連関資料 :: 教育史
資料:172件
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日本語教育史第二課題
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朝鮮では1910年(明治43年)の日韓併合の前から日本語教育があった。1891年に開校され、のち、英語学者・英語教育者として有名だった岡倉勇三郎もおしえた日語学堂は1895年官立外国語学校官制による日本語学校となったが、1903年までの入学者は、毎年20名以下であった。1895年、小学校令により高等科に外国語1科を加えることができるとされ、週3~4時間の授業が行われた。1905年、日本政府が韓国の外交・内政・司法・警察を掌握するために設置した「韓国統監府」は学制を改正し、普通学校週6時間、高等学校・師範学校ともに週6時間、その他実業学校・女学校でも学年により、週2~10時間の授業が必須科目と
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日本語教育史
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日本語教育史第三課題
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ヨーロッパ人による最初の体系的な日本語教育は、16世紀中頃から17世紀にかけて来日したイエズス会の宣教師によって行なわれた。1549年にフランシスコ・ザビエル一行8名(うち3名は宣教師)の来日から数十年の間は、語学の才ある修道士が日本人に質問して記述するという方法で日本語を学んでいた。その内の一人フェルナンデスは日本語学習法として日本語以外の言語は徹底して使わない、所謂「習うより慣れろ」を実践した。しかし、1579年、巡察使ワリニャーノの来日と印刷機の登場により、こうした個人的な努力に頼っていた日本語学習は繊細的なものへと変容していく。後1580年、宣教師の養成機関はコレジオ(学林)、ノビシ
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西洋教育史第一分冊
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キリスト教は、ギリシャ文化と結合して、ローマ帝国でも認められるようになった。そして、民衆への布教活動とともに教育もした。キリスト教育広まるきっかけは、カール大帝の時代である。政治や軍事だけではなく、カール大帝は、教育を大切さ、重要性を認識していた。その時代に、キリスト教の布教と、その教育活動を奨励したのである。キリスト教は、神の前に差別はなく、貧富、階級、職業、奴隷もなく、すべての人々が神の前に平等であるとしている。教会はこの教えに従い誰もが読める書物を作ったり、教育の活動に努めた。教会や修道院では学校を設立したり、子ども達へ賛美歌や読み書き、唱歌、算術などを教えたりして教育の学び場を作り、子
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キリスト教
社会
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哲学
大学
家庭
平等
キリスト
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日本語教育史4_松本亀次郎
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1895(明治28)年の下関条約の締結から1945(昭和20)年の第二次世界大戦終了まで、日本語教育は同化政策の主流であった。多くの日本語教育者はその流れに抗えなかったが、松本亀次郎は自身の信念を貫き通した。本稿では日本語教育における松本亀次郎の業績について述べる。
松本の最初の業績は、佐賀県師範学校教諭だった1902(明治35)年に「佐賀県方言辞典」を共著で刊行したことである。これがきっかけで1903(明治36)年に宏文学院の教師となり、中国人留学生に日本語を教え始めた。
1904(明治37)年、「言文対照・漢訳日本文典」を刊行した。これは昭和半ばまで40版も重ねた教科書で、留学生の要求と宏文学院三澤力太郎教務長の支援により書き溜めた教案を基にしている。訳文は留学生が協力した。同じ年に「振武学校語文教程・巻一~七」が刊行されたが、この教科書の編纂に松本は一員として携わり、振武学校で教鞭もとった。
1906(明治39)年には「改訂日本語教科書」を宏文学院の日本語教師らと刊行した。文の構成要素を従来の国文法にこだわらずに整理し、語(句)の用例を文型論的視点から体系的に分類してある
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松本亀次郎
松本亀次郎の業績
業績
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教育史 ルソー リポート評価【A】
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ルソーという人物は、詩人であり文豪であり哲学者であり思想家でもあり、有名な著書である「エミール」における論説を通じて偉大な教育思想家でもある。ルソーの生い立ちは一七一二年スイスのジュネーブの時計職人の息子として生まれたことから始まる。母親はルソーを産んでから九日後に死去し、一七二五年にはルソーの父と兄が家を出てしまい牧師に預かられるがその三年後には放浪生活を送るなど児童期の多感なころに苦労の連続を味わうのである。これらの経験がルソーの価値観を作り上げていく要因の一つになっていくのである。一七五〇年に執筆した「学問論述論」がアカデミーの懸賞論文に入選したことがきっかけになり、以後次々と意欲的な著作や音楽作品を創作していく。一七六二年に「社会契約論」を書いて政治社会における自由、平等の実現に対する積極的な熱意と構想を示した。一七六二年のはじめにルソーの教育論である「エミール」が刊行された。「エミール」に書かれたルソーの教育思想の根本的特質は「主観的自然主義」の立場にある。
当時の社会に対する、そして教育に対する痛烈な批判として「エミール」の冒頭に「万物をつくる者の手をはなれるときは、す
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教育思想
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エミール
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日本語教育史第一課題
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台湾はもっとも長い期間日本語教育が行われた国である。台湾での日本語教育が始まったきっかけは、日清戦争(1894~1895)で日本に敗北し、下関条約を締結したことが端緒である。その後、日本の植民地となった台湾では、第二次世界大戦が終わるまでの50年間に渡り「日本語」を「国語」とした教育が行われてきた。当時日本にとって日本語を「第二言語」とした教育法が本格的に研究されていなかった。その為、手探り同然の、不明瞭な形で開始された。その先駆人となったのが伊沢修二であった。伊沢は国家教育主義に立ち「日本語を持って言語の通ずることに尽くし、然るのちに彼ら(台湾の人々)の脳裡の開拓に取り掛かるべきである」と
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日本語教育史第四課題
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戦前期に国内外で日本語教育に従事した松本亀次郎は嘉納治五郎の創設した宏文学院で教鞭を執る。宏文学院では、牧口常三郎氏が留学生に「人生地理学」を講義されていたことでも知られている。そのなかで、彼は「言文対照・漢訳日本文典」を著す。この教科書は中国語で解説したものであり、その中国語訳には教え子の留学生が協力している。松本の教科書編纂時に留意することの一つとしては、対訳に留学生(学習者)の協力を得、留学生の意見をとりいれることであった。他にも国語教師としての知見を生かすこと、日本語学習者の目的と要望にできる限り応えること。また、同僚教師による文法、記述の訂正、国家体制や思想に関する題材を取り上げな
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新しくなった
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