連関資料 :: <対話>のない社会

資料:4,225件

  • 逸脱とコントロールの社会学の歴史
  • 第1章 逸脱とコントロールの捉え方 アメリカにおける逸脱の研究史 デュルケーム以後の逸脱の社会学理論の多くは、20世紀のアメリカで展開されている。その背景にはアメリカ社会の特有の事情があります。急速な産業社会化が進み、多くの移民を抱え、都市化したアメリカ社会では犯罪とそれへの対策は重大な社会的問題であり政策課題でもあったからです。これらのことを背景としてアメリカでの犯罪研究は急速に発達していったのです。 1920年代から40年代までの期間は、シカゴ学派の黄金時代でいろいろな研究が行われた。シカゴ学派はアメリカ社会学の確立期に位置し、シカゴなどの都市の住民の生活を対象とするローカルな研究であった。 1940年代から50年代になるとハーバード大学はコロンビア大学を中心に、システム論や機能分析が台頭してくる。ローカルな地域社会を超えたよりマクロな社会を体系的に研究する方法として機能分析やシステム論が適していた。逸脱の研究分野では、マートンを中心としてアノミー論や逸脱の機能分析が展開されていた。 1960年代になるとアメリカ社会は混乱期を迎える。既存の権威・権力を否定し新たな価値観や生き方を模
  • レポート 社会学 デュルケーム シカゴ学派 システム論 アノミー論 構造論
  • 550 販売中 2007/05/08
  • 閲覧(3,400)
  • 日本人の知らない格差社会について考える
  • 日本人の知らない格差社会について考える 始めに 石川町駅の東側と西側では全く雰囲気が違う。東側、横浜中華街は人でごった返し、どの店に入れば良いのか悩むほど活気に満ちた店が立ち並んでいる。歩行者天国の車道を歩くのも大変なほどの賑わいだ。しかし、西側の寿町は閑散としている。強い日差しを避けるためか歩道の日陰で休んでいる高齢者や障害者が目に付く。同じ車道を歩くにしても、よそ見をして歩いていた中華街と違い、若者が歩いているのが珍しいのか、服装の違いでよそ者だと分かるのか、痛いほどに視線を感じるためまっすぐ前を見て足早に歩く。寿町の中央に近づくほど、異臭を強く感じるようになった。店も小さな飲食店がまばらに在るが、一度も客が出入りしている所は見なかった。 ランドマークタワーから横浜の町を見下ろすと高いビルが立ち並び、経済が発展しているのが一目で分かる。その中に突然ぽっかりと穴の開いたような空間が目に付く。そこが寿町であった。空虚な空間というのか、ここが日本であることが信じられなかった。 なぜ、これ程までに格差が生じたのだろうか。 1.横浜中華街の形成と発展  幕末に日本が開国し、横浜の港が開かれると、大勢の商人が横浜を訪れ、外国人居留地として設けられた「居留地」に商館を開いた。中国人は漢字によって日本人と筆談できたため、西洋人と日本人の間に立ち、取引現場に必要不可欠な存在になっていった。その後関帝廟、中華会館、劇場などを設け中華街を築いていく。だが、関東大震災により壊滅的な打撃を受ける。人心が乱れる中で日本人による中国人虐殺という悲劇が起きる。ようやく立ち直った矢先に日中戦争勃発。反中国感情の高まりや華僑の帰国により客足が途絶えてしまう。それでも戦死者追悼会に代表を送るなど、地元との関係を保つ努力を続け、戦時下の辛い日々を耐えた。1945年5月29日、大空襲で中華街は一面焼け野原となる。終戦と共に復興が始まり、トタンバラック前の路上で、進駐軍の配給物資の小麦粉、砂糖、油でドーナツを揚げ、それ目当ての人々が集まり行列が出来るようになっていった。  中華街は日本人と中国人が共生し、中国人が飲食店、日本人が食材を供給する形で分業している。1960年代から始まる高度経済成長と横浜港周辺の経済構造の変容が、中華街に変化と発展を促した。また、首都高速道やJR根岸線などの開通、東京オリンピック開催が中華街に活気をもたらした。  日本の中華街の特徴は来街者の95%が中国人ではなく、日本人がとても多いという事である。他国とちょうど逆の状態である。 2.寿町の形成 寿地区とは、大阪の釜ヶ崎、東京の山谷と並ぶ日本3大寄せ場の一つである。  寿地区を含む横浜は、1859年に横浜港が開港し、界隈埋め立ても行われ、以来貿易関連業や各商工業が発達。その後、寿地区に当たる土地も埋め立てられ、問屋や港湾労働業が活況を呈した。1945年10月、横浜港は米軍に接収され、住人が戦中・戦後住んでいたバラックも立ち退きを命じられ、住人は再び住まいやその土地を追い出された。一方で、横浜港は、米軍の軍需物資と穀物輸入の集積港として栄え、港湾の労働需要が高まる。これに伴い、全国から多くの労働者が横浜に仕事を求めて来るようになった。特に、1950年~53年の朝鮮戦争では、日本の軍需産業が活発なり、港湾労働の需要は一層高まり、さらに労働者が流入した。そのため過度の労働者数で宿泊所が不足、川岸にはしけを改造した「水上ホテル」が建設された。1956年米軍の接収が終了し、横浜港そして寿町地区を中心とした埋め立て地区は
  • レポート 中華街 寿町 ワーキングプア 貧困
  • 550 販売中 2007/07/19
  • 閲覧(3,569)
  • 社会福祉制度と生存権について
  • 「社会福祉制度と生存権について」  まず始めに、わが国における生存権について説明する。 生存権とは、日本国憲法第25条の「すべて子国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という規定が、生存権の根拠となっている。 日本国憲法はその前文において、三大原理、①国民主権、②基本的人権の尊重、③平和主義を示している。生存権とは、基本的人権の尊重の原理に基づく権利である。  生存権は、今日のわが国を支える重要な理念である。しかし理念は理念として存在するだけでは意味がない。そこで、実際に国民の生活に反映させるために、具体的な社会福祉制度として具現化されているのである。そして、この生存権を端的
  • レポート 福祉学 生存権 朝日訴訟 生活保護
  • 550 販売中 2007/09/21
  • 閲覧(7,348)
  • 社会福祉援助活動における倫理について
  • 「社会福祉援助活動における倫理について」  社会福祉専門職の専門性には、「知識・心・技術」という3つの要素がある。倫理とは、ここでいう「心」の部分である。  社会福祉専門職に求められる知識とは、次のものである。  ①自らの専門分野に対する深い専門知識。②社会福祉全般に対する幅広い知識。③社会福祉の隣接領域に関する知識。④その他の知識。  社会福祉専門職に求められる技術とは、次のものである。  ①社会福祉援助技術。②コミュニケーションの技術。③その他の技術。  社会福祉専門職に求められる心とは、次のものである。  ①倫理性。②職業倫理。③行動規範。④人権意識。⑤豊かな人間性。⑥福祉絵の誇りや情熱
  • レポート 福祉学 日本社会福祉士会 利用者に対する倫理責任 実践現場における倫理責任
  • 550 販売中 2007/09/23
  • 閲覧(3,679)
  • 家庭と地域社会における保育のありかたについて
  • 「家庭と地域社会における保育のありかたについて述べよ。」 家庭環境の変化と、子どもへの影響について 家庭や家族とは、社会集団の一番の基盤となる最小の社会集団であり、子どもが生まれてから初めて触れる社会であり集団でもある。子どもとは、家庭を中心として社会に適応していく為の知識や技術、社会的なルールを学びながら成長をしていく。つまり、社会化である。子どもが成長をしていく中で、うまく社会に適応していけるかどうかは、家庭の教育力にかかっているともいえる。家庭での教育は、最低限のルールや対人関係の築き方などであり、子どもの成長にとって、きわめて大切な位置とも言えるのだ。 しかしながら、近年はこの家庭での教育力が低下してきていると言われている。昔は、日本の家庭といえば、祖父母から子どもまでの三世代以上の大家族でなりたっていた。つまり、子ども達は、そこに関わり合いを持っている大人達の姿をみたり、兄弟間で喧嘩をしたり遊んだりしながら、人間関係や役割分担を自然に学ぶ事ができた。 だが、近年では、子どもが人間関係や役割分担について学ぶ機会が少なく、そこには両親と子どもだけで形成する核家族が多くなったり、少子化の影響で一人っ子が多くなったり事などの背景が存在している。また、以前では農業などの自営業が主流だった為、両親が働く姿を身近で目にする機会が当たり前のようにあったが、最近では両親共に会社勤めが多くなり、就労している姿を見せる機会すらない。その為、対人関係や年配者との接点がなくコミュニケーション能力をつける事を苦手とする子どもが多いと考えられる。また、両親が共働きをしたり、子どもが塾通いなどで帰宅や食事時間が遅くなったり、食事内容が簡易になってしまっている。そこからは、食事バランスや家族間のコミュニケーション不足などの問題や、生活バランスの乱れや、昔から伝わる年間行事の希臼化の恐れもあるのだ。つまり子ども達にメリハリのない不規則な生活体験や、感情面の乏しい生活をもたらしている。生活リズムが崩れる事から、日中ではなく夜方に移行する傾向が見られ、子ども時代から肥満などの健康問題を抱えてしまう場合も見られる。 地域社会変化と子どもへの影響について 地域社会とは、家庭での集団に続く身近な社会集団である。高度経済成長期以前には、子ども達は地域社会のなかで血縁以外の人々と交流をしながら、他者とのコミュニケーション力を養っていった。家庭内では許される事でも、他者と作り上げる集団の中では認められない場合もある。そういった人間関係におけるルールや常識などを近所に住む大人と接したり子ども同士で遊んだりするなかで学んでいったのだ。つまり、地域社会も家庭と同じように、子どもの社会化を保身する役割を果たしていたと言える。 しかし、この地域社会も経済成長に伴って大きな変化を迎えた。高度経済成長期頃から人々は職を求め都市へと集中し、大都市ではそういった住民同士の交流は少なく、隣近所にどういった人が住んでいるのかなどお互いに知ることもなくなった。そこから、出産や育児について相談する相手がみつからない為に育児ノイローゼになったり、不適切な育養をしてしまうなどの問題が考えられている。さらに酷くなると、親子間や子どもの情緒的・社会的な発達を阻み、将来の対人関係にも大きく影響する要因となっている。また、子ども同士の人間関係が希薄化している問題もある。例えば自然破壊や交通量の増加などにより、集団で子ども達が外で遊んだりすることがなくなった。また、高学歴化の風習から幼い頃からの習い事中心になったり、パソコンや
  • レポート 福祉学 児童心理 育児問題 育児環境
  • 550 販売中 2007/11/03
  • 閲覧(2,137)
  • 社会福祉援助技術論
  •  利用者に対する社会福祉援助の提供は,援助活動の時間の流れにそって,一定の手順と方法を持って提供される。この手順と方法を過程と呼ぶ。社会福祉援助活動は,援助者と利用者の双方による様々な試行錯誤の過程の中でも進められていく。援助の効果に対する評価と,問題の再分析とが繰り返されることによって,利用者の抱える問題の本質をよりよく把握し,より効果が上がる援助が行われるようになる。以下にこの過程をインテーク→調査→診断→処遇と考えて述べていく。  利用者の抱える問題が,社会福祉機関にもちこまれる最初の段階をインテークという。機関としてその問題を取り上げるか否かを決定する段階である。ここで行われる面接をインテーク面接という。インテーク面接では問題の概略を把握し,援助の大まかな見通しを立てる。具体的には次のようなことを行う。利用者の話を傾聴し,主訴,要求,問題点を明らかにする。利用者は何故来談することになったかを明確にする。利用者の主訴,要求,問題に対して,この機関ではどのような援助が行えるかを説明し,ケースワークの進め方を伝える。ケースワークを受ける意思があるかどうかを確認する。その援助で援助する
  • 福祉 援助 心理 問題 原理 人間 個別援助技術 技術
  • 550 販売中 2007/11/14
  • 閲覧(2,380)
  • 「日本の社会福祉の歩みについて述べよ」
  • 「日本の社会福祉の歩みについて述べよ」  (1)児童福祉  1874(明治7)年、わが国の戦前の代表的救貧制度である「恤救規則」が公布された。しかし、この制度では第一責任はあくまでも私的な家族・村落共同体であった。13歳以下の貧窮児童も一応公的救済の対象になってはいたが、厳格な制限主義のため救済される者はごくわずかであった。明治20年代の産業革命期には年少者が安価な労働力として酷使され、このような状況から浮浪児などが増加した。これに対応するため1900(明治33)年「感化法」が制定されたが、これは主に治安維持を目的としており、浮浪児などを犯罪予備軍とみなしていた。このように立ち遅れる公的救済を代替するかたちで民間の慈善事業が発展していった。その後、金融恐慌(1927年)や世界恐慌(1929年)の影響から社会不安は増大し、もはや恤救規則では対応不可能となった。そうして1929年「恤救規則」に代わって「救護法」が公布され、救済対象も多少広げられた。さらに1946年、救護法を廃止して生活保護法(旧生活保護法)が制定され、1950年には改正が行われた。改正後の新生活保護法は日本国憲法の生存権保障に基づいたものとなった。  終戦をむかえ、1947年に児童福祉法が制定されて以来、50年の間に①一般児童の健全育成(母子保健、地域環境整備、労働、文化)②保護を要する児童への対応(養護、自立支援、単親世帯、心身障害)③保育に欠ける児童への対応(保育所)④児童手当等の経済給付(児童手当、児童扶養手当)など多岐にわたる施策が行われてきた。児童家庭福祉制度は児童福祉法、母子及び寡婦福祉法、児童手当法などによって運用されて、それぞれ特色のある活動が展開されている。  1997年に改正された児童福祉法の下では、保育制度の見直し、児童自立支援施策の充実、母子家庭支援施策の見直しが柱となっている。また子育て支援社会を構築するために出された「エンゼルプラン」(1994年)及び「新エンゼルプラン」(1999年)では、①育児休業給付の実施、多様な保育サービスの充実②地域子育て支援センターの大幅拡充、母子保健医療体制の充実③ゆとりある住宅の整備④教育内容や方法の改善⑤保育料の軽減や負担の軽減化などが目指されている。 (2)障害者福祉  明治時代は障害者も児童と同じく、「恤救規則」の救済対象であったが実際に救済を受けられたのはごく少数であった。「救護法」が制定された際には、「障害者」がはじめて対象として明記された。しかし、ここにおいても障害者は生活困窮者の一種として捉えられ、福祉の視点はなかった。戦前においてはその他に一般の障害者に対する福祉施策としてみるべきものはほとんどない。戦争遂行や戦時労働力確保の必要から、傷痍軍人、産業障害者については特別に援護施策が実施された。 終戦後の1949年、日本で初めての障害者福祉法である身体障害者福祉法が制定されて以来、知的障害者福祉法(1960年)、心身障害者対策基本法(1970年制定、1993年に改正されて障害者基本法となる)、精神衛生法(1950年制定、1987年に改正されて精神保健法となる)などが作られ、施設や在宅で生活する障害者の支援をしてきた。  国際的動向も含めて、障害者福祉思想は大きく変わり、現在では、身体の一部器官の機能障害のために生活能力が低下し、社会的に不利な状態に置かれている者の最大限の自立と社会参加を支援することとして捉えられ、国内でもその方向で推進されている。  障害原因、障害状況にも変化があり、交通事故と労働災害のほか、
  • 環境 福祉 憲法 日本 介護 障害者 障害 保育 地域 生活
  • 550 販売中 2007/11/12
  • 閲覧(6,359)
  • ジェンダーと現在日本社会の問題について
  • 2008年の米大統領選の民主党候補指名争いにおいて、クリントン上院議員が女性初の大統領を目指し健闘していた。このことは、ジェンダーフリーがすすむ欧米社会を象徴した出来事であったのではないだろうか。一方で、先進諸国の中でジェンダーフリーの社会構築がなかなかすすまないのが我が国である。そこで、日本の現代社会とジェンダーについて考察したい。 はじめに、ジェンダーフリーの成り立ちについてみる。この動きのきっかけとなったひとつに、米国のフリーダンが性別分業に対して問題提起を行ったことがあげられる。このことに先進諸国のフェミニズム運動が共有し、1979年には国連において女性差別撤廃条約が採択されるまでに進
  • 日本 社会 女性 ジェンダー 問題 家庭 労働 男女 仕事
  • 550 販売中 2008/06/14
  • 閲覧(6,470)
  • これからの社会福祉と福祉教育について
  • 近年までの日本の社会福祉は、何かしら特別視された人、貧しい人、恵まれない人、身体の不自由な人というように社会的、ハンディキャップをもった特定の人に施しを与えるというものであった。 しかし、現在の福祉は国民全体が対象であるという考え方に変化してきているため、福祉サービス抜きに利用者の生活は成立しないくらい、利用者が生きていく上で必要不可欠であり、それは水や空気のようなもので、もはや福祉サービスは当たり前と言っていい。 そして、福祉へのニーズは多様化し、それに応える優れた資格をもった福祉人材が求められる。近年は、高齢者が短期間で急激に増加し、今後も出生率の低下、平均寿命の伸長などから老年人口は増加
  • 福祉 社会福祉 社会 高齢者 学校 問題 サービス 技術 援助
  • 550 販売中 2008/07/10
  • 閲覧(2,757)
  • 国際社会の課題 中間レポート
  • 国際社会の課題 中間レポート アメリカ合衆国は建国以来、多数の移民、難民を受入れてきた「移民国家」である。実際2001年の難民認定数は28300人と世界一を誇っている。この移民政策には様々な目標があるが、大きく分けると社会的、経済的、文化的、道徳的目標の4つに分かれる。さらにこの移民政策は時代と共に移り変わってきた。例を挙げるなら、1924年に制定された移民法は「排日移民法」などと呼ばれ、時代を映す鏡と言っても過言ではない。 このように80年代も移民や難民などの転換期といえる。1965年に制定された移民法では共産圏や独裁国家からの移民を想定していたが、1980年に制定された難民法はベトナム戦争によるインドシナ難民なども引き受ける必要からカーター政権下で成立した。その中で難民とは「人種、宗教、国籍、政治的帰属や信条に関わらず、迫害や迫害の恐れがあるがゆえに自国を脱出した人」と幅広く定義した。その結果、経済難民など新しい体系の移民が発生した。 移民する理由として政治、宗教、民族的な迫害からの逃避などが理由としてあげられるが、経済的要因はかなり大きい。さらに多くの移民が職能や技能を持ちアメリ
  • レポート 国際社会 アメリカ 移民
  • 550 販売中 2008/07/29
  • 閲覧(2,459)
  • (教科) 社会 夏期スクレポート
  • 学習指導要領に示されている各学年の3項目の目標は、指導内容と児童の発達段階を考慮して、観点別に示したものになっている。具体的には、①理解(認知)に関する目標、②態度(情意)に関する目標、③能力(観察・資料活用、社会的思考力・判断力)に関する目標によって構成されている。そして学習指導要領の学年目標の3項目は、各学年とも、目標(1)地域の産業や消費生活の様子,人々の健康な生活や安全を守るための諸活動について理解できるようにし,地域社会の一員としての自覚をもつようにする、(2)地域の地理的環境,人々の生活の変化や地域の発展に尽くした先人の働きについて理解できるようにし,地域社会に対する誇りと愛情を育てるようにする、の前半は「理解に関する目標」、後半は「態度に関する目標」となっている。また、(3)地域における社会的事象を観察,調査し,地図や各種の具体的資料を効果的に活用し,調べたことを表現するとともに,地域社会の社会的事象の特色や相互の関連などについて考える力を育てるようにする、は「能力に関する目標」であるが、その前半は「観察・資料活用」、後半は「社会的思考力・判断力」にかかわる目標となって
  • 第3学年及び第4学年の地域社会学習のねらい
  • 550 販売中 2008/08/22
  • 閲覧(849)
新しくなった
ハッピーキャンパスの特徴
写真のアップロード
一括アップロード
管理ツールで資料管理
資料の情報を統計で確認
資料を更新する
更新前の資料とは?
履歴を確認とは?