連関資料 :: 教育について

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  • ジョン・ロックにおける子どもの教育
  • 「ジョン・ロックにおける子どもの教育論、特に慣習形成や賞罰法を中心に述べよ。」(第二設題) 「人間の精神は白紙(タブラ・ラサ)であり、教育とは精神に印象を刻み込むことである」 ジョン・ロックの教育論について語るにおいて、タブラ・ラサ説から入っていかなくてはいけない。タブラ・ラサとは心の中には生まれながらに刻み付けられた観念や原理はないという考えのことである。「そこで、心は、言ってみれば文字をまったく欠いた白紙で、観念は少しもないと想定しよう。どのようにして心は観念を備えるようになるか。人間の忙しく果てしない心像が心にほとんど限りなく多種多様に描いてきた、あの膨大な貯えを心のどこから得るか。どこから心は理知的推理と知識のすべての材料をわがものにするか。これに対して、私は一語で経験からと答える。この経験に私たちはいっさいの知識は根底を持ち、この経験からいっさいの知識は究極的に由来する。」と彼は述べている。子どもは生まれた時はまだ何の観念も持っていない白紙の状態なので、教育によってさまざまな観念を獲得するようになるという。ロックは子どもの教育は経験的な訓練から始めるよう主張する。感覚を通じて、さまざまな知識や経験が心の白紙に書き込まれるのである。 もし幼少期に子どもに謝った知識や経験を与えると、一生誤った観念を持つ危険性もある。「観念はきわめて安易に結びつく傾向を持っており、それが慣習化すると非常に強く思考を誤らせる結果となる。」とロックは述べている。正しい方法で正しい知識と観念を子どもに教育することが求められるのは彼が述べていることからも想像に難くない。 しかし、正しい教育をすれば、誰でもすばらしい人間になれるのかという疑問が生まれてくる。彼が述べた理論には、楽観的教育論が潜んでいるのは事実である。教育さえすれば立派な人間が生まれるという教育万能論に結びついてくる。 ロックの教育論は紳士教育論とも言われている。紳士になるために子どものときの親の教育の重要性を述べている。紳士とは健全な身体と道徳と知識を持っている人のことを指す。ロックは親が子どもを甘やかしすぎ、必要な訓練を行っておらず、欲望を抑えることを覚えず、理性を育てきれていないと嘆いていた。これは現代にも通じることで甘えと嫌われるのが嫌だという考えから、幼少期の子どもに必要な教育を行わず、機嫌取りや子どもの欲望を満たすことに必死になっている。子どもに理性的な感情を与えるのを、必要な訓練からあると述べている。それは「若いときに、自己の意志を他人の理性に服従させることになれていない者は、自己の理性を活用すべき年齢になっても、自分自身の理性に傾聴し従うことは、めったにない。」と述べている。したがって、両親は子どもに、両親の意志に従うように教育すべきである。精神的に訓練されれば、子どもは自分の理性をコントロールでき、欲望がいろんなところに動いても、理性が最善と示す方向に純粋に従うことができるようになる。厳しく教育はすべきであるが強制的であってはならない。威圧的な態度で子どもに向かうのではなく、完全にできるまで子どもたちに何回も繰り返してやることが重要である。繰り返し行為を行うことで記憶ができ、習慣づけることで容易に、自然に、おこなうことができる。親が子どもを教育するときには、少しの規則と反復的訓練によって、精神的に正しい方向に導いていくことができるのである。 良いことをすれば褒め、悪いことをすれば叱る。賞罰とはこのようなことを言う。ロックは、鞭による罰を禁止する、単に外から、威圧を加えることをよしとしな
  • レポート 教育学 教育原論 ロック 習慣 賞罰 A評価でした。
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  • 現在の道徳教育の課題について述べよ
  • 「現代の道徳教育の課題について述べよ」 1はじめに  道徳教育とは、次の世代を担っていく子ども達に、人間としてふさわしい社会規範を身に付けさせることである。また子ども一人一人が、幸せになることを前提として、子ども達の持っているさまざまな豊かな能力を見つけ、それを伸ばすことが必要となってくる。その能力は、知識・情操・身体の三領域からなっていて、道徳教育はそれらの調和のための教育とも言える。要するに、道徳教育とは生きる力(知・徳・体のバランスのとれた力)の育成である。現代の道徳教育の在り方を考察し、そして、課題について探る。 2教育課程の改善について  平成10年に改訂された小学校学習指導要領解説(総則編)(平成11年、文部科学省)の第1章総説、(2)改訂の基本方針では、三つの問題点が挙がっている。1つ目は、計算や技能や文章を読み取る力などは、比較的よく身についており、学習に対する関心や意欲も高いが、一方で文章表現力や、論理的な思考力は、やや弱いこと。2つ目は、算数科や理科の学力は高い水準にあるが、一つの正答を求めることができても多角的なものの見方や考え方が十分ではないこと。3つ目は道徳教育についてだが、十分な時間が確保されていないことと、道徳に対して興味や関心を持っている生徒の割合は学年が上がるに従って低下していることである。そこで、これからの学校教育は、道徳教育を中核に位置付け、充実させていかなければならないとされた。教育方法の具体的な、改善案について考察する。 ①豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚を育成すること。  道徳教育や特別活動等におけるボランティア活動や自然体験活動などの体験的な活動の充実をすること。道徳教育における、低学年の善悪の判断や社会生活上のルールなど重点的な指導の工夫をすること。障害のある人々との交流の推進をすること。第3学年からの保健学習の導入など、心身の健康に関する教育の充実をすること。社会科における人物・文化遺産中心の歴史学習の徹底をすること。 ②自ら学び、自ら考える力を育成すること。  これからの学校教育においては、多くの知識を教え込む教育を転換し、生徒に自ら学び自ら考える力を育成することを重視すること。 ③ゆとりのある教育活動を展開する中で、基礎基本の教育の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実すること。  完全学校週5日制を円滑に実施し、生涯学習の考え方を進めていくため、ゆとりのある教育活動が展開される中で、児童が基礎基本をじっくり学習できるようにすると共に興味や関心に応じた学習に主体的に取り組むことができるようにすること。  たとえば、土曜日や日曜日に学校外の学習機関が提供する学習に興味を持つ子どもは参加できる。そして、学んだことを学校に持ち帰り、発表・提供することで皆の共通財産にすることができる。また、インターネットを使うことで、これまで簡単に知り得なかった情報を使った学習が期待できる。  これらの学びは、相互に助け合う共同学習を基本とするものであり、さまざまな対象とじっくり関わる学習を通して、豊かな道徳性が育まれる。 ④各学校が創意工夫を生かし特色ある、学校作りを進めること。  「総合的な学習の時間」を創設し、各学校が創意工夫を生かした教育活動を展開できるようにすると共に、各学校が創意工夫を生かして時間割を編成することがで きるように授業時数の運用をすること。 総合的な学習の時間とは、人間として、生きるとはどういうことかを、具体的な生活体験を通して学び身に付けていく時間である。一言で言
  • レポート 教育学 道徳教育 生きる力 情操
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  • サブ・サハラ・アフリカの基礎教育に対する@
  • 「南アフリカ共和国の基礎教育の問題と日本の援助」 はじめに  開発援助において、南アフリカ共和国の基礎教育は、現在最も注目されている領域のひとつである。96 年にはDAC(開発援助委員会)新開発戦略において、教育開発が不可欠であることが示された。さらに、96 年のUNCTAD(国連貿易開発会議)総会では、池田外相(当時)が、アフリカ諸国における日本の積極的な役割と教育支援の実施10入学する児童の割合が低く、6 歳で小学校に入学する児童は全体の40% に満たない。いうまでもなく、このように就学率が低い上に、内部効率が悪いことは、非識字者の増大にも結び付いている。 1. 教育開発が停滞する背景  前節で述べたような、量的にも質的にも基礎教育の発展が停滞している背景には、各国が共通して直面するいくつかの問題がある。以下、主な共通問題を見ていきたい。 人口増大による教育財政の逼迫と教育インフラの不足  アフリカにおける学齢人口は年々増加の一途をたどり、総人口に占める学齢人口の割合はほとんど低下する気配がない。世界銀行(以下、世銀)によると、南アフリカ共和国における6 歳から11 歳人口の年間増加率は、1991 年から2000 年までの10 年も、2001年から2010年までの10年も世界で最も高く、2.5% 以上であると予測されている 。学齢人口の増加に加えて、教育予算の内部配分にも問題がある。第1 に高等教育への支出が学生数の割には大きすぎ、これが基礎教育普及を間接的に妨げる要因となっている。第2 に経常支出の割合の大きさである。アフリカ諸国では、教育予算の大部分が教員給与を中心とする経常支出に費やされており、教科書や教材、教育施設などの改善や、教員再訓練のための予算は乏しい。 基礎教育への支出が少ないことは、教育施設や設備の不足の問題につながっている。小学校の二部制、三部制は授業時間減少の一因となり、教育の質の低下を招いている。また、教科書や教材も不足している。児童が購入する負担を軽減し、同じ教科書を複数年使用するために、教科書は貸与制としている国もあるが、教科書の管理が困難なため、制度が有効に機能していない場合が多い。 2) 教員をめぐる諸問題  教育予算の大部分が教員給与を中心とする経常支出に費やされているにもかかわらず、教員の給与は他の職種に比べて決して高くない。また、アフリカでは、一般的に教師の社会的地位は低く、を約束した。  今後の日本の対アフリカ教育援助を効果的にするためにも、アフリカにおける教育の実態の把握とその分析は欠かせない。にもかかわらず、わが国においては、アフリカの基礎教育や基礎教育分が現状である。そこで、本論文では、アフリカにおける基礎教育の現状および問題点をまず把握し、さらに、日本の援助可能性について検討する。 なお、一般的に、「基礎教育」とは、初等教育および成人識字教育を指し、国によっては就学前教育や中等教育の一部を含むものであるが、先のUNCTAD総会の声明でも特に初等教育に焦点が当てられているため、本稿では基礎教育の中でも主として初等教育について論じることにする。 2.わが国の援助課題  わが国の教育援助のあり方を検討するための基礎資料として、1994 年に『開発と教育 分野別援助研究会報告書』 が作成されている。そこでは、教育援助の実施方法について次の5 点が重視されている。  ①複合的なアプローチを取り入れる。  ②相手国と共同で計画を策定する。  ③教育援助に関する国際的ネットワークへ積極的に参加する。  ④途上
  • 環境 日本 アフリカ 情報 援助 地域 基礎 文化
  • 550 販売中 2007/12/17
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  • 教育心理学設題2
  • 適応・不適応の心理的機制、またそれらから引き起こされる特徴的行動について説明せよ。  ⇒人は、さまざまな環境に対して反応して生活を営んでいる。その環境は、時々刻々変化しているので、人が生きていくためには、その環境と状況に応じた行動をとらなくてはならない。さらに、単なる生命の保全だけでなく、欲求を満たして行動できるように、行動を調整していかなくてはならない。このように、主体としての個人が、欲求を満足させようとして、環境の諸条件を調和するためにとる行動や態度の調整を「適応」と呼ぶ。 また、人間には環境や状況に自己を適合させていくのみならず、能動的に環境に働きかけて変革するといった積極的な「適応」の型がある。「適応」とは個人と環境との相互作用において、両者の間に何らかの一致ないしは調和の状態がある場合をいう。そして、人間は適応するために、色々な欲求を充足させようと、目標を定めたり、課題を処理したり学習や訓練を受けたりと、更に時には環境そのものを変化させようと試みるなど、自らの行動を調節するのである。以上のような適応するための行動には、それを引き起こす原因=動機が必ずある。この「動機」によって人間や動物が「目標」に向かってある行動に駆り立てられる心理的な作用である「動機づけ」について説明することとする。 「動機づけ」とは「動機」が活動している状態であるが、一般的には、「動機づけ」ということばの中に「動機」も含まれているものとして扱われる。「動機づけ」を引き起こす様々な「動機」には、「生理的動機」と呼ばれる個体保存の動機・種族保存のための動機の2種類がある。個体保存の動機とは、飢餓動機と渇動機のように固体の生命維持にとって必要で基本的な動機で、一般には「生理的動機」は「内発的動機」と呼ばれる外的報酬を得る事によって解消せず、活動それ自体が報酬となるような動機と「学習性動機」と呼ばれる苦痛や危険から回避、排除するなど経験によって獲得される動機などがある。 次に「社会的動機」について。「社会的動機」には「達成動機」と呼ばれる、高い目標を目指しつつ、困難に対処して、自己に打ち克ち、競争場面において人に優りたいとするものがある。また、「愛着動機」という人間などの動物が、授乳による欲求充足よりも、温かい接触による愛撫や安心感を求める保護への動機があるとされている。 そして高い年齢になって意味を持つ自分の持っている才能や能力、また潜在能力などを開発し、十分に発揮することを意味する自己実現を目指す「成長欲求(または動機)」としての「自己実現動機」が示される。 以上で述べたような各欲求に対し、個人の内部に相反する2つあるいはそれ以上の目標が同時に生じて、しかもそれらに同じくらいの程度の係わり合いを望んでいる自分を感じた時、動きの取れない自己の状況を承認することができる、このような状況を「葛藤」と呼ぶ。 「葛藤」には3つの型があり、まず「接近―接近」型がある。幼児がAとBのどちらか1つの玩具を買うよう選択を迫られるという状況が具体例として挙げられる。つまり目標の選択が決定しても、場合によっては捨てた目標にかなりの未練が残ると推定出来る。 そして「回避―回避」型。例えば、大学生が、勉強はしたくないが留年も嫌だという場合である。これは負の誘意性が大であればあるほど回避傾向が強くなるので、この動きを取れない状況はまさに苦難である。 最後に「接近―回避」型。大学生が単位は取りたいが、授業には出たくないという場合である。この型は固体の目標への接近欲求が強いほど危険や苦痛もいや増すこと
  • 佛大 適応・不適応 教育学
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  • 教育学概論2005年度
  • 教 育 学 概 論 (2005年度) 文教大学人間科学部 太田 和敬 【目次】 序章 大学でどう学ぶか..........................................................1 序-1 教育学概論の目的 ..................................................1 序-2 大学の学び方 ......................................................2 第1章 本当に教育は必要か......................................................4 1-1 教育とは何か ......................................................4 1-1-1 人は狼になるか ...........................................4 1-1-2 誰が育ててきたのか .......................................5 1-2 教育学は科学か ....................................................6 1-2-1 科学・学問とは何か .......................................6 1-2-2 教育における実験 .........................................7 1-3 教育に対する基本的立場 ...........................................11 1-3-1 人間機械論の系譜 ........................................11 1-3-2 早期教育 ................................................12 1-3-3 自然教育論 ..............................................13 1-3-4 社会状況が育てる? ......................................14 1-4 教育の規定性 社会的規定と目的的規定 .............................15 第2章 発達について...........................................................16 2-1 発達とはどういうことか ...........................................16 2-2 胎内の発達と脳神経系の形成 .......................................18 2-3 発達の順序性 .....................................................19 2-4 成熟性と臨界期 ...................................................21 2-5 転移と退行 .......................................................22 2-6 発達の問題と学校制度 .............................................23 第3章 発達と先天性.
  • 全体公開 2008/01/14
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  • 道徳教育の歴史的変遷について
  • 1)古代の道徳教育思想  紀元前5世紀頃、教育史上はじめて提示された道徳教育に関する問題は「徳は教えられるか」であった。ソクラテスは「徳が知識で教えうるもの」だとすれば、「徳という事柄について、その教師となりうるのはどんな人か」と考えた。しかし徳には教師はないため、徳は教えられないものだということになる。徳は知識ではなく知見であり、具体的な行為において具体的に学ぶよりほかはない。ゆえにソクラテスは「徳の教師はない」としている。  対してプロタゴラスは徳を教えられるものと主張した。徳が懲罰などで他律的に教えられている事実に注目したのだ。彼の道徳教育は家庭での躾、教師のもとで受ける品行方正の教育、健全な肉体づくりの三段階で行われるが、これは世間に見られるごく普通の道徳訓練であった。  ソクラテスの弟子プラトンは子どもの道徳性を発達段階的に捉え、ソクラテス的方法とプロタゴラス的方法を調和させている。すなわち子どもが理性的になるまではプロタゴラス的立場を、その後はソクラテス的立場を採用したのである。  プラトンの教育学が理想主義だとすれば、アリストテレスの教育学は現実主義であるといえよう。アリストテレスは「習慣(エトス)はあたかも自然(フュジス)のごとし」として、外的強制によって形成される習慣こそ自制できない子どもを道徳的に高めていくと考えている。 2)近代の道徳教育思想  ルソーは『エミール』で「人間は造物主の手をはなれるとき、すべて善であるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」と述べて、子どもを自然のままに教育することを主張した。人間の自然能力の開発への妨害となる要因、すなわち既成の体系的文化や道徳的・宗教的観念の注入を除去しながら、人間を自然のままに成長させていくというのが彼の主張する教育である。
  • レポート 教育学 道徳 歴史 変遷 デューイ ルソー
  • 550 販売中 2006/01/10
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