連関資料 :: 日本史
資料:452件
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日本経済史〜江戸時代の農業〜
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17世紀初頭の後進地帯の大土地保有者の家では、親方百姓を中心として複合大家族という家族形態をとり、その複合大家族の構成員を労働力に組み入れる手作経営を行っていた。譜代下人、すなわち一生涯を通じて主家に人身的に隷属して、世襲的に労役を提供した奉公人のことで、生活を保障してもらう代わりに恒常的な労働要員として手作経営の重要な労働力の担い手であった。
譜代下人は親方百姓の家に住み、大きくなっていく。そして適齢期になると、親方百姓の取りまとめによって譜代下人同士の結婚ができる。結婚した下人夫婦は、親方百姓の母屋を出て、近くの小屋に移り住んでいた。母屋から小屋に移り住んでも、下人夫婦は依然親方百姓の家族の一員であり、生活上の依存度もあまり変わらなかった。譜代下人が結婚して家を持つとともに、親方百姓から土地を与えられるようになった。ただし、条件として賦役を提供することであった。こうして結婚を機に親方百姓の母屋から別居を許された譜代下人夫婦は親方百姓からの土地を与えてもらうことで、本家・分家関係が形成されていった。
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江戸時代
農業
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本家
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日本史②A 課題2
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課題
「武士の登場から鎌倉幕府の滅亡までについて、以下の五つの言葉を全て入れて、二四〇〇字程度で述べよ。
荘園・御家人・守護・地頭・御成敗式目」
(インターネット上の東洋大学シラバスより引用)
参考文献
家長三郎『新講日本史』三省堂、1967年
大山喬平『日本中世農村史の研究』岩波書店、 1978
村井康彦『平安貴族の世界』徳間書店、 1968年
山本幸司『頼朝の天下草創』講談社学術文庫、2009年
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東洋大学
通信教育課程
日本文学文化学科
日本史
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日本史②B 課題1
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課題
「建武政権の成立から室町幕府三代将軍足利義満の時代までについて、以下の五つの言葉を全て入れて、二四〇〇字程度で述べよ。
建武政権・観応の擾乱・守護大名・南北朝の合一・日本国王」
(インターネット上の東洋大学シラバスより引用)
参考文献
家長三郎『新講日本史』三省堂、1967年
新田一郎『中世に国家はあったか』山川出版社、2004年
山本幸司『頼朝の天下草創』講談社学術文庫、2009年
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日本史②A 課題1
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課題
「古代国家の成立から院政の時代までについて、以下の五つの言葉を全て入れて、二四〇〇字程度で述べよ。
魏志倭人伝・邪馬台国・大宝律令・摂関政治・院政」
(インターネット上の東洋大学シラバスより引用)
参考文献
家長三郎『新講日本史』三省堂、1967年
鎌田元一『律令国家史の研究』 塙書房、2008年
吉田孝『日本の誕生』岩波新書、1997年
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、1983年
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日本史(太平洋戦争と戦後改革)
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太平洋戦争とは、1941年12月から1945年8月までの間、アメリカ、イギリスを中心とする連合国と日本との間で戦われた戦争のことをいう。1941年12月8日午前2時、日本軍は攻撃の30分前に届くはずの最終通牒が届いていないにもかかわらず、ハワイのアメリカ軍基地真珠湾に攻撃をかけ、それを機にアメリカは太平洋・大西洋、アジア・ヨーロッパへの参戦を決める。こうして、本来のイギリスとアメリカの対立から、戦域は拡大、長期化していき、太平洋戦争は始まった。1942年6月のミッドウェー海戦ではアメリカ軍の反撃を受け、日本軍は4つの空母を失うという大敗をした。その後戦時下の国民の生活は戦争が長引くにつれて生活必需品への統制がすすめられ、食料品や日用品は劇的に減り、人々の生活を圧迫した。1944年からはアメリカ軍機による本土の無差別空襲が始まった。アメリカは国民の遷移喪失をねらい人口密集地を中心に全面的に空襲を実施した。軍事施設・軍需工場にとどまらず、住宅地、主要都市が次から次へと空襲を受けた。資材労働力が不足し、日本経済は、麻痺状態に陥り、女子学生でさえも軍事工場等に動員させた。さらに国民生活は一層貧しくなり、士気も低下し、政府も戦争終結を検討し始めた。
アメリカは日本を降伏させるため、1945年8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾を投下した。広島では約14万人、長崎では約7万人の死者が出たと言われている。テキストで「総理に就任していた鈴木貫太郎は、八月一四日の御前会議で、日本の戦後処理方針と日本軍隊の無条件降伏を勧告したポツダム宣言を決定し、」(注1)とあるように、日本はポツダム宣言を受け入れ戦争は終結したのである。
日本が降伏すると、アメリカはただちに太平洋陸軍司令官マッカーサー元師を日本占領のための連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に任命した。連合国最高司令官総司令部は日本を「非軍事化」及び「民主化」へ改造することを目的としていた。
マッカーサー司令官は民主化への関連として五大改革等の改革を起こした。それぞれについて述べていく。
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日本史
太平洋戦争
第二次世界大戦
戦後改革
国際環境
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日本・北欧関係史に関する一考察
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日本・北欧関係史は五つの時代区分に分けられる。
第一期は江戸時代初期から第二次世界大戦までを指す。両地域の政治関係は、オランダ商館に滞在していたコイエットやトウンベリの存在や、また大黒屋光太夫や津太夫などの北欧を訪れた日本人漂流民の存在に始まった。明治初期には岩倉使節団がヨーロッパに派遣されているが、彼らは訪欧中にデンマーク・スウェーデンなどの北欧諸国も訪問し、その国家としての成熟度に注目している。こうして日本とつながりのあった北欧であるが、明治を経て近代国家化していく過程で日本は大国イギリスやアメリカなどをモデルに掲げ北欧からしだいに離れていくことになり、第二次世界大戦が始まるとついに国交断絶に至ってしまう。では、この第一期に日本の抱いていた北欧のイメージはいかなるものであったか。そこには分裂した二つの分裂した二つのイメージが存在していた。一つは一般日本国民が抱いていた理想主義的イメージである。内村鑑三などは戦争に敗北しながら軍事国家に屈せず国力を回復したデンマークを称え、平和的な北欧のイメージを世に広めた。もう一つのイメージは政策決定者達の持っていた現実主義的イメージである。これは北欧がその地理的位置から、日露戦争や第二次世界大戦時に日本の諜報活動の拠点となったためであった。
こうした日本−北欧の関係史を見てみて、北欧がいかに日本に色々な影響を与えてきたかを初めて実感した。しかし五つの時代区分を追っていく過程で、長い間日本にとっての北欧とはヴェール越しに見た、実態の掴めない地域だったように感じる。それは時代区分によって日本が抱く北欧のイメージが180度転換したりするためである。現在私が見る限り、これほど親しみやすく、かつこれから自国の政策を考えていく過程でこれほど興味を惹く地域はないのではないだろうか、と思う。私自身そうであるが、もっと日本人一般が北欧に対して積極的に、多角的にアプローチしてみるべきではなかろうか。
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国際関係学
北欧
日本外交史
日本・北欧関係
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