連関資料 :: 算数

資料:418件

  • 算数科教育法
  • 『算数科教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ。』 国定教科書「尋常小学算術書」ができた1905年、教育の国家統制が強まる中、算数教育は全国的な制度として一元化されていった。「尋常小学算術書」は、表紙の色が黒いため、「黒表紙教科書」とも呼ばれる。黒表紙教科書の内容は、藤沢利喜太郎によって、厳格な「数え主義」のもと、数と計算を中心に構築された。これまで行われていた幾何教育は、ユーグリッド言論をもとにした内容を中学校でのみ扱い、小学校では計量の計算問題の一部として取り上げられるだけとなった。黒表紙教科書は、国家としての教育制度を確立する上で強力な推進力を担うものであり、子どもの認識の発達を考慮したものではなかった。また、子ども自ら考えるというよりは、教師が教え込むスタイルであった。 明治~大正にかけ、黒表紙教科書は数回の改訂を受け、1935年には新しい尋常算術書が発行された。表紙が緑色だったため、「緑表紙教科書」とも呼ばれる。それまでの黒表紙教科書と違い、子どもの認識を重視した構成で、計算、数、
  • レポート 算数科教育法 黒表紙教科書 緑表紙教科書 水色表紙教科書 単元学習 現代化 ゆとり
  • 550 販売中 2009/09/18
  • 閲覧(1,535)
  • 算数科教育の歴史について
  • 「算数科教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。上記を踏まえ、2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴について述べ、その教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。」 1はじめに  時代の変遷と共に、変化を遂げていく教育方法の特徴やねらいを汲み取り、今現在の時代背景を考慮した上で、求められるべき算数の知識・教育方法について考察する。 2算数教育の変遷  明治38年、日本で最初の国定算術教科書は、「黒表紙教科書」と呼ばれ教育のねらいは日常計算の習熟・生活上必須な知識・思考の精密化であった。その中でも日常計算の習熟が一番の主軸であり、一方的に計算方法の例題を示し、練習問題を課すことで計算の熟練をはかる方法をとった。生活上必須な知識の題材は、租税・利息・株式・度量衝など生徒の日常生活とはかけ離れていたが、学校を卒業して役立つような職業教育的算数教育だった。思考の精密化では暗算を通して思考力を養成することが目的だった。この教科書は3回修正されたが根本的な変化は無く、鍛錬によって知識を身に付ける数学教育が行われたと言える。結局、全体が抽象的で生徒の心理に対する配慮が払われていないという批判が多かった。事実、計算編重で生活に触れた事実問題が少な過ぎたのだろう。 昭和10年に改訂された教科書は、「緑表紙教科書」と呼ばれ掲げた目標は、数理思想を開発し日常生活を数理的に正しくするとした。主な特徴を3点挙げる。①児童中心主義への配慮―多くの挿し絵が入っている。一年生の教科書は絵のみで構成された。生徒の興味・関心に訴える配慮が汲み取れる。②学習過程の転換―従来の過程は数から始まったがこの過程は、具体的生活問題から始まり数理的問題に繋げ、練習を積んだ後、さらに具体的生活問題の解決に取り組む流れが考慮された。③作業を通しての学習―数を頭の中と紙の上で扱うのではなく、体を動かして数理的体験を深める生活教学が重視された。 昭和16年、算術は算数と改められ理科とともに理数科の一科目とされた、「水色表紙教科書」が登場する。内容は、「緑色表紙教科書」と大きな差は見られないが、軍国調の強い内容になっている。特徴は、この頃から図形・幾何教育において直観力の育成の要素が現れ始めた。 昭和22年、理数科は解体され算数は再び単一教科になった。算数科の目的は日常の現象に即して数・量・形の観念を明らかにし現象を考察処理する能力と科学的な生活態度を養うことだったが、実際は生活経験中心の教育観に基づく「生活単元学習」が強調された。この教育のねらいは、社会を理解し良くし優れた文化を作り出すことだった。小学算数は生活指導が中心で社会科のような印象を受ける。この頃から学力低下などの問題が出始めた。 昭和33年、それらの批判を受けて文部省は、算数科を「生活単元学習」から「系統学習」へ移行した。その教科目標は、数学的な考え方の育成であった。 1960年代から1970年代にかけて世界的な「数学教育の現代化運動」(数学教育の内容の刷新を図る運動)が起こる。日本でも、昭和43年学習指導要領が改訂され生活を基本とした題材は「現代化」によってほぼ姿を消した。系統学習の方向はさらに強まり集合・確立の内容が取り入れられたが算数・数学の教育内容のレベルが高く難しくなり、生徒が授業についていけない等の問題が起こり批判される。昭和52年、「現代化」の反省を踏まえてゆとりと基礎基本がテーマとなる。現代数学の多くが整
  • レポート 教育学 算数科 黒表紙教科書 緑表紙教科書
  • 550 販売中 2007/09/20
  • 閲覧(6,458)
  • 算数科教育の歴史
  • 『算数科教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。上記を踏まえ、2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴について述べ、その教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。』  社会の変容に伴って、現在、算数教育のあり方が問われている。私たちは、そうした現在に見合った新たな算数教育を創り上げていかなくてはならい。その際、重要なことは、現在の社会状況を的確に判断することと、日本におけるこれまでの算数教育の変移を詳細に見直すことであろう。ここで、明治時代初期から現代に至る算数教育に登場した教科書の変移について考えたい。  まず明治時代初期の算数教育からさかのぼる。明治時代初期は欧米の様々な教科書が翻訳・紹介され、多様な教科書を用いて、比較的自由な算数教育が展開されていた。日本の教師や研究者らが、自らの手で創りあげていこうとする気運はそれほどなかった。  明治時代中期になり欧米諸国の後を追って富国強兵政策のもと、学制改革(1886)、大日本帝国憲法発令(1889)、教育勅語発令(1890)と、日本の教育制度は着々と国家による統制の態を整えていくことになる。1905年には、藤沢利喜太郎らによって第一期国定教科書『尋常小学算術書(黒表紙教科書)』が編纂される。藤沢はこの中で、数え主義による数計算中心の算数教育を実現することになる。これらは、国家としての教育制度を確立する上で強力な推進力を担うものであったが、当時の子どもの認識の発達を考慮したものではなかった。  大正時代になり、教育を大人の立場からではなく、子どもの側から創りあげていこうという姿勢を生み出すこととなった。そして、それに見合った教科書の作成が行われようとするが、改訂は中途半端なものであった。  昭和時代前期になり、第四期『国定教科書(緑表紙教科書)』が発行されるようになった。この教科書により、数学、生活、そして子どもの認識という3者を踏まえて内容を設定するという、非常にバランスを持った発想で系統性を構築していった。それは、これまでの数え主義を中心した教育を記してきた黒表紙教科書からの脱皮を意図したものであった。  次に、第二次世界大戦の中に第五期『国定教科書(水色表紙教科書)』が登場する。その内容とは、前回の『緑表紙教科書』の内容とそれほど大きな差は見られないが当時の新しい数学を導入したり、理科との結びつきを強め実測・実験を重視するなど、内容面においていくつかの発展が見られた。そして、戦火の中ということもあって、ファシズムの影響を少なからず受けたものでもあった。  続いて敗戦後の時期を見ていくと、1949年教科書の国定制度が廃止され検定制度が行われることとなった。その制度による教科書の中は、大きくは「課」に分かれており各課は算数科の内容項目を示している。その課の中の項目が「単元」となっていて、単元名は全てが生活場面の内容を示している。よって、この時期の教科書の内容とは、場面設定を明確にして、その中で生じてきた問題を解いていくという形で構成されており生活場面の問題を解決する「道具」として、算数を学習していた。  敗戦後という時期であり、新教育がアメリカからの影響を多分にもったものであること、日本に子どもを対象として作られたものではないが故に、教育現場で数多くの矛盾が生じてくるなどの問題もあった。そして、科学技術社会からの要請による数学教育の急速な変貌へとつながっていったのだ。  「数学教
  • レポート 教育学 算数科教育 学習指導要領 歴史
  • 550 販売中 2007/04/18
  • 閲覧(5,239)
新しくなった
ハッピーキャンパスの特徴
写真のアップロード
一括アップロード
管理ツールで資料管理
資料の情報を統計で確認
資料を更新する
更新前の資料とは?
履歴を確認とは?