連関資料 :: 教育

資料:11,595件

  • ジョン・ロックにおける子どもの教育
  •  ジョン・ロックの提唱した教育論、すなわち紳士教育とは一体どのようなものであろうか。  まず、『紳士が健全な身体と道徳と知識を持っている者』であることを押さえなければならない。そしてそれを最終目標としたのが紳士教育である。ロックは紳士が『理性、宗教、良きしつけを基礎として育成されるものとした』。そしてそれは『日々の道徳教育機関である家庭によって達成しうる』と説いた。すなわち、ロックは家庭教育こそ教育の原点であると考えたのである。
  • レポート 教育学 教育 心裡 小学 歴史
  • 550 販売中 2006/03/10
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  • 理科教育における自然の教材化
  •  日本の国土は南北に長く弧状列島であり、大陸のはずれに位置しているため、北と南、太平洋側と日本海側とで著しく気候が異なる。理科教育においては、「自然は自然から学ぶ」ということが大前提であるために、このように著しく違う地域で特色がある「地域の自然」を教材化して使うことが求められる。  また、子どもの自然認識においても、子どもが「事実を認識」し、「原理・法則的認識」に至り、そこから「世界了解的認識」を得るために、子供たちの日常生活と関わりのある地域の自然を教材化することが有効である。  さらに、理科教育の目標は「情意的目標(自然に親しみ自然を愛する心情を育てること)」と、「能力的目標(自然の事物・現象についての理解を図ること)」に分けられるが、これらを子どもにとっての「自然=地域の自然・子どもが生活する自然」の中で培うことによって、「環境を大切にするということを主体的に考える」ことにつながるのである。  環境教育の目的は、「自然と人間とのかかわりを考えることのできる人間の育成」であるが、この目的を達成するためには、幼児期や児童期の豊富な自然体験が不可欠なものとなる。
  • レポート 教育学 理科教育 自然 教材
  • 550 販売中 2006/03/15
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  • 【早稲田大学】教育実習の報告
  • 1、 教壇実習、教材研究  最初の1週間は授業の見学をした。このとき感じたことは、歴史の授業は興味深いエピソードや雑談がないと教科書さえ開かない生徒がいるということである。そこで生徒の興味のも持てる授業をすることを目指し教材研究を行った。  教科書では1行しか書かれていない史実のために本を読み理解を深めることが必要だった。関が原の戦いの場面のプリント配布、江戸時代の寛永通宝のモデルをつくってクイズを行った。また被差別民族の所でも現在(2005年)の部落問題も取り上げ、興味・関心を生徒がもてるよう留意した。
  • レポート 教育学 教職 歴史 教師
  • 1,100 販売中 2006/03/23
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  • 生きる力を育む教育方法とは
  • 今日あらゆる場所で「生きる力」についての議論が行われており、教育界の中で、「現代の子供達の生きる力の低下」は大きな問題となっている。一概に生きる力と言ってもいろいろであろう。人と上手にコミュニケーションをとること、基本生活をできるようにさまざまな慣例を学習すること、また今の激しい競争社会に打ち勝つようになるのも生きる力といえるであろう。このように生きる力といってもさまざまだと考えられる。ではそれら全てに共通する生きる力とはどういう力なのであろうか?一般に生きる力は自分問題をみつけ、自分の力であらゆる方法を考え解決していく力、また他者と協調し社会の一員とし人間らしく生きていく力と言われている。それでまず私は、全ての生きる力の根本にある力について考え、そしてその根本にある力をのばす教育方法を考えていくことにより、真の生きる力を育む教育方法を考えていきたい。では現在の子供達を見て、どんな点に生きる力の欠乏を感じるのであるのであろうか。例えば、今目標を持たない、持つことのできない大人も多くいる。コミュニケーションがとれず、なかなか自分以外の人間とつながりあえないのである。
  • レポート 教育学 生きる力 ソクラテス デューイ
  • 550 販売中 2006/04/01
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  • 大正新教育運動の展開
  •  都市中間層を主たる担い手とするデモクラシー思想の浸透→教育・文化にも及ぶ臨時教育会議(1917〜19)における決定事項が具体化、実施される 【大正新教育運動】 ヘルバルト主義の形式化された教育、教師中心の教育方法を批判・克服し、児童中心の教育を主張 教育方法論を中心に、教育内容論には及ばず(→天皇制体制下の臣民の育成は前提) 新教育の広がり 1917(大正6)/4 澤柳政太郎、成城小学校を創設 教師5名、児童35名から出発、野口援太郎ら顧問 教科教授の始期をissueに → 尋常科1〜3年の修身科を廃止 1921(大正10)/8/1〜8 八大教育主張大会 in東京高等師範学校、大日本学術協会主催 「自学教育論」樋口長市(東京高師教授、50) 「自動教育論」河野清丸(日本女子大附小主事、48) 「自由教育論」手塚岸衛(千葉師範附小主事、48) 「一切衝動皆満足論」千葉命吉(広島師範附小主事、41) 「創造教育論」稲毛金七(雑誌『創造』主催者、34) 「動的教育論」及川平治(明石女子師範附小主事、46) 「全人教育論」小原国芳(成城小主事、37) 「文芸教育論」片上伸(早稲田大学教授、ロシア文学者、37) 全国から二千人を超える教員が集まる 自由教育ブーム 「八大教育主張」『新教育学大辞典』 1924(大正13)/4 野口援太郎ら、池袋児童の村小学校を創設(〜1936) 教育方法上の革新運動をおこすことを目的 学費年98円(月8円) 初年度約60人の児童、1学級20人程度 親の職業‐実業、会社員、官公吏がほとんど 「私立池袋児童の村小学校要覧」(梅根悟『資料日本教育実践史1』) 1929(昭和10) 富士小学校長上沼久之丞の調査  新教育の学校は全国で公私立、師範附属、合わせて55校  私立、師範附属にとどまらず、公立小学校にも浸透する
  • レポート 教育学 教育史 大正自由教育 大正デモクラシー
  • 550 販売中 2006/01/11
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  • 資本主義確立期の教育
  • <初期議会と教育> 1885(明治18) 内閣制度確立 憲法草案審議 1889(明治22)/2/11 大日本帝国憲法発布 1890(明治23) 第1回総選挙、11/29 帝国議会開会 民党過半数、基盤は地方有力者(耕作農民の幅広い支持) 歳出予算を切り詰めて地租軽減を図る 「政費削減・民力休養」 帝国大学予算大幅に削減、第一、第三を除く高等中学の予算全廃 帝国大学・高等中学批判 義務教育に対する国家の財政援助の要求 民党、大日本教育会など、義務教育の授業料廃止を要求 1890(明治23)/5 伊沢修二、全国教育者大会開催、国立教育社結成、国庫補助要望の議論を起こす 1892(明治25)/8 国立教育期成同盟会結成、小学校教育費国庫補助運動開始 主意書「第一 国立教育とは公費を以て国民一般に必須の教育を受けしむるを云ふ 第二 国立教育の目的を達するの第一着として小学校教育補助金を国庫より支出する法律を制定せられん事を帝国議会に請願すべし」 同年12月 請願署名を帝国議会に提出、採択 ↓ 第2次伊藤内閣文相井上毅 「文政の基本大綱」を閣議に提出、国庫補助法案の立案を開始 第五議会に小学校教育費補助法案を提出、一方で箝口訓令 (5年以上勤務した正・准教員に対する加俸、教員の政治的中立性の確保を目的) 議会解散により廃案 1894/1 文部省、貧窮のため就学免除された児童に対し若干の教育補償 <都市貧民層の形成と児童労働> 1890年代、製糸業を中心とする軽工業部門の産業革命が進展 産業構造の変化 幕藩体制下の職人の賃金労働者化 封建家臣団の解体、都市へ流入、貧民社会の形成 児童就労 農村の就学率低い、小作地率の高い地域では顕著
  • レポート 教育学 明治期 教育 教育史
  • 550 販売中 2006/01/11
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