連関資料 :: 文化

資料:490件

  • 朝鮮の歴史と文化
  • 朝鮮の歴史と文化 関東大震災  1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲った。相模湾を震源地とする大地震の襲来であり、相模湾の南西部の深さ1300mの海底が、長さ24km、幅2kmから5.5kmにわったて陥没した。反動で相模湾の北東部では海底が100m以上も隆起した。相模湾に沿ったところでは、列車の転落など地震の直接被害が大きかった。小田原では崖は崩れ、橋は落ち、建物は崩壊し、多くの市民が亡くなった。地震直後、東京ではたちまちにして火事が起こった。人家の密集していた東京の震災被害は、震源に近い相模湾沿いの地域に比べて火災被害によるものが圧倒的に多かった。東京において全死亡者のおよそ85%が焼死であった。 関東大震災時における日本の朝鮮政策  震災の混乱の中で、朝鮮人による暴動が起こっているという流言が人々に広まった。流言が簡単に信じられた最大の理由は、多くの日本人が、非常の場合など何かあったときには朝鮮人が襲ってくるかもしれないと恐れていたからである。日本人は、官憲も民衆も、朝鮮人に襲われるかもしれないと思うほど、強く恨まれていると確信していた。そのように確信するには理由があるが、その理由は朝鮮人の側にあるのではなく、日本政府の朝鮮政策にあった。朝鮮を植民地にしてから、1910年より1918年にかけ、日本政府は、朝鮮においては近代的な土地所有権制度が確立していないとの理由から、大規模な土地調査を行った。その調査によって土地所有権を確認しようとしたのであるが、真の目的は違うところにあった。調査は土地の利用者に所有権を届け出させるものであった。届出がなかったり、所有権があいまいであった土地は、指導や仲裁をして実際の耕作者の権利関係をはっきりさせたのであれば、それなりに土地制度の近代化に役に立ったのであろう。しかし日本政府は、届出のなかった広大な土地を所有権者がいないものとして朝鮮人耕作者から強権的に取り上げてしまった。ここに土地調査の真の目的があったのである。識字率の低かった朝鮮にあっては、多くの朝鮮人耕作者には、所有権の意味、届出や、まして届出しなかったことによる効果の意味がわからなかった。そのため届出がなされなかった土地が多かった。これを利用したのだ。届出がなかった土地は、所有権者がいない土地とされ、詐欺的に耕作者などから取り上げられ、日本関係の土地とされた。それはそれまでの朝鮮における土地利用の慣行をまったく無視したものだった。  土地を奪われた朝鮮人は、働く手段を奪われたのである。彼らは土地を離れて、生活のための職を求め、北部の者は主に満州へ流れ、南部の者は日本に入ってきた。土地を奪われた者は、土地調査の意味がよくわからない、文字の書けない下層農民がほとんどであった。したがって日本に流入してきた朝鮮人の大半は、流入の経緯からして、下層の識字できない者が多かった。そのような経緯で来日した朝鮮人は、知らないうちに土地を奪われ土地から離され、異国である日本に来て、そこで激しい民族差別、同時に貧困による差別を受けたのであり、日本を恨まないはずがない。程度の差はあれ、日本に対して何らかの恨みを持っている、と多くの日本人、特に支配層の日本人が考えていた。 埼玉県における朝鮮人虐殺  <大里郡熊谷町を中心に>  埼玉県大里郡熊谷町、現在の熊谷市は関東平野の北部寄り、秩父山塊に源流を持つ荒川の中流域に位置している。震災による、埼玉県における建物被害は全壊4562戸、半壊4348戸である。埼玉県でも県南部の被害はかなりのものになっていたが
  • レポート 史学 関東大震災 朝鮮人虐殺 朝鮮人の歴史
  • 550 販売中 2006/12/30
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  • 犬食文化について
  •  平安京の人々の生活を学んで驚いたことは、やはり犬の肉を食べていたということだった。中国などで犬を食べるという話はきいたことがあったが、日本で食べられていたとはまったく知らなかった。 しかしすこし調べてみると、東アジアでは犬を食べるということは特に珍しい話ではなく、むしろ食べないほうが珍しい話であるという。 農村的社会、都市的社会では犬は敬意の対象ではなく、卑しまれるか食の対象だった。 一方犬を食べない地域には二種類の考え方があり、一つは犬を生活の友としてみなす考え方。もう一つは犬を穢れたものとみなす考え方である。前者は牧畜、遊牧、狩猟社会に多く見られ、後者は都市的社会でありながら都市的社会でありながら食用動物として見做すのではなく、穢れた動物として卑しむ傾向を強めた地域である。
  • レポート 史学 犬食 食文化 平安
  • 550 販売中 2006/07/19
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  • アメリカの食文化
  • アメリカの食文化は、どのような文化であろう。国土が広大で歴史的な変化に富む国であるがゆえに、その問いに答えるのは難しい。アメリカの食事といえば、ハンバーガーやホットドッグ、フライドチキンなどの、いわゆる「ジャンクフード」を思い浮かべることが多いのではないだろうか。そして、スナック菓子や甘い飲み物やお菓子を食べ、食べる量は膨大な量であるというイメージだ。 しかし忘れてはならないのは、アメリカ人の古きよきものを愛する精神である。アメリカ人は信仰心が篤く、さまざまな行事を重んじ、その伝統を大切にしている。この精神は食べ物のも表れており、中でも日本人にもなじみがあるのはクリスマス料理である。クリスマス
  • レポート アメリカ 食文化 クリスマス 感謝祭
  • 550 販売中 2007/09/24
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  • フランス文化の特徴
  • 象徴的な舞台としてのパリ  フランスの文化の特徴を語るときに「文明」という語を使うのは混乱を招きやすいかも知れないが、今「文明」という語を、ある水準以上に発達した市民社会における、いわば歴史の厚みとともにある文化の総体と理解すれば、フランスはまぎれもない文明社会である。そして、たとえパリの地下鉄に古めかしい装置が残っていようと、家庭用電化製品がいくらか遅れていようと、パリの警視庁や郵便句などの下級公務員がどれほど勝手で無能で、しかも威張りくさっていようと、いやもしかしたらそういう側面を含んでいるからこそ、パリという都市はフランスを代表する。  一つの国の首都がその国のありようを代表する、—————たぶんパリほど、そういう意味で「首都」である都市は他に例を見ない。例えば東京は確かに日本の活力を代表する。しかし、東京と大阪の二つを考えなければ、いやもしかしたらそこに京都を加えなければ、日本の文化構造は浮かぶあがって着ないだろう。パリはフラン文明を代表する。あるいは、フランスの文化はパリという象徴的な舞台の上で、その特質を実に鮮やかに演じているといってもいい。文学や美術がら料理やファッションにいたるまで、いや、すこしふざけていえば、ずいぶん小さいけれど、ブドウ畑だってモンマルトルにある。ないのは農業国フランスを象徴する広々と広がる小麦畑くらいだが、それだってパリから車で一時間も走れば見えてくるのだ。 開かれた姿勢—————新しさの追求と伝統の再検討  オスマンの改造やミッテランの「大計画」に見られる、いわば規範的制度を強調する力学構造は、ただ単に都市空間に現れるだけではない。外見上の優美や安定や調和の背後に、強い力学的な緊張があること、あるいは逆に力学的な緊張や拮抗が、終結点としての古典主義という規範をたえずめざそうとするありよう、それはフランス文化のさまざまな分野に共通して見られる特徴なのである。
  • レポート 象徴的な舞台としてのパリ 追求と伝統 開放性 フランス文化 ミッテランの大計画
  • 550 販売中 2005/12/06
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  • 纏足の文化
  •  纏足は10世紀頃妓女の間で流行し、やがて上流階級の間に、南宋以降には民間に広まり、明清時代に最も盛んになった。その広まりの原因は、もともと漢民族が足に対して特別な感受性を持っていたことや、宋の時代に始まった、厳粛主義化された新儒教の影響があげられる。これによって女性の劣等性や男女の厳格な分離が強化され、女性に貞操を強調するものになり、纏足という女性を囲いの中に閉じ込める文化を賞賛することになったのである。これ以来、極端に小さく、先の尖った足が美女であるためになくてはならない属性にまでなった。明清代のなかでも清代は纏足の最盛期である。1664年に康煕帝によって出された満州族婦人の纏足を禁止する纏足禁止令があったので、満州の女性は足を縛ることはしなかったが、つま先が細くなった靴を履いた、漢族の女性の纏足の歩き方をまねた。このように禁止されていたにもかかわらず、纏足は女性にとって魅力的なものに映った。この頃になると纏足は美人の条件だけでなく、結婚の条件にもなっている。  では、ひどく身体的苦痛を伴うと言われている纏足の「見せる」部分、魅力とは何だったのであろうか。  まず、足というのは男性器の象徴、靴は女性器の象徴とされてきた。つまり「足」という部分がもともとエロティックなシンボルであったことがわかる。また、漢民族は足に対して特別な思い入れがあったことから、細く、小さく弱弱しい女性の纏足はまさに肉体的な性的魅力であった。  中国の纏足は文化人類学的には一種の身体変工である。身体変工とは人体の特定部分に対して長期的もしくは永続的に変形させる習俗であるが、この動機・目的には、神話的裏づけを持つもの、呪力をもつためなどさまざまある。この中国で行われた纏足では、美の理想に近づくため、性的魅力を持つためである。
  • レポート 史学 中国 纏足 オリエンタリズム
  • 550 販売中 2006/02/09
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  • 恥と罪の文化
  • 講義の中で、日本人とキリスト教を重んじでいる国の人との考え方の違いを学ぶことの出来た「恥と罪の文化」というテーマについてもう一度調べ、理解を深めると共に、日本人の文化や意識の現状について考察した。   日本の文化では、「人に迷惑をかけるような恥ずかしいことはしない」というのが道徳の基準となっている。 多神教の日本では、神や仏の意識はそれほど強くない。強く意識するのは世間の目である。狭い日本、多くの人間の中で生活して行かなくてならないので、常に他人の目を意識しないわけにはいかないのである。怖いのは神や仏ではなく、他人の目であり、他人の口ということになる。他人に笑われたくない、恥をかきたくない、これが日本人の行動を規定している。つまり、正しいかどうかで行動を決めるのではなく、世間がそれをどう思うかで、自分の行動を決めるのだ。これが「恥の文化」と言われるものである。 「恥の文化」の長所は、人からどう見られるかを大切にするので、周囲に対して気遣いや心配りをしていく面が挙げられる。また、体裁を気にかける文化であるので、謙虚さや協調性などが身についていく。これは日本人の美徳とする部分でもある。
  • 日本 文化 道徳 思想 人間 日本人 自分 行動 変化
  • 550 販売中 2009/06/05
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  • 朝鮮の歴史と文化
  •  2002年も残すところ数ヶ月となったころ、日本中に激震が走った。80年代に全国各地で起こった多くの失踪事件について北朝鮮が拉致した事実を公表し、生存者の一時帰国を認めた。工作員をもぐりこませ、自国の発展のために他国の無関係な人々を拉致・拘束するというのは、常軌を逸しているとしか思えない許されない行為である。帰国できた人はまだいいが、若くして亡くなった人の家族は悔やんでも悔やみきれないだろう。生存を信じて長年捜索活動を続けてきたにもかかわらず、死を知らされたときの悲しみは計り知れない。私は鹿児島県出身で、83年ごろに鹿児島の吹上浜で北朝鮮に拉致された増元るみ子さんの家族が、街頭でビラを配って情報提供を呼びかけている姿を何度か見かけたことがある。涙を流しながら道行く人々に訴えかけていた姿は、今でも忘れられない。しかしその活動が実を結ぶこともなく、北朝鮮の身勝手な行動で拉致された事実が発覚し、そのまま現地で亡くなったという残念な結果になってしまった。家族のことを思うと心が痛む。北朝鮮は日本の要求に対して生存者の永住帰国を認めるなどの妥協策をとったが、依然として日本は北朝鮮に囂々たる非難をあびせている。さらに核開発の再開や、核弾道ミサイルの危惧、人民軍の異常な訓練の報道などが、それに拍車をかけている。少し前には朝鮮半島統一の気運が高まり、オリンピックの入場行進を南北合同で行ったり、南北首脳の間に平和的対話がなされたりと、それまで謎に包まれていた北朝鮮の姿が徐々に明るみに出てきたことで、「遠くて近い国」の観念もなくなりつつあったかと思ったが、今回の事件を期に、また元に戻ってしまった。むしろ悪くなったかもしれない。今ほとんどの日本人は、北朝鮮に対して悪いイメージを持っているだろう。実際私も北朝鮮に対してマイナスイメージを持っていた。
  • レポート 国際関係学 北朝鮮 拉致問題 韓国
  • 550 販売中 2006/01/12
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  • 日本におけるアニメーション文化
  • 「アニメ大国」と言われ、海外にも数多くのアニメ作品を輸出している日本、いったいアニメとはどのような意味を指すのか。そもそも日本ではアニメとは、単なるアニメーション(Animation)の略語であったが、現在では、「アニメ=日本製アニメーション」として世界に浸透してきている。アニメーションとは、画像の位置を少しずつ変えて描いた絵を一コマずつ撮影し、動きを与えたものである。元々、アニメーションは欧米から日本に入ってきた動画だったが、ディズニ−のアニメーションなどを参考に追いつけ追い越せという思想が、戦後日本独自に起こったマンガ文化と結びついたことで、独特の形で発展してきた。現在では、日本で一年に制作されるアニメの数は100本を越える。 1990年代に「日本のアニメが世界のアニメ」と言われるようになった。その代表作品には、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」(年表No.1439)、原作藤子・F・不二雄の「ドラえもん」(年表No.188)、原作鳥山明の「ドラゴンボール」(年表No.740)などがある。これらは日本だけでなく、世界的にも名作と認知されている。 アニメを見て育った私は、日本でアニメーション作品がたくさん制作され、評価されるようになったのはどうしてだろうか、と興味を持っていた。以前、アニメは子供が見るものだと言われていた。ディズニー映画もあるが、どちらかというと子供にターゲットを絞った作品が多かった。しかし、現在の日本のアニメには大人向け、子供向け、中高生向けのアニメなど様々なジャンルがある。
  • 論文 日本文化 アニメーション スタジオジブリ
  • 550 販売中 2005/07/09
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