資料:599件
-
道徳教育の研究_Z1106
-
『学習指導要領の変遷について。』
学習指導要領とは、小・中・高校及び養護学校などの教育内容と教育課程の要領・要点を記したもので、文部科学省(旧 文部省)が作成している。これを基準として学校の教育課程が計画され、教員はこの学習指導要領に示された内容に沿って授業などを進めることが求められ、これを逸脱した教育を行うことはできないのである。
最初の学習指導要領の成立は、昭和22年の『学習指導要領一般編(試案)』である。これは教師のための「手引書」として作られ、授業をする際に参考すべきものとして考えられ、「試案」の文言が付されていた。これにより、小学校の教育課程は、修身・地理・歴史の代わりに「社会科」、「家庭科」(小学校で男女共修)、「自由研究」、中学校では「職業科」が設けられた。また授業時間数や様々な教育方法(生活単元学習・問題解決学習)の提示など一定の基準は設けられていたが、各学校での裁量権が大きい等、画一的な教育が意図されたものではなかった。
昭和26年の改訂では、従来の教科課程は教育課程に変更され、小学校では「自由研究」が「教科外の活動」、中学校で「特別活動研究」「職業・家庭科」となっ
-
A判定
佛教大学
佛大
通信
Z1106
道徳教育の研究
道徳教育
550 販売中 2009/05/07
- 閲覧(1,567)
-
-
現在の道徳教育の課題について述べよ。
-
「現在の道徳教育の課題について述べよ。」
道徳教育とはどのようなものか。
まず、道徳とは社会生活の秩序を存続するために個人が守るべき規範の総体であり、それらを身につけるために道徳教育が学校において設けられている。
2.日本の道徳教育について述べる。
今日の学校での道徳教育は、学校の教育活動の全体を通じて行われるものとされているが、さらにそれを補充し深化し統合するためでもあるのだ。しかし、今日の道徳問題は単に学校という枠の中だけではなく、家庭や地域社会や機能社会の全体にわたって密接不可分な関連をもって、大規模な展開をみせているのである。道徳教育をするうえで学校教師は、自分自身で人生の意味を発見できるように彼らの生活経験領域を意図的に計画的に整備しておくことが必要である。
学校道徳教育の課題となるのは、児童生徒が人生の意味についての感受性を敏感にさせることができるような、六領域の生活経験について検討してきた。これらは、児童生徒の道徳性の育成のための基礎であり、また文化的・宗教的な背景が何であったとしても、すべての児童生徒の道徳教育の基礎となりうるものであるのだ。
現代社会における学校道徳教育は、あくまでも人類全体に開かれた普遍的な目的を持ったものでなければならない。また、人間として真に生きるに値する生活を実践することができるような価値の発見へと導いていくような知性と感受性を育成していかなければならない。そのような人生の意味についての探究は、単に何のために生きるのかという目的感覚だけでなくて創造的に生活するための精力と活力とを児童生徒の身につけさせることが出来るようになるのである。
欧米の道徳教育の歴史的変遷について。
古代の道徳教育は「徳の教師」と自称する「知識人」(ソフィスト)の代表者プロタゴラスとその批判者ソクラテスとの間で行われた「徳は教えられるか」についての論争がおこった。この問題は、プラトンの「メノン」では、教えられる唯一のものは知識であると述べられている。従って、「徳が知識であれば教えられる」のである。「徳は知である」ということが証明され、「徳は教えられる」という証明にならなければならないのであるが、出された前提は、物事をおしえるにはどうしても教師が必要であるということである。しかるに徳には教師はないといえるのだ。
批判者であるソクラテスは「徳を教える教師もなく、徳を教える方法もない。」と言った。ようするに、徳の教師はないということであり徳は教えるものではなくして徳によって化かせられるのである。徳の知見は、徳ある人との行為的な関連によってしか学ぶことができないのである。それに対してプロタゴラスは、世の中の人々の憤りや懲罰や叱責が存在するという事実を注目して、徳は教えられると主張した。つまり、現実の世の中では子どもと同じ水準の精神構造をもつ大人に対して、細心の注意を払いながら懲罰などの外的圧力を用いることによって徳を他律的に教えているではないか。それゆえ徳とは何かと言うことは、まった自明の事実であったのである。プロタゴラスが主張する道徳教育は、世間でおこなわれているようなごく普通の道徳訓練であったが、これに対してソクラテスは子どもではなく青年を対象として永遠不滅の徳の理論を求めることを目標に掲げて、問答法を用いて道徳教育を進めようとしたのである。
ソクラテスの弟子プラトンは、子どもの道徳的成長を発達段階的にとられ、子どもが理性的になるまではプロタゴラス的立場を、また、理性的になればソクラテス的立場をそれぞれ採用するという考えを示したので
-
レポート
教育学
道徳
教育
通信
道徳教育の研究
550 販売中 2007/06/24
- 閲覧(2,988)
-
-
現在の道徳教育の課題について述べよ
-
「現代の道徳教育の課題について述べよ」
1はじめに
道徳教育とは、次の世代を担っていく子ども達に、人間としてふさわしい社会規範を身に付けさせることである。また子ども一人一人が、幸せになることを前提として、子ども達の持っているさまざまな豊かな能力を見つけ、それを伸ばすことが必要となってくる。その能力は、知識・情操・身体の三領域からなっていて、道徳教育はそれらの調和のための教育とも言える。要するに、道徳教育とは生きる力(知・徳・体のバランスのとれた力)の育成である。現代の道徳教育の在り方を考察し、そして、課題について探る。
2教育課程の改善について
平成10年に改訂された小学校学習指導要領解説(総則編)(平成11年、文部科学省)の第1章総説、(2)改訂の基本方針では、三つの問題点が挙がっている。1つ目は、計算や技能や文章を読み取る力などは、比較的よく身についており、学習に対する関心や意欲も高いが、一方で文章表現力や、論理的な思考力は、やや弱いこと。2つ目は、算数科や理科の学力は高い水準にあるが、一つの正答を求めることができても多角的なものの見方や考え方が十分ではないこと。3つ目は道徳教育についてだが、十分な時間が確保されていないことと、道徳に対して興味や関心を持っている生徒の割合は学年が上がるに従って低下していることである。そこで、これからの学校教育は、道徳教育を中核に位置付け、充実させていかなければならないとされた。教育方法の具体的な、改善案について考察する。
①豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚を育成すること。
道徳教育や特別活動等におけるボランティア活動や自然体験活動などの体験的な活動の充実をすること。道徳教育における、低学年の善悪の判断や社会生活上のルールなど重点的な指導の工夫をすること。障害のある人々との交流の推進をすること。第3学年からの保健学習の導入など、心身の健康に関する教育の充実をすること。社会科における人物・文化遺産中心の歴史学習の徹底をすること。
②自ら学び、自ら考える力を育成すること。
これからの学校教育においては、多くの知識を教え込む教育を転換し、生徒に自ら学び自ら考える力を育成することを重視すること。
③ゆとりのある教育活動を展開する中で、基礎基本の教育の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実すること。
完全学校週5日制を円滑に実施し、生涯学習の考え方を進めていくため、ゆとりのある教育活動が展開される中で、児童が基礎基本をじっくり学習できるようにすると共に興味や関心に応じた学習に主体的に取り組むことができるようにすること。
たとえば、土曜日や日曜日に学校外の学習機関が提供する学習に興味を持つ子どもは参加できる。そして、学んだことを学校に持ち帰り、発表・提供することで皆の共通財産にすることができる。また、インターネットを使うことで、これまで簡単に知り得なかった情報を使った学習が期待できる。
これらの学びは、相互に助け合う共同学習を基本とするものであり、さまざまな対象とじっくり関わる学習を通して、豊かな道徳性が育まれる。
④各学校が創意工夫を生かし特色ある、学校作りを進めること。
「総合的な学習の時間」を創設し、各学校が創意工夫を生かした教育活動を展開できるようにすると共に、各学校が創意工夫を生かして時間割を編成することがで
きるように授業時数の運用をすること。
総合的な学習の時間とは、人間として、生きるとはどういうことかを、具体的な生活体験を通して学び身に付けていく時間である。一言で言
-
レポート
教育学
道徳教育
生きる力
情操
550 販売中 2007/09/20
- 閲覧(8,455)
-
-
生きる力の育成と道徳教育について。
-
1996年7月に出された第15期中央教育審議会第一答申、「21世紀を展望した我が国の教育のあり方」以来、今日の教育目的となった感のある「生きる力」についてまず検討し、その後「生きる力」の核となる豊かな人間性を育む道徳教育のあり方について考察していく。
上記の答申は時代を超えて変わらない価値あるものを大切にするとともに、社会の変化に的確かつ迅速に対応する教育を実現するために、「生きる力」の育成という新しい教育の目的を提示した。
-
レポート
教育学
学習指導要領
生きる力
道徳
豊かな心
550 販売中 2006/09/20
- 閲覧(5,745)
-
-
現代の道徳教育の課題について述べよ。
-
道徳とは、社会において人が善悪の判断をするための基準であり、人の内面的原理として働いて人間相互の関係を規定するものであり、人としての生き方を示すものである。道徳を教えることによって、社会において望ましいとされる価値観や、それに基づいた行動様式や性格・態度を育てることを目指している教育を道徳教育という。また、道徳教育は学校教育活動におけるあらゆる機会、あらゆる場所において実現することを求められており、重要な教育とされている。社会規範である道徳教育は、子ども一人一人が幸福になることを前提として、個々の豊かな能力を見つけて伸ばすためにもおこなわれなければならないのである。
今日、さまざまな教育改革を行うことによって、子どもの中に「生きる力」を育もうとしている。「生きる力」とは、「確かな学力」と「豊かな人間性」と「健康・体力」の三つの育まれるべき能力の中心であり、それらが調和しながら発達していくためには、道徳教育は欠くことのできないものなのである。しかし、その「生きる力」を育むための現代の道徳教育には、いくつかの課題が含まれている。そこで今から、どんな課題があるのか述べていきたいと思う。
-
レポート
教育学
道徳教育
課題
道徳
教育
550 販売中 2006/11/04
- 閲覧(2,998)
-
-
道徳教育の歴史的変遷について
-
1)古代の道徳教育思想
紀元前5世紀頃、教育史上はじめて提示された道徳教育に関する問題は「徳は教えられるか」であった。ソクラテスは「徳が知識で教えうるもの」だとすれば、「徳という事柄について、その教師となりうるのはどんな人か」と考えた。しかし徳には教師はないため、徳は教えられないものだということになる。徳は知識ではなく知見であり、具体的な行為において具体的に学ぶよりほかはない。ゆえにソクラテスは「徳の教師はない」としている。
対してプロタゴラスは徳を教えられるものと主張した。徳が懲罰などで他律的に教えられている事実に注目したのだ。彼の道徳教育は家庭での躾、教師のもとで受ける品行方正の教育、健全な肉体づくりの三段階で行われるが、これは世間に見られるごく普通の道徳訓練であった。
ソクラテスの弟子プラトンは子どもの道徳性を発達段階的に捉え、ソクラテス的方法とプロタゴラス的方法を調和させている。すなわち子どもが理性的になるまではプロタゴラス的立場を、その後はソクラテス的立場を採用したのである。
プラトンの教育学が理想主義だとすれば、アリストテレスの教育学は現実主義であるといえよう。アリストテレスは「習慣(エトス)はあたかも自然(フュジス)のごとし」として、外的強制によって形成される習慣こそ自制できない子どもを道徳的に高めていくと考えている。
2)近代の道徳教育思想
ルソーは『エミール』で「人間は造物主の手をはなれるとき、すべて善であるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」と述べて、子どもを自然のままに教育することを主張した。人間の自然能力の開発への妨害となる要因、すなわち既成の体系的文化や道徳的・宗教的観念の注入を除去しながら、人間を自然のままに成長させていくというのが彼の主張する教育である。
-
レポート
教育学
道徳
歴史
変遷
デューイ
ルソー
550 販売中 2006/01/10
- 閲覧(4,150)
-
新しくなった
ハッピーキャンパスの特徴
- 写真のアップロード
- ハッピーキャンパスに写真の
アップロード機能ができます。
アップロード可能なファイルは:doc .ppt .xls .pdf .txt
.gif .jpg .png .zip
- 一括アップロード
- 一度にたくさんの資料のアップロードが可能です。 資料1件につき100MBまで、資料件数に制限はありません。
- 管理ツールで資料管理
- 資料の中から管理したい資料を数件選択し、タグの追加などの作業が可能です。
- 資料の情報を統計で確認
- 統計では販売収入、閲覧、ダウンロード、コメント、アップロードの日別の推移、アクセス元内訳などの確認ができます。
- 資料を更新する
- 一度アップロードした資料の内容を変更したり、書き加えたりしたい場合は、現在アップロードしてある資料に上書き保存をする形で更新することができます。
- 更新前の資料とは?
- 一度アップロードした資料を変更・更新した場合更新前の資料を確認することができます。
- 履歴を確認とは?
- 資料のアップロード、タイトル・公開設定・資料内容説明の変更、タグの追加などを期間指定で確認することができます。