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連関資料 :: 教育

資料:11,673件

  • 教育問題の社会学
  •  私が本論を記述するに際して感じたのは、教育学的・啓蒙的な言説の無能さであるが、言説の生産と再生産にいかにコミットするかによって他者との落差を生み出し「位置」を消費して快楽を見出せるのならば、「自分の身体を売るのはやめなさい」といった保護者的な言説実践は有効であり、消えるものでもないだろう。社会学者は、言説を生み出すエージェンシーを自己再帰的に反省するという点で、その記述の相対性を記述内部で明らかにするが、多くの識者の言説は役割内部で沈殿している。本論で取り上げたブルセラ、援助交際について言えば、「性を売り物にしてはいけない」という言説に「良識ある大人」として親和しながらも、「女子中高生という性を買っているオトナ」にもなりうる現実を多くの人が認識するべきではないかと思う。
  • レポート 援助交際 教育 社会学 構築主義
  • 550 販売中 2005/07/10
  • 閲覧(2,257)
  • 学校教育の改善点
  • 学校教育の利点と弱点と考えた時に、正直たくさんありすぎて、どこから論じていけばいいか、迷うものがある。そこで私は大きく『学級の能力別な編成』が一番典型的できあると考え、論じていくことにする。まず利点=『長所』から論じていこう。能力別な編成の基本的なねらいが、学級における児童生徒の『個性化』を目指すものであることは言うまでもない。現在一般的に多くとらえられている、同一学年編成における児童生徒たちは、身体的・知的・社会的・情緒的側面においていずれも生得的あるいは後天的原因によって、いちじるしい個人差が存在している。これに応じる典型的な編成法として能力別学級編成の第一の価値がある。そして第二には、能力別な編成法はそもそも近代学校における学級編成それ自体が教授能率・学習能率を高めるために生まれたことに関係して、さらにそれを強化する意味合いを持っている。暦年齢で学級を作るよりも、精神年齢や学業年齢によって学級編成をするほうがより合理的・能率的だということになる。事実、その実験も歴史上幾多見られたところであった。しかし、ここで留意すべきことは、今日の能力別な編成は正しい意味で上記第1の個性化に結びついた教授能率・学習能率を目指す意味で、この長所をもつものである。 教育とはまさに字の通り『教え育む』ことである。現段階では少しずつ変わりつつあるが、まだ一方的に教え込む・価値観を埋めつけるといったような教育が続いている。最近はゆとり教育などで学力低下と世間で騒がれているが、果たして改善することに意義があるのだろうか。もちろん改善することは非常にいいことだが、子供たちの個性や価値観、そして貴重な想像力も潰してしまう可能性があることも忘れてはならない。ちなみにだがオーストラリアの公立中学の唯一の校則は『生徒は学校をエンジョイする権利が有る』と述べてあるのだ。
  • レポート 教育学 学校教育 利点 弱点 マンパワー
  • 550 販売中 2005/07/16
  • 閲覧(3,642)
  • 現代日本の教育課題
  • 現代日本の教育課題は大きく家庭・地域に分けて論じることが出来る。 家庭における教育は、乳幼児期の親子の絆の形成に始まる家族とのふれあいを通じ、基礎的な資質や能力に関わるすべての教育の出発点である。しかし、近年の都市化、核家族化等に伴う地域の人間関係の希薄化等により、子育ての知恵を得る機会 が乏しくなっており、家庭教育に対する親の自覚の不足、親の過保護・過干渉、放任などが見られ、家庭の教育力の向上を図ることが大きな課題となっ ている。  核家族世帯は年々増加し、3世代世帯の割合は減少している。また、少子化傾向も一段と進んでいる。核家族化の進行に伴い、祖父母世代からの子育ての経験や知恵の伝承が困難になっている。また、他人の家庭に干渉しない風潮等のもとで、身近なところで子育ての相談や支援を得る機会が減少する一方、多様な子育てに関する情報が氾濫しており、このような状況のもとで、親の子育ての悩みや不安は増加している。その結果、孤立感を深めた母親が育児ノイローゼなどに陥り、わが子に危害を加えるような痛ましい事件も近年増加の一途をたどっている。 また、個食化や団欒の減少など、家族が関わり合う場面やコミュニケーションが少なくなってきている様子も伺える。また、家庭の教育を、学校や幼稚園・保育所などの教育機関に依存する傾向も伺える。  このように家庭を取り巻く様々な変化により、家庭の教育力が低下する一方で、子どもに対する過保護・過干渉、放任などといった状況が生じている。大阪府の「教育改革に関するアンケート調査」において、「最近の子どもの様々な課題に対応する」ために、「幼児期における家庭のしつけ」が最も大切であると答えた人は54.6%を占めている。
  • レポート 教育学 教育 学校 地域社会 家庭教育 異年齢集団との交流
  • 550 販売中 2005/07/18
  • 閲覧(16,385)
  • 比較教育制度論
  • 問 日本は欧米の教育から何を学ぶことが出来るか  日本の教育が欧米から学ぶべき点、それは、学校選択の自由化・多様化の面である。今現在最も大きな問題になっているのは不登校児童・生徒に対する教育システムである。日本の不登校児童・生徒は20万人を超えているといわれ、もはや既存のシステムでは対応出来なくなっているのが現状である。また、幅広い年齢層や状況に対応した教育機関も整備されておらず、学校選択の自由化・多様化が求められている。  アメリカでは、1960年代以降、オルタナティブスクール・マグネットスクール・チャータースクールなどの新しいタイプの学校が登場し、学校選択の自由化が進められた。 日本でも80年代後半以降オルタナティブスクールが登場し、不登校が社会問題化した90年代後半からは多くのフリースクール・フリースペース・通信制サポート校といったオルタナティブスクールが誕生したが、そのほとんどが私立で対象もいわゆる10代の若者を対象としたものであり、アメリカのそれとは明らかに異なった状況である。
  • レポート 教育学 教育制度 不登校 日米比較 学校選択 自由化
  • 550 販売中 2005/07/18
  • 閲覧(3,136)
  • 最近の数学教育の動向について
  •  『小学校学習指導要領解説算数編』によれば、算数の目標は次のようになっている。「数量や図形についての算数的活動を通して、基礎的な知識と技能を身に付け、日常の事象について見通しをもち筋道を立てて考える能力を育てるとともに、活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き、進んで生活に生かそうとする態度を育てる」。この教育的特長を端的に表すのには、「ゆとり教育」と「問題解決型学習」という表現が最適であろう。これは無論、昨今の中央教育審議会(中教審)答申を鑑みれば算数科教育のみならず、他教科にも当てはまるものであろう。しかし、こうした国家的規模での教育方針の転換に際して、習熟度別学習やT・T指導などといった独自の対策をいち早く導入したという点で、数学教育は評価されて然るべきである。したがって以下では、近年の算数教育の代表的特長として、?ゆとりの中での基礎・基本の確実な定着と、?個に応じた指導という二点を取り上げたうえで論じていきたい。なぜなら、この二点が、現行の学習指導要領が目指す「生きる力」、すなわち「確かな学力」を育てる学習指導を進めていくために必要不可欠なものだと考えるからである。  まず、ゆとりの中での基礎・基本の確実な定着に関してであるが、ここでいう「ゆとり」とは何であろうか。ゆとりのある学習とは、子どもが時間的にも、精神的にもじっくりとおこなえる学習であるから、子どもたちはゆとりのある学習のなかで、いろいろな作業的・体験的な活動などに取り組み、数学的諸事象についての意味を理解し、感覚を豊かにしていくことができるようになる。例えば、やhaという単位は体験を通して実感を伴ってとらえることができるし、表やグラフを日常生活の場面に結び付けたりすることもできる。このようにして、基礎・基本の確実な定着を図ることは非常に重要なことであると言えよう。
  • レポート 教育学 算数 数学 教育 ゆとり 基礎基本
  • 550 販売中 2005/07/27
  • 閲覧(2,140)
  • 同和教育の実践法
  •  「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なお著しく基本的人権を侵害され、特に、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、最も深刻にして重大な社会問題である。」(同和対策審議会答申)  なぜ同和問題が学校教育の中で重要視されるのかは、同和問題が日本国内に居住する同じ国民であるにもかかわらず、日本人が日本人を差別してきたという日本の歴史上重要な部分を占めているということ、そして同和問題解決のための教育が行われてきたが、今なお根強くこの問題が残っており、真の解決に至っていないからである。  このような同和問題を解決するためには、同和問題を単なる被差別部落の歴史的な遺産として捉えるのではなく、日本の、また世界においても同様に歴史的な発展の中で差別が創られ、今日でもなお不合理な問題として残っているということを認識しなければならないと考えられる。平成8年度京都市教育委員会の同和問題指導の中で、「社会科の果たす役割」について触れてあるが、成熟した市民社会の構成員として、社会の関係を正しく把握し、基本的人権の尊重を軸とする民主主義の担い手としての本来の社会科の目的を踏まえた教育を施すことができれば、当然「差別は許さない」という態度が確立されるはずである。  また、既に被差別部落へのハード面での積極的な差別解消措置については一連の時限立法において、ある程度の効果が上がっていると考えられる。
  • レポート 教育学 同和問題 同和対策審議会 被差別部落
  • 550 販売中 2006/02/10
  • 閲覧(2,114)
  • 大衆教育社会のゆくえ
  •  大衆教育社会の成立には戦後の日本において展開された平等主義と能力主義が深く関係している。大衆教育社会とは、教育が「量的」に拡大し、多くの人々が教育を受ける社会のことを指す。戦後の日本では、教育の機会が拡大されるにつれ貧富の差という社会階層間の差異を通じて教育問題が語られてきた。アメリカやイギリスなどでも同様に社会階層によって教育の不平等が生まれることが問題視され、今現在も階層問題は教育を論じるうえで欠かせない事柄である。だが、高度経済成長期を迎え、貧富の差が現実味をあまり持たなくなってからの日本においては、階層による教育機会の不平等は明らかに存在していたにも関わらず、人々の階層への意識がうすれていく。その原因は冒頭に記した日本固有の、結果の平等ではなく機会の平等を要求する「平等主義」と、個人の学力差は生得的能力において決定的差異を持たないという「能力主義」にある。  日本はアメリカやイギリスに比べ、生まれによる階層差別がはるかに少ない。このことは受験による「生まれかわり」が可能であることを示す。学歴取得のための受験機会はどの階層にも平等に開かれており、テストの内容も中立的で選抜方法もどこかの階層にだけ有利ということはない。そして一度獲得された学歴はその後の社会的成功と密接に関係しており、よって人々はこの選抜方法と学歴取得後の公平さを見て平等であると感じてしまう。  日本と同様に教育が量的に拡大した他の国と比較してもとりわけ学歴社会であるというわけではない。だが、「学歴社会論」が一つの議論のジャンルを確立し、また、大衆の意識にこれほどまで浸透している状態は日本においてのみ見られる現象である。学歴社会批判には、学歴社会を悪であるとし、この学歴取得競争が教育を歪めているとする一方で、学歴がその後の成功にいかに重要なことか知っているため自分の子供には高学歴を望んでしまうという矛盾を含んでいる。
  • レポート 教育学 教育 学歴社会 テスト学力 不平等
  • 550 販売中 2006/02/12
  • 閲覧(13,569)
  • 外国語教育のあり方
  •  日本では文法と和訳に重点を置くGrammer-Translation Methodが今でも根強く各地に残っている。文法・法則・例外などの暗記にかなりの時間をかけ、例文のリーディングをした後に母国語に置き換えてその意味を把握しようとするのだが、その方法上さまざまな問題点がある。まず第一に体系としての言語ばかりを重視するあまり、運用としての言語の側面がおろそかにされて、生徒の自己表現力の発達が望めないということ。第二に教師が指導の手段として英語を用いる機会が乏しいので、ややもすると日本語の授業のようになってしまうことである。ただでさえ時間の限られている時間の限られている英語の授業では、他の教科や場所でもやれることを一切省いて、英語の授業の中でしかできないことに全精力を集中すべき(Suzuki,1999;97)であるし、今の日本の現状には全くと言っていいほど合っていない教授法なのである。  これまでの、相手に自分を同化させることを試みながら、自己改造と社会改革をはかることを目的としていた受け身的な日本の外国語教育体制は、1960年代半ばから起こった日本と外国との関係の水平化・多項化(Suzuki,1999;75)によって、機能不全に陥っている。
  • レポート 教育学 英語教育 指導法 日本の教育問題
  • 550 販売中 2006/02/15
  • 閲覧(1,998)
  • 社会科教育
  • ○教える側と学ぶ側について考えたこと  講義の中で太田先生がおっしゃった「その時間にメタ認知をしてはいないか。まず学習にどっぷりつかってほしい。」ということに関して、私は自分との違和感を持ちました。自分の経験から考えて、一つ一つにどっぷりつかることで取り扱っている内容の方向性を見失って、結局その時間何を学んだのかわからなくなる危険があるように思っていたからです。自分でメタ認知させながら思考すること、聴くこと、訊くことがあるべき姿なのだろうと考えていました。(ですがそれを実践することはなかなかできていません。)講義を受けてから今までそのことが自分の中で落ちなくて気になっていました。
  • レポート 教育学 教える側と学ぶ側 模擬授業 指導案
  • 550 販売中 2006/02/15
  • 閲覧(1,480)
  • 平和教育の方向性について
  • 平和教育の方向性について 人類史上最初の原爆投下を含む悲惨な戦争体験の国民的反省と平和の価値への覚醒とが、戦争放棄の平和憲法と平和的人間の形成を目ざす教育基本法とを生み、それらによってその後の日本の教育が平和教育でなければならぬという原則が確立されたという点に、戦後わが国の教育の根本的特色があるのである。それは侵略戦争への単なるざんげをこえて、人類の未来の教育を先どりしたものでもあった。 これは1976年に創刊した『季刊平和教育』の第1号に書かれている言葉である。この文章を読むと複雑な想いがする。平和の概念が構造的暴力の克服も含めた積極的平和へと進歩しているのに対し、その大前提となる平和憲法と教育基本法が変えられようとしているからである。「人類の未来の教育を先どりしたもの」であったはずなのに、今では退化の道を歩んでいる。自分の周辺、自分の生きている間のことしか考えないのならば、目先の利益だけを追い求めて好きなようにしたらよい。しかし、もし未来を望むのであれば無関心でいるわけにはいかない。人間は未来を想像する力の発達した生き物である。
  • レポート 教育学 平和教育 構造的暴力 積極的平和
  • 550 販売中 2006/02/15
  • 閲覧(1,779)
  • 視聴覚障害児の教育
  • <視覚障害児の保護者の話>  今年の正月の番組で「初めてのお使い」というものがあった。その番組内で、視覚障害(impaired sight)を持った息子をはじめてお使いに出そうと決心した母親がいた。生まれつき視力が弱く、何をするにも母親と一緒であった。しかしこのままではいけないと感じた母親が番組に応募したのがきっかけである。お使いはごく簡単なもので、近くのスーパーに弟のオムツを買いに行くというものであったが、息子は母の元を離れようとしない。一旦は玄関を出たのだが、必ず母親が出てくると信じていた息子は玄関で待っていた。案の定母親は心配になって、ドアを開けてしまった。母親はしっかりと抱きついたまま離れない息子にだんだんと腹が立っていく。そこに近所の男の子が現れ、息子はその男の子と一緒に歩もうとした瞬間、母親が思わず「どこいくの?!」と言ってしまった。即座に訂正し、「いやなんでもない、行っておいで」といったが、息子は行く意欲を失い、日が暮れるまで言い訳をし続けた。スタッフも撮影を辞めようと試みたが、母親も一緒にスーパーへ行くということで撮影を続行した。母親は最後まで息子を一人にできず傍にいた。しかし、数年後彼はサッカーを始め、一人で様々なことをやり遂げていった。このお使いは母親のお使いだったのかもしれない。
  • レポート 教育学 聾・盲学校 弱視教育 養護学校
  • 550 販売中 2006/02/22
  • 閲覧(1,625)
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