連関資料 :: 文化

資料:486件

  • 文化理解の重要性――日本の事例から
  • 1.はじめに  グローバル化の進展は、人々に様々な文化と接触する機会をもたらすのと同時に異なる文化を意識させてきた。また、こうした意識はしばしば人々を異文化への理解ではなく異文化に対する反発の方向に導くことがあり、そうした反発・対立は紛争やテロといった形で表面化されることもある。例えば、2008年現在も継続中のコソボ紛争やダルフール紛争は、複数の民族・宗教・文化が存在する地域で起きている紛争だ。 もちろん国家や地域は、文化的要因だけでなく政治、経済、文化など様々な要因から成り立っており、国家・地域間の関係もそうした要因を反映したものになっている。しかし今回は、そうした様々な要因の中から文化に着目したい。そこで、日本をめぐる事例を2つ取り上げて、国家・地域間関係における異文化理解の重要性について考察した。 2.日帝風水謀略説 まず、異文化理解をめぐる日本と韓国の事例として、「日帝風水謀略説」(以下、日帝説とする)を紹介したい。日帝断脈説と呼ばれることもあるが、これは名前の通り風水思想に基づく説である。この説は、金泳三政権下(1993-98年)で行われた「歴史建て直し事業」の一環として、戦
  • レポート 異文化理解 日本 韓国 アメリカ 近代 国際関係
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  • 文化人類学課題(通過儀礼についての考察)
  • 桜の花が咲くころにメディアがいっせいに特集を組むものといえば、「とんでもない成人式」と、そう言われるようになってもう久しい。私達の世代の人間は、そういった成人式の形骸化とまさにリアルタイムで接してきたため、世の中の批判的な視線に対してそれを「向けられる対象」として、いまも青年期を過ごしている。今回は、形骸化された成人式を、客観的にみるだけではなく当事者として捉えることで、私達の世代の様相と通過儀礼とのかかわりを明らかにしていきたい。そのために、具体的な知見から、「二十歳」という年齢の持つ様々な意味合いを考察する必要がある。  私が成人式に参列したのは、三年前である。振り袖を着て写真を撮り、雪の降るなか式典に参加したはずなのだが、前後に会った友達の顔は覚えていても、肝心の式典の内容はさっぱり覚えていない。本当に自分自身で式に出席したのかも、定かではないのである。他に記憶にあるものと言えば、一部の出席者の異様な格好、態度である。メディアで取り沙汰されるほどではないものの、厳かな場であるという認識を持っていたならば、あのような服装や態度はあり得なかったことだろう。  しかしながら、そういっ
  • 文化人類学 通過儀礼 成人式 モラトリアム
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  • 科学とは何か--「二つの文化」論から「知のモード」論へ
  • 科学とは何か--「二つの文化」論から「知のモード」論へ 科学の独立と科学者の誕生  英語のscientist(科学者)という言葉が創られたのは1830年代のことであった。すでにscienceという言葉はあったが、philosophyとほぼ同義語として用いられており、ともに広い意味での知的探求(哲学)とその成果としての知識を意味していた。したがって、自然を対象とした知的探求は哲学の一部としての自然哲学(natural philosophy)であり、例えば、ニュートン(1642-1727)は、自然哲学者(natural philosopher)と呼ばれたのである。しかし、19世紀になると、philosophy(哲学)から、自然を対象とし実験や観察を方法とする固有の学問分野としてのscience(科学)が独立し、科学を探究する専門家としての科学者が誕生したのである。  「科学の独立」と「科学者の誕生」は、教育・研究の場としての大学の発展拡大と時期を同じくしていた。中世以来の伝統を有するヨーロッパの大学では、(自然)科学を教え研究する部門はなかったのだが、19世紀を通じて自然科学の教育・研究が次第に拡充強化され、科学者が養成されるようになった。従来の人文的伝統を中心とした大学・知識社会の中に、新しく科学的伝統が加わったったのである。科学は次々に新しい専門分野を開拓して勢力を拡大するとともに、20世紀に入ると技術と深く結びつき、「科学技術」として経済社会や政治に大きな影響を及ぼすに至った。 スノーの「二つの文化」論とクーンの科学論  科学の専門細分化と科学技術の影響力の拡大の結果、深刻な文化的危機が生じつつあるのではないかとの懸念が表明された。1959年、イギリスの著作家C.P.スノー(1905-1980)は「二つの文化と科学革命」と題された講演で、科学革命(20世紀前半における科学技術の発展をスノーは「科学革命」と呼んだ)の結果、西欧の知識人社会に大きな亀裂が生じつつあると論じたのである。すなわち、スノーは人文的文化(その代表としての文学者)と科学的文化(その代表としての物理学者)の間には越えがたい亀裂=溝があり、両者は互いに理解しあうことができず、言葉さえ通じなくなってしまっていると論じ、これは西欧文化における危機だと警鐘を鳴らしたのである。スノー自身、物理学者としての経験をもつ評論家・小説家という特異なキャリアの持ち主であり、文化の分裂に深刻な懸念を抱いたのであった。文化の分裂という危機に対するスノーの処方箋は、科学革命という現実を踏まえて、文系知識人が科学技術に対する基本的な認識と理解をもつよう努力すべきではないか、というものであった。  スノーの講演の数年後、クーンの『科学革命の構造』が出版された(1962年)。物理学者から科学史家に転じたT.S.クーン(1922-1996)は、科学研究は「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与える」パラダイム(paradigm)を基盤に遂行されると論じ、科学の歴史を「パラダイム・チェンジ=科学革命」の歴史と捉えた。クーンの科学論は従来の累積的・連続的な科学史観を根底からくつがえすとともに、自然科学(の各専門分野)には明確なパラダイムがあるが、人文・社会科学にはパラダイムがみてとれないと論じて、自然科学と人文・社会科学の差異を浮き彫りにし、「二つの文化」の存在を科学論の立場から裏付けた。 総合科学の試み  このように、1960年代には、事態を憂慮するかどうかは
  • 全体公開 2007/12/24
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  • 文化人類学 「江戸の恋」という本の内容と感想
  • 江戸にあふれるさまざまな恋。命がけで恋をしていた江戸時代の人々の、切なく、辛く、美しい恋を通して、筆者の「恋」に対する思い、美意識が表現されている。  江戸時代の恋には手本があった。それは決して幸せなものでなく、「心中」という悲劇的なものであった。心中を題材にした代表作でもある、近松門左衛門の浄瑠璃『曾根崎心中』に、江戸の人々は切なさと同時に、その愛の深さに憧れを抱いたのだという。「恋がしたい」と思うことは、「苦しみたい」と思うことと同じだとわかっていながら恋をやめることのできないもの。それは恋によるむなしさには、人生があるからなのだという。そしてもう一つの手本に「好色」という言葉がある。それは、流行に敏感でセンスが良く、口の利き方も気が利いていて、人への気遣いも慣れていて、教養があって、芸もでき、恋心についてよく知っている。という、いわゆる完璧な人をいう。江戸時代の人はこのお手本に近づこうといろんなおしゃれをして、素敵に着飾っていたという。江戸時代の人々は清潔で、完璧主義なのだなという印象に残りました。  江戸時代の「初恋」はうれしく楽しいものであった。この時代は、多くの子供が亡く
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