連関資料 :: 教育について

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  • 教育・青年心理学
  • →古典的条件付けとは、「パブロフの犬」に見られる学習性の条件反射のことである。  本来、食物(無条件刺激)を口に入れると唾液が分泌される(無条件反射)が、このとき食物を運んでくる人の足音(中性刺激)を同時に聞く。これを繰り返し行うことで、足音を聞くと「食物が運ばれてくる」と認識するため、唾液分泌が盛んになるようになる。この場合、実際食物とは関係のない「音」が条件刺激となり、条件反射として唾液が分泌されるのである。  そのほかの例としては、私たちは「レモン」「梅干」のような言葉を聞くと、実際に食べたわけでもないのに「すっぱい」と感じることもこの古典的条件付けに由来する。レモンや梅干がすっぱいという事実をこれまでの経験により学習している私たちは、単なる言葉が条件刺激となり、条件反射としてすっぱいと感じる。  このように古典的条件付けの発現機構は、もともと意味のない刺激が学習により条件刺激に変化することによる。  オペラント条件付けとは、ひとつの行動を強化することである。ケージに入れられた動物に対して、ケージについているバーに触れると餌が与えられるということを学習させる。動物はいろいろな行動のうち、餌が与えられる行動が何によるものだったのか繰り返していくうちに学習する。
  • レポート 教育学 オペラント条件付け 古典的条件付け 刻印づけ
  • 550 販売中 2006/02/25
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  • 学校教育課程論
  • 『教育課程とは何かについて、その基準と編成原理、今日的課題についてまとめなさい。』 教育課程とは、望ましい学習が展開されるように配慮してつくられる、学校の教育内容の組織である。学習指導要領を基準とし、教科・科目など指導領域を設け、教材を選択・配列することによって編成される。しかし、その基準となる学習指導要領は常に一様であるわけではなく、その時代に求められるニーズが盛り込まれ、それが教育課程として現場に反映されていく。  指導要領の内容を左右するのは、「見る・聞く・話す」を中心とした「経験主義」か「読み・書き・計算」を中心とした「系統主義」のどちらを重視するかである。  戦後の学習指導要領制定以前は、カリキュラムや教科書の制定は生徒の興味から出発すべきで、国家が規定すべきではないと考えられていた。  昭和22(1947)年の学校教育法の制定に平行して、手引書的なものとして『学習指導要領 一般編(試案)』が制定された。その際にも、教育課程に関しては一定の基準が設けられていたが、主に現場の裁量にゆだねられていた。  昭和26(1951)年、学習指導要領の前面改訂が行われた。その内容はきわめて柔軟なカリキュラムであり、生徒の自主性を重視する路線は引き継がれ、経験主義色が強かったといえる。  しかし、この経験主義的カリキュラムは、児童生徒の学力低下、青年の非行や規律の低下などの問題を引き起こした要因として批判されるようになる。そして、その対応策として教育課程において系統学習的要素を取り入れられる試みがなされた。  昭和33(1958)年教育課程審議会は、道徳教育・基礎学力・科学技術教育に重点をおく方針を発表。経験主義から系統主義への転換が行われ、国語・算数・理科の授業時間が増加し、基礎学力の向上が目指された。  昭和43年から昭和44年にかけては、経済成長を担う人材育成を教育に求める声が高まり、能力主義の徹底化が行われた。それに伴い、学習指導要領の学習内容が膨大化し、系統主義が徹底された。  しかしながら、系統主義の徹底の下で行われた、過度の知識注入によって引き起こされた落ちこぼれ問題や、非行問題などの子どもたちの「荒れ」が深刻化していった。  昭和48(1973)年、多くの問題に対処すべく、また、能力主義への反省からゆとりのある学校生活が目標として掲げられた。昭和52(1977)年にはその流れを引き継ぎ、ゆとりのある学校生活という路線が導入された。そして、昭和43年学習指導要領の学習内容が膨大であったことの反省から、各教科の内容に関して削除が行われた。そして、ここから学習指導の中心が経験主義へと大きく動いていったのである。  平成に入り、選択教科の拡大や各学校において自主性を重んじた授業編成の推進など、自分自身で学び考えることのできる「学力」を養うことに力を入れるようになり、「総合的な学習の時間」が新設された。これは、従来の教科の枠を超えて、「生きる力」を身に付けるための時間として設定された。そして、こういった流れを汲んで、今日の指導要領は制定され、教育課程が編成されている。  先に述べたように、教育課程の基準となる学習指導要領の内容は決して同一であり続けることはない。その時代に必要とされている内容や、過去の反省を踏まえてつくり変えられ、子どもたちにより良い教育を提供することを目標としているのである。  しかし、時代の変化に伴って変わっていく基準の根底には、変わることなく存在している編成原理がある。では、その編成原理はどういったものなのか。  原則として
  • 子ども 問題 指導 課題 授業 人間 生徒 能力 非行 知識
  • 550 販売中 2007/11/16
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  • 学校教育職入門
  • 『現代の「教師に求められる資質とは何か」についてまとめなさい。』  「あらゆる教育の問題は教師の問題に帰着する」と言われるように、教師の資質の重要性はこれまでも繰り返し唱えられてきたことであるが、特に、今日のいじめや不登校、学級崩壊などの教育問題の解決、子どもたちの「生きる力」の育成を基本とする学校教育の実現には、教師の資質向上が不可欠であり、各種答申でもその必要性が提言されている。 まず必要なことは、教師としての情熱である。今日のいじめや登校拒否などの深刻な状況を踏まえるとき、教員一人一人が子供の心を理解し、その悩みを受け止めようとする態度を身につけることは大変重要であるといえる。子どもを愛する気持ちだけでなく、子どもと向き合って共感することができること、子どもとの関わりを大切にし、明るい学級を作っていこうとすることが大切である。また、きちんと授業が行えるように日々努力怠らず、技術をあげようとする態度は、新しい教師だけでなく、ベテランの教師にも必要なことではないだろうか。よりよい教育が行えるように精進していこうとする姿勢が何よりも基本になることだと考える。 そして教員に強く要請される「生きる力」をはぐくむ学校教育を展開するため、社会性がきちんと備わっており、幅広い知識をもちあわせた豊かな人間性が必要である。教師自身が社会性を備えていないと、学級をうまくまとめていくことはできないであろうし、他の教師と協力して学校づくりを行うことはできない。幅広い視野にたって評価や指導を行うためには、教師自らが様々な社会経験を積む必要があるだろう。また、奉仕活動が行われる機会が増えてくるだろうが、教師自身がボランティア経験をすることによって自分の人間性を豊かにしておくことも重要である。人を思いやれる心を子どもに育てていくためには、自分も思いやりをもたなければならない。さらに、変化に敏感に対応し、柔軟な考えができることが必要である。学級内でいじめが起こるかもしれないし、不登校が起こるかもしれない。そういう時に、すぐに変化に気づき、適切な対応ができることが学級経営を行う上で必要なことである。変化の激しい時代の中で、何が起こるかわからない。そんな中でもその場に応じた対応ができるように、敏感に物事の反応していかなければならない。  平成9年7月の教育職員養成審議会第1次答申の「新たな時代に向けた教員養成の改善方策について」の中で、これからの教員に求められる資質能力として「地球視野に立って行動するための資質能力」「変化の時代を生きる社会人に求められる資質能力」「教員の職務から必然的に求められる資質能力」の3つが挙げられた。今日は極めて変化の激しい時代である。地球の温暖化やオゾン層の破壊など、地球環境の問題はますます深刻になってきている。また、絶えることのない宗教対立や民族対立、地域紛争と難民の問題、人口増加による食糧不足の問題など、地球規模の問題がまだまだ解決しておらず、現代を生きる私たちの課題となっている。これらの課題を子どもたち自身が主体的に考え、解決していこうとする能力を養うためにはまず、教師自身がこれらの問題に興味・関心を持ち、解決していこうとする積極的な態度を子どもたちに示すことが大切である。国際化、情報化等社会の変化に対応する実際的な能力として、外国語によるコミュニケーション能力やコンピュータの基礎的な活用能力、他国の文化や価値観を認め、進んで協調していこうとする国際協調の精神の育成などが求められている。  教員の職務内容に具体的・直接的にかかわる能力として、児
  • 子ども 生きる力 不登校 いじめ 問題 資質 能力 授業 人間 課題
  • 550 販売中 2007/11/23
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  • 国語科教育
  • 『「やまなし」の教材研究を行うとともに、事例(p.142-170)の児童の発言を考察しなさい。』 第1節 教材観について まず、「やまなし」は宮沢賢治独特の表現が使用され、非常に幻想的な作品である。「クラムボン」や「イサド」といった造語、独特な擬態語や様々な箇所に存在する比喩表現など宮沢賢治の作品の特徴となっている。「やまなし」では、最初に書かれている「二枚の幻灯」によって、「五月」と「十二月」に分けることで対比的な構造を取った文書構成になっている。そのため、「やまなし」の指導をするにあたって、表現や言葉などを検討し、児童が情景をイメージできるような授業展開が必要になると思われる。その展開方法としては児童一人一人のイメージから考えたことを書き、発表し、話し合うといった形が良いと考えられる。また、話し合いでは相互に読み取りを深めて情景をイメージすることで、より広く、より深く情景の想像が可能であると考えられる。 第2節 単元の目標について 「やまなし」の学習目標は2つある。一つ目は「「五月」と「十二月」の世界の違いや共通するものを考えることで、「生きること」の意味を感じとる。」もう一つは「賢治の描いた世界を読み味わい、「自然」や「生命」などについても考える」である。 学習指導要領と照らし合わせて考えると、「話すこと・聞くこと」に関しては文章中の表現を追求しながら、自己が想像したイメージを発表したり、友だちの考えを聞いてイメージを深めたりすることが可能である。次に「書くこと」に関してはイメージした情景から読み取れることを文章中の表現をもとに自分なりに「五月」と「十二月」のイメージを絵としても書き表すことができる。そして、「読むこと」においては文章中の表現や比喩的な表現をもとに情景を想像しながら、工夫して読むことができる。最後に「言語事項」に関しては色彩後や擬音語・擬態語などの役割や効果についても理解が可能である。 第3節 指導計画について 前述したように宮沢賢治の作品は「やまなし」に限らず、独特の特徴を兼ね備えている。そのため、最初の時間にこの教材を用いて、範読したり、児童に読ませたりして感想を話し合っても「作者の考えが分からない」「話の内容が分からない」といった児童の反応があると思われる。「クラムボン」や「イサド」に関しては「初めて聞いた」という反応が現れるはずである。そのため、最初は音読を読み進ませることで独特な表現や言葉、情景に興味を持たせ、宮沢賢治について調べさせることも方法の1つとして挙げられると考えられる。 次に学習目標達成のためには、感じたことから素直に「想像を広げること」が重要である。音読を繰り返しすることによって、言葉の響きやリズムを楽しく感じ取ることができるからである。また、一人学習では視写や書き込みなどをしながら、自分の思いを持たせることが重要になる。 そして、「交流の場」も忘れてはならない。「やまなし」では場面の情景などの豊かに想像する楽しさを感じ取ることが必要である。そのため、自分の感じたことと友だちの感じたことを比べ、「どちらが正しい」ではなく、それらを合わせることで自分のイメージを広げ、考えが深まることの楽しさを実感させることも可能となる。 第4節 テキストの事例(児童の発言)を考察  テキストに沿って考察するとこの記録は第9・10時についてである。まず、この話し合い自体を考察すると、「やまなし」を取り扱い始めた当初の「作者の考えが分からない」「話の内容が分からない」といった予想される児童の反応とは一転して、ほとんどの児童
  • 指導 授業 表現 言葉 やまなし 感想 考察 方法 世界 目標
  • 550 販売中 2007/11/26
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  • 幼児教育の常識を問う
  • 幼児教育の常識を問う!…ルソーの実像は、理想とは掛け離れていた! 岡山県津山市立東小学校    小林幸雄 1.向山実践の特長 向山氏ほど、数々の実践を世に問い続けた実践家はいない。 その集大成として、『プロ教師の教え方・向山全集』(明治図書・第1期全15巻)がいよいよ10月に刊行される。  私もその編集の手伝いをさせていただいた一人である。 昨年の7月末、五反田のホテルの一室に、向山氏がこれまで書き溜めてきた山のような原稿が搬入された。 テーブルの上に置くと、原稿の山が今にも崩れそうな感じだった。その圧倒的な原稿の量に、その圧倒的なエネルギーの前に声がなかった。 それは、まさに歴史に残るひとこまであった。 さて、教育界の歴史に残る編集を進めながら、私の脳裏には、向山氏の問題提起の大きさ、奥の深さに改めて驚かされた。 まだ、私が目にしたことのなかったような原稿、私が見落としていたような原稿があちこちから目に飛び込んでくるのである。 編集の作業を中断し、ついつい読み耽ってしまった。 ところで、向山実践には、これまでの実践家にはない大きな特長がある。 その特長こそが、向山実践の偉大な所以であ
  • 子ども 問題 授業 運動 指導 文字 基準
  • 全体公開 2007/12/06
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  • 社会科教育 2
  •  社会科が成立したのは第二次世界大戦後で、戦前の明治期では大正デモクラシー期における児童中心主義や生活の綴り方運動、郷土教育などの社会科につながる教育思潮もあったが、教科として位置づけられていなかった。戦時中においては国民学校令に基づく国民科によって終身や歴史等の科目があった。その目的は皇国民の練成であり、国体を維持するための知識や価値を教授していたのである。戦後は民主主義を教科原理とした社会科が成立し、戦後日本の新教育を担う中核的な役割を持った教科として新たに登場した。そして、学校教育法施行規則の公布を経て、社会科が教科過程として位置づけられるようになり、昭和22年9月から授業が行われることになったのである。  指導要領の改訂は初期の試案から今日までに一部改定を含めて、8回の改定がなされている。そして、社会化教育は昭和22年・昭和30年・昭和43年の3つの改定によって、大きく変遷したのである。  昭和22年発刊の「学習指導要領一般編(試案)」によると新たな社会科では社会生活についての良識と性格を養うことを目的として、これまでの修身・公民・地理・歴史などの教科内容を融合して一体として学
  • 社会科教育 学習指導要領 平成10年
  • 550 販売中 2007/12/10
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  • 道徳教育の研究レポート
  • 「道徳教育の研究」 第5章 社会変動と道徳教育  道徳教育を考えるとき、道徳が論じられている社会を抜きにしてそれを語ることはできない。人間は生まれ育った社会における文化の中で、その文化固有の価値観を学び身につける。この点からみれば道徳を学ぶということは、一定の社会に生まれ育つ個人が、その社会の文化を習得していく過程すなわち文化化と考えられる。道徳の問題が論じられる場合には、その道徳が成立している社会・文化的背景によって道徳の問題が規定されていることをまず忘れてはならない。  今日のような社会間の交流や文化間の接触が頻繁な時代においては、社会や文化自体が日々変貌している。また、子どもたちを取り巻く社会、文化的環境も変化している。私たち大人は子どもたちの道徳の問題を論じる前に、子どもたちを取り巻く社会の変化や文化の変容を考察する必要がある。  子どもが生まれた家庭環境およびそれを構成する家族は、子どもが接する最初の集団でありかつ子どもにとっては強制集団である。子どもたちにとってこの家庭の環境は、子どものその後の発達に重大な影響を及ぼす。子どもが成長する過程で、大きな影響力をもっているのはまさにその家庭であるが、この家庭を支える家族に関して、しま変化が生じている。その変化とは、ひとつには社会環境の変化にともない家族のあり方が激変している。また家族特有の病理現象も生まれている。反対に、積極的に家庭をとらえ直そうとしたり、子育ての原理に関しても新しく創造しようという動きもみられる。いわば、現代の家族はカオスの状況の下にあるのだ。そのカオスを土台として子どもたちは成育しているのである。そこで現代家族として大事なことは私たち一人一人が、自ら「家族」のあり方や家族の運営の仕方、ひいては家族における子どもの育て方を模索し、一つ一つの家族が自らの「家族」の理念を構築する必要があるということである。  子どもたちを養育する家族は、戦後様々な形で様変わりしてきた。家族の変容は、それが独立した要因ではなく相互に関連しあっており、変化する家族の中で養育される子どもたちの生活環境にも影響を及ぼすものである。ここで子どもたちの家庭内での教育にとって重要な役割を果たしてきた母親に焦点を絞って、その変化を探っていく。今日のような専業主婦と呼ばれる形態が誕生するのは第二次世界大戦後の高度経済成長期である。その後、生活水準の向上を背景に、日本の家族は消費型家族へと突き進んでいく。この消費型家族では、家族の中心は「消費」を行う妻や子どもたちであり、生産や労働にかかわる夫は家族の中心ではなくなった。つまり父権は失墜したのである。同時に専業主婦という存在自体にも、変化が生じている。家事から解放された主婦は近年の経済状況や雇用状況の変化により、また自己実現のため、育児から手が離れると社会で再び働くようになった。  また家族が生活する場においても、変化はみられる。子どもたちが生活する空間は、「消費」社会という人工的な空間になった。人工的な空間は道徳性の発達に必要な現実の世界における心の痛みといった原体験を生じてこない。子どもたちの道徳性の発達には人間関係で学ぶ豊かな感受性が必要であり、原体験はこの感受性の育成には欠かすことができない。この感受性を育成することが現代の家族に求められているのである。  戦後の家族形態の変容と共に、今日家族内での様々な病理現象が顕在化している。家庭における病理現象が社会現象として顕在化するのは、1980年戦後であると思われる。その発端は、家庭内暴力であった。さらに近年
  • 道徳教育の研究 道徳教育をまなぶ 遠藤克弥 田部井潤
  • 550 販売中 2007/12/13
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  • 幼児教育の常識を問う
  • 幼児教育の常識を問う 幼児教育の常識を問う!…ルソーの実像は、理想とは掛け離れていた! 岡山県津山市立東小学校    小林幸雄 向山実践の特長 向山氏ほど、数々の実践を世に問い続けた実践家はいない。その集大成として、『プロ教師の教え方・向山全集』(明治図書・第1期全15巻)がいよいよ10月に刊行される。私もその編集の手伝いをさせていただいた一人である。 昨年の7月末、五反田のホテルの一室に、向山氏がこれまで書き溜めてきた山のような原稿が搬入された。テーブルの上に置くと、原稿の山が今にも崩れそうな感じだった。その圧倒的な原稿の量に、その圧倒的なエネルギーの前に声がなかった。それは、まさに歴史に残るひとこまであった。 さて、教育界の歴史に残る編集を進めながら、私の脳裏には、向山氏の問題提起の大きさ、奥の深さに改めて驚かされた。まだ、私が目にしたことのなかったような原稿、私が見落としていたような原稿があちこちから目に飛び込んでくるのである。編集の作業を中断し、ついつい読み耽ってしまった。 ところで、向山実践には、これまでの実践家にはない大きな特長がある。その特長こそが、向山実践の偉大な所以で
  • 子ども 問題 授業 運動 指導 文字 基準
  • 全体公開 2007/12/14
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