連関資料 :: 文化

資料:486件

  • ☆日本文化論:ぽち袋
  • 序論   新年を迎えると、街から年末のクリスマス色も抜け、日本らしさが色濃くなる。お正月といえば一番の楽しみであった、お年玉。そのお年玉が入ったぽち袋を、私はいつもどうしても捨てられずに取っていた。お金がもらえるのももちろん嬉しかったが、この小さな袋になぜか魅力を感じていた。たまに、取っておいたぽち袋を目にすると、少し心が暖まるような気がする。  今回、そんなぽち袋について調べてみたいと思い、レポートのテーマを「ぽち袋」にした。まずはぽち袋の始まり、続いてその形状・絵柄について述べていく。また、日本文化と密接な関係がある中国のぽち袋にも触れ、終わりに現在におけるぽち袋についてみて、最後に結論とする。 ぽち袋の始まり  ぽち袋という言葉は、もとは関西地方での言い方である。関東地方では主に祝儀袋、または熨斗袋、散財袋と呼ばれていた。「ぽち」というのは「これっぽっち」「ぽっちり」という言葉からきた、「わずか」とか「ほんの少し」という意味を表している。  「わずか」「ほんの少し」というのは、中に入っているお金のことで、ぽち袋は袋も小さいが、中に入っている金額も小さいということを表していた。それ
  • 日本 日本文化 ぽち
  • 550 販売中 2009/01/12
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  • イラクと日本〜文化理解の重要性〜
  • 平和と共生 イラクと日本~文化理解の重要性~   1.イラクについて調べようと思ったきっかけ  私がイラクと日本の関係について調べようと思ったのには、2つ理由がある。まず1つ目は、2003年にイラク戦争が始まり、毎日のようにニュースでイラクのことを放送していたからだ。毎日のように放送されてはいたが、私はほとんどイラクについての知識を持っていなかった。イラクについての知識といえば、イスラム教徒が多いこと・首都がバグダッドだということくらいしか知らなかったのだ。それに、常に紛争が絶えない国というイメージを強く持っていた。  イラクについて調べようと思った2つ目の理由は、日本がイラクへ派遣を行ったからである。日本はあまり自衛隊の派遣をしない国だと思っていた。日本以外の国が災害などで困っているときは、物資やお金の援助はするが人間の援助は他の国に比べあまりしていなかったと思う。そのような日本がイラクには多くの自衛隊員を派遣し、支援していたのには何か理由があるのではないかと思った。今までイラクがどこにあるのかも詳しく知らなかったので、ましてやどのような文化があるのかなどほとんど知らなかった。しかし、日本が自衛隊を派遣したことやイラクに関するニュースを見ているうちに、イラクについて知りたくなり、今回イラクと日本の関係を文化の違いを取り入れながら調べることにした。地図では日本から遠いので、全く共通点のない国だと思っていた。ところが調べていくうちに、日本との共通点もいくつかあり、イラクについて間違った知識を持ってしまっていたことに気づいた。日本がイラクへ自衛隊を派遣したことについて合憲・違憲の点で研究もできるが今回は合憲・違憲は関係なくイラクと日本について研究することにした。 2.自衛隊派遣  まず2003年にアメリカはイラクが大量破壊兵器を保有しているとし、戦争を始めた。イラクは敗戦し、フセイン大統領はアメリカに逮捕されフセイン政権が崩壊した。アメリカは正義の役目をしたような気分になっていたと思うが、イラク国民の生活には多大な被害が出てしまい問題になった。フセイン大統領の時代も苦しかったが、アメリカと戦争を始めてからのほうがもっと苦しいというイラク国民のインタビューを見たことがある。イラク国内はガス・水道が止まり食料も不足していた。また、バグダッド市内では、略奪が横行し秩序が乱れていた。そのため、国際連合はイラクの復興が大切だと感じ、各国は自衛隊を派遣した。日本は海外へ派兵をしない予定だったが2003年7月にイラク復興支援特別措置法を成立させた。これは、イラク戦争後イラク内の非戦闘地域において人道復興支援活動や安全確保支援活動を行うことを目的としたものである。これにより、12月には航空自衛隊先遣隊の一部がクウェートに出発することとなった。  日本では1991年の湾岸戦争のときに、これまでの活動の枠を超えた積極的な国際協力が求められるようになりペルシャ湾に派遣したのが最初の海外派遣である。イラクには12月に先遣隊が出発した後、2004年2月本格的に自衛隊が出発した。 3.自衛隊の活動  陸上自衛隊のサマワでの活動は、主に給水・医療支援・学校など公共施設の復旧整備の3つの分野だった。サマワ宿営地は800メートル四方もの広さがあり最初は何もなかったが、2年半の間に立派な宿営地に変わっていった。高さ3メートルの土塁で囲み、その周りに柵や有刺鉄線を設置して要塞化していった。最初は天幕を張っただけだったが、隊員の宿泊施設や勤務場所は耐弾施設に変えた。これは、銃弾どころではな
  • レポート 国際 文化 イラク 平和 共生
  • 550 販売中 2006/12/18
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  • 身近なところから考える日韓文化比較
  • 序論  日本から非常に近い国、韓国。近年日本ではテレビドラマや映画を中心とした韓国ブームが巻き起こった。私は世間の人々や友人たちが韓国ブームに乗り騒いでいるのを見ながらも、自分はそのブームに乗ろうとはしなかった。それはなぜかというと、私には韓国が日本によく似ていて、どちらかといえば韓国のほうが日本より少し遅れている印象を持っていたからだ。似たもの同士なら、より発展している方でいい、という具合で、韓国にはあまり興味を持たなかった。  しかし私が今回このレポートのテーマを日本と韓国の比較にしようと思い立ったのは、同じクラスに韓国人の友人ができたのがきっかけである。彼女と接していくうちに、だんだん韓国を知ることが面白くなり、韓国に興味を持つようになったからである。 このように単純なきっかけからだが、私は調べていくうちに気づいたことがある。それは、すぐに違いが分かる東洋と西洋の比較より、同じ東洋文化圏に属す似たもの同士の比較の方が、より鮮明に各国の特徴を捉えることができるということだ。  では早速、私が見たり聞いたり読んだりすることで学んだ日韓の文化、そして思想について述べたいと思う。
  • レポート 国際関係学 日本 韓国 日韓 文化比較 身近
  • 550 販売中 2006/12/29
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  • 翻訳の社会的・文化的意義
  • 翻訳の社会的・文化的意義 序  翻訳とは、ある言語で既述された「メッセージ」を異なる言語体系におきかえて、等価に表現しなおす言語行為であると定義することができる。近年では、翻訳の「等価性」とはどのような基準なのか、つまり「正しい」翻訳とは何かという議論が活発であるが、本稿は別の問題に関心がある。それは翻訳の社会的・文化的な意義である。翻訳行為は歴史を通じて行われ、我々の言語体系のみならず、それを使用する人々の社会意識・文化を多様に変容させてきた。翻訳は単に言語を機械的に置き換えるのではなく、その過程において言語体系が拠って立つ「文化」や「社会」的要素を「輸入」または他の言語体系に応じて「変容」させる働きを持っているのだ。  以下では、まず翻訳が文化文明の発展にどのような影響・変化を与えてきたかについて歴史を追うかたちで一般論的に概観した上で、近代日本発展期における翻訳文化の功罪、翻訳行為と社会・文化形成とのかかわりについて柳父章氏の考えを参考にしながら考察していきたいとおもう。 1、翻訳による文化・社会形成の歴史的考察  現代日本において、翻訳行為というものは、近代以降のそのあり方につ
  • 翻訳 日本語 言語 問題 思想 言語社会学 近代化 言語学 カセット効果 翻訳とはなにか 翻訳語成立事情
  • 660 販売中 2009/08/03
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  • 沖縄のエイサーに見る観光文化の再構築
  • 私は以前「沖縄文化論」を履修したことがあるのだが、その時に沖縄の伝統舞踊である「エイサー」について驚いたことがある。それは、現地の人にとっての「エイサー」の意味と元々の踊りが、私が「エイサー」だと思っていたものととてもかけ離れたものであったと知ったことである。私は「エイサー」とは夏祭りに島をあげて盛大に行われる伝統的なイベントとして踊られるもので、踊りについては昔から変わらない形態でと思っていた。そして、今まで見たことのある社会科の教科書でも、「沖縄の伝統舞踊」と書かれ、その横には現在の「エイサー」の写真が載っていた。しかし、大学での講義で、それは違うということを知り、今回の講義で文化は観光によって再構築されるということを学んだ。そこで、私は今回「エイサー」はどのように再構築されたのかということについて考察していくことにした。
  • 日本 文化 社会 観光 体育 沖縄 地域 クール 大学
  • 550 販売中 2010/01/25
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  • 自治体の多文化共生施策について.doc2
  • 自治体の多文化共生施策について 私が所属していたCグループは地域の取り組みについて調べた。私自身は現在住んでいるF市について調べた。埼玉県内の外国人比率は全国平均とほぼ同じ1.5パーセントではあるが、市町村によっては3.2~3.7パーセントと比率の市町村もある。今回のグループワークでは発表できなかったがレポートとして埼玉県が進めている多文化共生社会取り組みについて調べ、今後の展望を考える。  半年間授業を通して学んできた「多文化共生」という言葉を改めて辞書で引いてみると、「一つの国・社会に複数の民族・人種などが存在するとき、それらの異なった文化の共存を積極的に認めること」(広辞苑)とある。日本において、「多文化共生」という考え方は、1995年の阪神淡路大震災のときに活躍した外国人支援ボランティアにより広められた。震災に遭った日本在住の外国人への支援を通じて外国人が日本で生活していくうえで抱える医療・労働・婚姻・教育・母子福祉等の諸問題が出てきた。これらの問題を解決するための一つのアプロ-チが「多文化共生」と言う考え方である。外国籍の人々が地域で暮らしていく上での障害を除去し、安定した生
  • 日本 文化 情報 地域 共生 問題 言語 行政 政策
  • 550 販売中 2007/11/11
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  • 文化についての映画、裸足の1500マイルを見て
  • The stage is Western Australia of 1931. They are stories of girls of three aborigines who ardently want to back their home town by wanting meet their mother. Aborigines residence ground was chased after it became a British territory in 1770, and there was severe discrimination. A lot of aborigines are slaughtered, and that 750,000 person population decreases to 50,000 people, and was exposed even to the crisis of extermination. And some aborigine woman became the sacrifice of a sexual desire of the white at that time.
  • レポート 語学 映画 異文化 裸足の1500マイル
  • 550 販売中 2006/07/15
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