連関資料 :: 教育

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  • 基礎心理学と教育のかかわり
  •  私は高校時代、日本史が三年を通して一番成績がよかった。しかし、もともと小学六年生(歴史の授業が始まるのはこのときからなので)のときから、日本史が得意だったわけではなく、どちらかといえば、ただの暗記するだけのつまらない科目だと思い、あまり好きではなかった。  そこで、根っからの歴史好きではなかった自分が、なぜ高校時では歴史が大の得意だと思うほどになったのかを、授業で習った基礎心理学をからめて考えてみたいと思う。 1. 動機づけ  ものごとにおいて、何かうまくなろうとか極めようと思ったきっかけが、そのことが好きだからというのが一番強いと思われる。私の場合は、前にも述べたように、始めは歴史そのものが好きだったわけではない。実のところ、その歴史を教えていた先生が好きだったのである。自分が気に入っている先生の授業であるとなおさらしっかりと聞くようになり、勉強にも身が入るものである。教科書のp155 の8.1.1“内発的動機づけの源泉”には、「内発的動機づけの第一の源泉は、知的好奇心(epistemic curiosity)である。知的好奇心は、拡散的好奇心と特殊好奇心の二つに区別される。拡散的好奇心とは、自分が知らないことやめずらしいことに興味を持つという好奇心である。特殊的好奇心とは興味を持ったものを深く追求し、認識しようとする好奇心である」とかかれている。私が歴史を勉強したきっかけは拡散的好奇心よりは特殊好奇心であると思う。始めは、歴史そのものよりも、自分が気に入った先生だから話をしっかり聞き(よい生徒と思われたい面もあるかもしれない)、そのうちに歴史そのものに興味が移り、授業以外にも、歴史の本やTVを見たりするようになった。  また、自分の好きな先生かつ好きな科目では、テストにも熱が入るものである。特にこの先生の場合、高得点者はクラスの中で名前を読んで発表していた。
  • レポート 教育学 記憶 動機付け 教育
  • 550 販売中 2006/02/07
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  • 国連・ユネスコと平和教育の関係
  •  国連憲章前文の最初に「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い」とあるように、悲惨な戦争を繰り返さないために国際連合は誕生した。1945年のことである。国際連盟の失敗を反省し、より現実的に世界の平和を目指したのだった。そもそも、「国際連合」の提唱はカントによって1795年にされている。「平和とは一切の敵意がなくなること」と捉えたカントは、永遠の平和への理想を哲学的な実践理性の立場から明らかにしたのだった。しかし当時はそのような考えは無視され続け、その原則に反することばかりが行われてきた。  そして国連発足の翌年、1946年にユネスコが誕生した。ユネスコ憲章前文にはこうある。  戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。  この言葉が、世界中の平和を目指す者にとって、常に意識するところとなった。そして今でもこの理念のもとに活動を続けている。日本は、1951年に60番目の加盟国としてユネスコに参加し、1952年には「ユネスコ活動に関する法律」を制定し、国際連合の精神に則り世界の平和と人類の福祉に貢献することを目標としている。なお、国連に加盟するのは1956年のことである。  これまでの様々な会議で数多くの宣言や勧告、条約が発表され、国際教育や軍縮教育、成人教育等を通して平和への働きかけを行ってきた。そのごく一部を取り上げると、 1974年 第18回ユネスコ総会 ユネスコ国際教育勧告(国際理解、国際協力および国際平和のための教育並びに人権および基本的自由のための教育勧告) 1978年 第1回国際軍縮特別総会 1980年 第1回軍縮教育世界会議 1986年 国際平和年、世界の平和の可能性を討議する国際平和会議 「暴力についてのセビリア声明」発表 1989年 人の心の中の平和に関する国際会議、子どもの権利条約採択
  • レポート 教育学 国連 ユネスコ 私の平和宣言
  • 550 販売中 2006/02/15
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  • 日本型国際理解教育について
  •  第二次世界大戦が終了し、国際連合の発足とともに人類は世界平和を目指して動き始める。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となったという反省に基づき、教育も「国際理解」と「国際協力」を中心に考えられるようになった。特に「国際理解」については、人権尊重と他国・他民族・多文化の理解が重視され、より力が入れられてきたのだが、1974年、第18回ユネスコ総会において発表された「国際理解、国際協力および国際平和のための教育並びに人権および基本的自由のための教育勧告(国際教育勧告)」によって大きな進展をみせる。  この「国際教育勧告」は、ユネスコにおけるそれまでの国際理解教育に関する多様な概念をその時点で総括したもので、なぜ今までの「国際教育」と大きく異なっていたといえるのか。それには次のような理由がある。 (1) 国際理解・国際協力・国際平和の三概念に、人権・基本的自由の二概念(貧困・飢餓、環境問題、人口、人権侵害等)を加え、これらは根本的に不可分であるというユネスコの立場を象徴したこと。 (2) こうした世界的課題の解決、さらには国際理解を阻害する要因(新植民地主義、ファシズム、人種差別等)の解決とその克服に向けて、参加、行動することを強く呼びかけたこと。 (3) 「国際教育」の基軸を国家から人間に移し、世界的公民の育成を志向したこと。  この新しい「国際理解教育」は、日本国憲法と教育基本法の精神を大切にした教育関係者の間で大きく期待され、人権尊重を中心とした数々の実践を重ねていった。
  • レポート 教育学 国際教育 地球的課題 異文化理解
  • 550 販売中 2006/02/15
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  • 道徳教育の歴史的変遷について
  • ●古代欧米の道徳教育  西洋の道徳教育思想の起源は、紀元前5世紀に求めることができる。「徳の教師」と自称する「知識人(ソフィスト)」達が、青年たちにすぐれた市民になるための徳を授けようとした。プロタゴラスとソクラテスの「徳は教えられるか」についての論争(ソクラテスは:徳を教える方法は無い プロタゴラス:徳は教えられる)は道徳教育の本質について考える手がかりを与えた。  プロタゴラスの主張した道徳教育は三段階で行われ、第一は家庭での躾、第二は教師の元での学習を通じての教育、第三は社会の中で国家に強制される、というものであった。これに対して、ソクラテスは子供ではなく青年を対象とし、永遠不滅の徳の理論を求めることを目標に問答法を用いて道徳教育を進めようとした。  ソクラテスの弟子プラトンは、子供の道徳的成長を発達段階的にとらえ、子供が理性的になるまではプロタゴラス的立場を、理性的になればソクラテス的立場を取ることで、両者の方法を調和させた。プラトンは人間の精神を理性・気概・欲望の三つに分け、それぞれ知恵・勇気・節制の徳を対応させた。  プラトンに対しアリストテレスの教育学は、理想主義に対する現実主義の立場であった。外的強制により生成される「習慣」が善き人になるための下地であると定義した。
  • レポート 教育学 プロタゴラス ソクラテス プラトン ペスタロッチー デューイ
  • 550 販売中 2006/03/14
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  • 教育方法論 科目テスト
  • 近大姫路大学通信教育学部の科目試験答案例です。学習の参考資料として活用お願いします。 1、教育方法の定義を述べた上で教育目標や教育内容との関係について論述せよ 2、プログラム学習と完全習得学習についてその特徴について論述せよ 3、現在の学校教育における生徒指導の問題点を指摘した上で、今後の生徒指導の在り方について自己の見     解を述べよ。 4、現代の情報教育の問題点を挙げよ 5、「学力」とは何かについて論述せよ 6、小中学校の教育と比較して幼児教育において特に重要と考えられるものは何かについて考察せよ
  • 近大姫路 通信 試験 科目 テスト
  • 1,100 販売中 2012/11/20
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