資料:485件
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佛教大学通信 教育原論①
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設 題
『ペスタロッチーの教育学(直観の原理など)について考察せよ』
―ペスタロッチーの生き方―
ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチーは、1746年スイスのチューリッヒで医師の子として生まれる。5歳で父を失い、その後母スザンナと家政婦バーベリーによって育てられた。幼年期女性によって育てられたことは、後年教育における女性の重要性を説いたことに影響していると考えることができる。
また、貧しい人々の救済のために働いていた牧師である祖父の影響で、宗教的信仰を以て救済事業にあたることを決意する。その後、農業革命による人々の救済を目指して1771年「ノイホーフ農場」を設立するが失敗する。そんな中、1774年には貧民院(貧民学校)を設立し、教育活動を開始するも、親たちの理解が得られず、経済的困窮もあり閉鎖に追い込まれる。この頃の教育実践を友人の勧めから、新聞紙上で紹介したことをきっかけに、ペスタロッチーの教育観が認められるようになる。フランス革命を経て、孤児院を運営し、1804年にはイフェルテンで学校を開く。この学校が世間から非常に高い評価を獲得し、ヨーロッパなどから多くの留学生が派遣された。その後、
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教育原理
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佛教大学通信 教育原論②
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設 題
『ジョン・ロックにおける子どもの教育論、特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ』
―ジョン・ロックの生き方―
ジョン・ロックは17世紀から18世紀に活躍したイギリスの哲学者・思想家として有名であるが、教育思想家でもある。母親を早くに亡くし、女性からの感化をほとんど受けていない。父親はロックに多くの自由を与え、友達の様に接する一方で、教育に対して極めて熱心で、深い注意と関心を払う人であった。このような父親の態度が、ロックの教育思想に深い影響を与えたと考えられる。
14歳でウェストミンスター・スクールに入学し、20歳でオックスフォード大学に進んでいる。同大学で医学に関心を持ち、その中で実証主義・経験主義の学問精神を学び取る。1675年医師になるが、1683年、戦争に巻き込まれ、オランダに亡命する。1688年にイングランドへ帰国し、「権利章典」の作成に協力する。1704年に他界する。
―紳士教育―
ロックの教育論は一般的に紳士教育論と呼ばれる。ここでいう紳士とは、「健全な身体と道徳と知識を持っている者」である。ロックが唱える「紳士教育」の背景には、「タブラ・ラサ(精神白紙説)」という考
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教育原論
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