連関資料 :: 社会

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  • 『学力低下とは何かを明らかにし、社会階層のような社会的不平等と学力がどのような関わりをもつのかについて述べよ。』
  • 『学力低下とは何かを明らかにし、社会階層のような社会的不平等と学力がどのような関わりをもつのかについて述べよ。』  今、学力低下が非常にセンセーショナルに論じられている。大学生に限ってみれば、学力が低下しているという議論は古いものではなく、大学生レジャー論、青年総休暇村論、高等保育園論などは、学力低下と絡めて論じられてきたし、「新制大学・駅弁大学の卒業生は・・・」、「全共闘世代は・・・」、「共通一次世代は・・・」と世代論を絡める形で、新しい世代は「こんなこともできない、あんなこともできない」と論じられ続けてきた。  しかし、今日展開されている議論は、明らかにそれらとは異なる。少なくともこれまでの大学生の学力低下は、ある意味で大衆化の必然的な帰結であった側面もある。大学生の学力低下は、要するにこれまで大学に入れなかった層が大学生になることによって、引き起こされていたともいえるのである。したがって、そういう事態が望ましいかどうかは別として、つまり大学の大衆化を、高等教育の発展ととらえるか、大学の堕落ととらえるかは別として、全体的には、教育水準が上昇することによって、新しい世代は前の世代以上の学力を身につけているであろうということが了解されていた。また、仮に大学での教育がうまく機能してなくても、高校以下の教育は水準が高く、国際コンテストでトップクラスにあるため、大学時代の他称の教育的ウエスティジは大目に見られたのである。今日の議論は、新しい世代の学力が前の世代の学力に及ばない、縮小再生産の過程が始まったのではないかという疑念があるところに、根本的かつ深刻な問題があるのである。こういった疑念のさらに根本にあるのは、「学ぶ」ということに対する価値付けの低下である。一部の大学においては、すでに学力低下以前の問題が起きている。学生に学習する習慣がないのである。かつての大学であれば、少なくとも学校教育で展開される日々の学習に適応する生徒が進学していたはずである。そうでなければ大学入試に受からなかったはずである。しかし現在は、大学進学は易化し、ほぼフリーパスに近いのであり、学習習慣を身につけていない大学生が大量に発生することになる。 学力低下の原因のひとつといわれているのが、学習指導要領の改訂による学習内容の削減である。昭和52,53年改訂版より学習内容は削減され、最新の平成10,11年改訂版では前指導要領よりも3割も削減されている。削減される前のカリキュラムで教育を受けた世代にすでに深刻な学力低下が見られている。また、学力低下の背景には、夢をもつ子どもや青年が少なくなってきているということがある。つまり学習する事への動機づけが減退してきているということである。自分の将来の展望を描けない子どもたちが増えてきているのである。さらに、社会階層間の学習時間の格差が拡大していることも学力低下の一因だろう。学習内容削減前と比べて削減後の方が、社会階層間の学習時間の格差が拡大しているのである。勉強離れが進行しているというわけである。国際的な視野からみても、日本の子どもたちの数学や科学の学力は、高い位置をキープしてはいるが徐々に低下している。 学力低下をめぐる議論にはいくつかのタイプがある。議論は多岐にわたるが四つの類型に整理してみた。まず、議論の観点として「国家・社会の観点」からか、「児童・生徒の観点」からか設定する。もう一つ、「ゆとり教育を中心とする現在の教育改革の狙い」に肯定的か、否定的かを設定する。タイプ1:「国家・社会の観点」から「ゆとり教育」に肯定的なもの。このタイ
  • 教育社会学 リポート 学力低下 格差社会
  • 550 販売中 2007/11/10
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  • 社会福祉原論② 「戦後の社会福祉の展開と今日の課題について述べよ。」 課題レポートB判定
  • 第二次世界大戦(1939年~1945年)によって日本の国富の4分の1が失われた。街は浮浪児・者、失業者などで溢れ、物質は極端に不足して、国民は闇市で食糧を求めた。そうした状況の中で、最低限の国民の生活を支える事が、戦後の日本における社会福祉の第一義的課題となっていた。  敗戦国である日本は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令、勧告の基に、非軍事化、民主化を改革の基本方針として、日本を終戦後から1952年まで日本を統治した。このように戦後の社会福祉はGHQの指導で始まった。そのGHQの指示により先ず取り組まれたのは、「生活困窮者緊急生活援護要綱」 の作成であった。また、1946年には、国家責任、無差別平等、公私分離、必要充足を原則として「社会救済に関する覚書」が示され、 これに基づき、同年に「(旧)生活保護法」(以下旧法と略す)が制定された。
  • 福祉 日本 社会福祉 憲法 社会 経済 社会保障 少子化 高齢者 介護
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  • 【玉川大学】社会科指導法Ⅰ(中学)「中学校社会科教育の方向性」
  • ※このレポートは、玉川大学通信教育部・科目名「社会科指導法Ⅰ(中学)」平成24年度課題の合格済レポートです。 教員による評価・批評は以下の通りです。 <課題> 戦後の中学校社会科教育の流れを踏まえ、現在の中学校社会科教育の方向性について考察せよ。 <評価> B(合格) <批評> 指導要領の変遷過程が要領よくまとめられており、これ自体が戦後社会科の概要となっている。 ただ、結びの部分に今一つ「自分」が入っていない。 もう少し自己の考える社会科のあり方について触れてよい。 ____________________________ めにまず、戦後の中学校社会科教育の流れを明らかにする。 <戦後の中学校社会科教育の流れ>  中学校社会科は1947(昭和22)年に発足し、その内容は現在までに8回改訂されている。その内容の変遷を大観すると、問題解決学習と系統学習のどちらに重心を置くかであった。  中学校社会科は戦前の超国家主義的性格の修身・歴史・地理教育の反省に基づき、日本国憲法ならびに教育基本法の精神に従った民主主義社会の建設にふさわしい社会人を形成することを主目標として、1947(昭和22)年4月に発足した。理念には一般社会科構想が掲げられ、教科内容で系統立てる扱い方をせず、たとえば、政治の問題を学習するためには政治史の知識、地理的な背景、経済面、社会関係といった多角的な知識を総合的に扱い、生徒自身の力によって融合させ理解させることを目指した。生徒の自主性を尊重した問題解決学習を重視したのである。  しかし、戦前・戦後での内容の大幅な違いと学習指導要領の不明確さが、現場での教育計画の立案や授業実践に多くの混乱を引き起こした。また、活動主義が強調され過ぎ、社会事象の上をなでまわすだけの授業になり、基礎学力の低下を招いているという批判を受け、学習指導要領は数次におよぶ改訂が行われる。その中で道徳が特設され、地理・歴史・公民等の分野別系統的指導が導入され、低学年社会科と高校の社会科は廃止されるなど、中等社会科発足当初の総合教科的性格はなくなっていく。 1958年における改訂では、中高ともに一般社会科が完全に廃止され、総合されたものから分野別かつ学年配当の教科体系となった。中学校では1年次で地理的分野、2年次で歴史的分野、3年次で政治・経済・社会的分野を履修するいわゆるザブトン型の履修形態となり、高校では倫理・社会・地理などに分化された科目が設定された。  1970年代に入り、過密な教育内容による知識注入型の教育が大量の落ちこぼれを生み出す社会問題となった。これを受けて、生きる力の育成が必要だとして、いわゆる、ゆとり教育を掲げ1977年(高校は1978年)に大幅な改訂が行われた。高校では1年次必修とし…
  • 歴史 日本 社会 経済 学校 倫理 学習 学習指導要領 政治 問題 玉川 通信
  • 990 販売中 2015/07/07
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