず、欲望を抑えることを覚えず、理性を育てきれていないと嘆いていた。これは現代にも通じることで甘えと嫌われるのが嫌だという考えから、幼少期の子どもに必要な教育を行わず、機嫌取りや子どもの欲望を満たすことに必死になっている。子どもに理性的な感情を与えるのを、必要な訓練からあると述べている。それは「若いときに、自己の意志を他人の理性に服従させることになれていない者は、自己の理性を活用すべき年齢になっても、自分自身の理性に傾聴し従うことは、めったにない。」と述べている。したがって、両親は子どもに、両親の意志に従うように教育すべきである。精神的に訓練されれば、子どもは自分の理性をコントロールでき、欲望がいろんなところに動いても、理性が最善と示す方向に純粋に従うことができるようになる。厳しく教育はすべきであるが強制的であってはならない。威圧的な態度で子どもに向かうのではなく、完全にできるまで子どもたちに何回も繰り返してやることが重要である。繰り返し行為を行うことで記憶ができ、習慣づけることで容易に、自然に、おこなうことができる。親が子どもを教育するときには、少しの規則と反復的訓練によって、精神的に正しい方向に導いていくことができるのである。
良いことをすれば褒め、悪いことをすれば叱る。賞罰とはこのようなことを言う。ロックは、鞭による罰を禁止する、単に外から、威圧を加えることをよしとしな
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レポート
教育学
教育原論
ロック
習慣
賞罰
A評価でした。
550 販売中 2007/07/15
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教育原論 第1設題
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『ペスタロッチーの教育学(直観の原理など)について考察せよ。』
ペスタロッチーは、ルソーと同様に、子どもには、将来発展する素質が備わっており、この素質が子どもの内から発展するように助成するのが教育と考えている。ペスタロッチーは、子どもは生まれながらには、未だ動物であるにすぎず、この動物的衝動を根絶することが教育なのであると考える古い教育観に真っ向から反対する。
真への認識、美の感情、善の力、これらは全て子どもが生まれながら有しているものであり、植物が発芽し成長し花を咲かせ実となっていくのと同様に、教育者は子どもの内的本性が自ら実現していくのを、援助することに専念しなければならない。逆に、子どもの内的本性に備わっていないものを、外部から注入することは、教育にふさわしくない。従って、ロックのようなタブラ・ラサ(精神白紙説)とは異なる教育観を見出すことができる。すなわち、子どもの本性は白紙ではなく、すでに将来成長する能力を内的に有しているのである。この能力を自然に即した形で伸ばしていくことが重要であり、ペスタロッチーは、この教育観を「有機的・発生的」と呼んでいる。子どもの内的素質を重視すると
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子ども
宗教
道徳
ペスタロッチー
言語
人間
学習
直観
ペスタロッチ
自然
550 販売中 2009/06/30
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教育原理 最終科目試験
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ペスタロッチーの直観の原理について。
ペスタロッチーは、子供には将来発展する素質が備わっており、この素質が子供の内から発展するように助成するのが教育と考えている。「直観の原理」はペスタロッチーの教育方法の重要な柱である。直観はすべての認識の基礎であり、教育方法はまず、直観的でなくてはならないとされる。しかし直感において受け取ったものはまだ曖昧で混乱している。そのような曖昧な直感を明瞭な概念にすることが求められる。直観はまだ素材であり、概念的には不明瞭なので、直観を統合し、秩序を与え、明瞭判明な概念にまで高めることが必要である。「人の認識は混沌から規定へ、規定から明晰へ、明晰から判明へと進む」というのがペスタロッチーの考えで、そのため、ペスタロッチーの教育方法は段階的・漸次的な教育法でもあった。直観は3つの根本的要素から成り立っていて、その3要素の基礎的部分を学習することが重要である。3つの要素とは、数・形・語、つまり、目の前に写っているものは一体幾つか、それらはどのように見えるか、それらの輪郭はなにか、それらはどのように呼ばれているか、またその音をどのように再現するかの3つである。あら
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佛教大学
英語 科目最終テスト
合格済み
550 販売中 2009/07/03
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初等教育原理ⅠⅡ②
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初等教育原理Ⅰ・Ⅱ
2単位目
1.エリクソンの心理的社会危機について説明し、さらに児童期までの危機の段階を説明せよ。
現実生活の中では,個人は対人関係や社会的・文化的側面からの多くの制約を受け、それによってたえず情緒的葛藤を余儀なくされている。
エリクソンは、自我の形成過程に影響を与える葛藤の情況を特に「心理社会的危機」とよび、発達過程に乗り越えるべきいくつかの危機があることを明らかにした。乳児期から児童期までの心理社会的危機について以下に述べる。 1)乳児期(0才歳)【信頼対不信】乳児期では乳児自身が母親、もしくは母親に代わる養育者との接触をとおして人間として基本的な信頼を構築できるかが課題といえる。この時期に養育者との接触が少ないと人に対しての愛着感情に乏しく、不信感を抱くことになり、無表情、または過剰に泣くなどの状態になりやすい。 2)幼児前期(1,2歳)【自律対疑惑】一人歩きや排泄が自分で行えるようになるなど自分自身をコントロールする、自律が課題となる。知能や運動機能も発達し、行動域が広くなり今までは養育者に委ねてきたことも自分自身が行うことで達成感を感じることができる。達成感
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日本
社会
心理
発達
学校
学習指導要領
地域
国際
児童
大学
550 販売中 2010/11/01
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算数科教育法の歴史
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算数科教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。上記を踏まえ、2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴について述べ、その教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。
⇒江戸時代の算数教育の特徴として、庶民は寺子屋等を通して、算盤などを用いた珠算など実学的な算数(算用)を学んでいた。明治時代初期になると、欧米の様々な教科書が翻訳・紹介され、多様な教科書を用いて、比較的自由な算数教育が展開されていた。ペスタロッチの直観主義を思想的背景として、算数は数と計算の内容が中心となり、計算で
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算数科教育法の歴史
レポート
A判定
550 販売中 2009/07/08
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Z1110_教育相談の研究
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『学校カウンセリングの意義、方法および今後の課題について述べなさい。』
カウンセリングとは、一般的には訓練を受けた専門家が、クライエントに対して、言語的手段を用いて、治療・援助する方法である。しかし、教育現場におけるカウンセリングではそれにくわえ、生徒・児童の問題を予防するため、よりよい生き方を求めるためなど、日常的な教育活動の中にもその理論や技法を活用させるべきであると考えられる。つまり、治療的なカウンセリングだけでなく、開発的なカウンセリングを含むことが大切である。
治療的カウンセリングは、カウンセラーが専門的な技術や知識を用いてクライエントの症状や病気を治療するものであり、専門的カウンセリングとも言える。主に神経症の患者を対象に行われるが、イド・自我・超自我の大小関係が固定した大人では、これらの関係よりも自我における意識・無意識の関係における治療法が検討される。しかし児童・生徒における三者は常に発達的で流動的である。問題行動によっては発達のある段階での一時的なものであり、三者の関係のアンバランスを修復することを目指し、これによって問題行動の改善を図ろうというものである。
発
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佛教大学
佛大
通信
Z1106
教育相談
教育相談の研究
550 販売中 2009/07/13
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教育の方法と技術1分冊
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教授活動は様々な形態があり複雑であるが、5段階に分けたものが一般的なモデルである。
まず、第一段階として「授業目標を設定する」ことである。その目標は、学習指導要領などに基づいて用意されることが多いが、現実の具体的な目標を設定するのは教師の仕事である。そこで重要なのは、検証可能かつ明確な形で、妥当性のある目標であるということだ。
つぎに、第二段階として「学習者の事前調査」である。第一段階で設定した目標に対して、授業の対象となる生徒がどの程度の位置にいるのかを把握することである。生徒の実態を知ることで、授業目標の変更を行うことも可能になる。
そして、第三段階は「授業計画の決定」である。第一段階で設定された目標を、生徒にどのようにして達成させるかの方法を考える段階である。どのような教材、内容、順序、指導形態をもって生徒に働きかけるかを決定するのである。この授業計画の決定は、教師の重要な技能であり、この内容によっては初めに設定した目標を変更しなければならないということも起こってくる。決定された授業目標及び授業計画の設計は、「学習指導案」の形にまとめられる。
第四段階は、「狭義の教授活動」であ
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教師
評価
授業
児童
学習
生徒
指導
目標
方法
理解
550 販売中 2009/07/23
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新しくなった
ハッピーキャンパスの特徴
- 写真のアップロード
- ハッピーキャンパスに写真の
アップロード機能ができます。
アップロード可能なファイルは:doc .ppt .xls .pdf .txt
.gif .jpg .png .zip
- 一括アップロード
- 一度にたくさんの資料のアップロードが可能です。 資料1件につき100MBまで、資料件数に制限はありません。
- 管理ツールで資料管理
- 資料の中から管理したい資料を数件選択し、タグの追加などの作業が可能です。
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