連関資料 :: 社会科学とは

資料:29件

  • 科学社会学の歩み--エピソードで綴る回想録
  • R・K・マートン『科学社会学の歩み--エピソードで綴る回想録』サイエンス社、一九八三年、xv + 二五八頁。 訳者あとがき  本書はRobert K. Merton, The Sociology of Science: An Episodic Memoir, Southern Illinois University Press, 1979の全訳である。(ただし、「序文」で著者が述べているように、本書は元来、同じ出版社から一九七七年に刊行されたRobert K. Merton and Jerry Gaston(eds.), The Sociology of Science in Europeの第Ⅰ部として執筆されたものである。)  著者ロバート・K・マートンはアメリカの代表的な社会学者の一人であり、主著『社会理論と社会構造』(みすず書房)の邦訳などを通じて、我が国でも広く知られている。その研究対象は多岐にわたっているが、マートン社会学の出発点が学位論文「十七世紀英国における科学・技術・社会」(一九三八年)にあったこと、すなわち「科学の(歴史)社会学」こそマートン社会学の中核をなしていることは、夙にしられていたが、本回想録はその辺の事情を、一層具体的に明らかにしてくれた。  さて、われわれは本書において、科学社会学という専門分野の歩みを「科学社会学の父」とでもいうべきマートンの眼を通してみることができるわけであるが、本書では言及されていない科学社会学における新しい動向を簡単にみておきたい。  科学社会学の専門としていちはやく産声をあげたのは『科学の社会的研究』Social Studies of Science: An International Review in the Social Dimension of Science and Technologyである。一九八二年で十二巻を数えるこの雑誌は、現在二人の英国の研究者、D・エッジとR・マックロードを中心に編集されているが、プロソポグラフィーや引用分析などを含めて数量的アプローチが重視されていること、さまざまな専門分野-科学者集団の形成をめぐる実証的な研究が多いこと、さらには科学政策的な問題関心が強いことなど、大ざっぱにいって、本書で縷々展開されているマートン流の科学観および科学社会学を踏襲しているとみてよいだろう。  これに対して、一九七七年から年報形式で刊行され始めた『科学社会学年報』Sociology of the Sciences: A Yearbookは、マートン流の科学観および科学社会学を批判し、乗り越えようとする立場から編集がなされているように思われる。というのも、マートンは本書の末尾で、クーンの『科学革命の構造』を曲解したと(マートンがみなす)「鬼子たち」をその相対主義的科学観の故に厳しく断罪しているが、『年報』に依る論者たちは、まさに相対主義的科学観に基づく科学社会学の構築を目指しているからである。たとえば、『年報』は「編集方針」として次のような科学観を呈示している。    本『年報』の基本的な立場は、科学とは自然現象ならびに社会現象を理解するために社会的に構成された複合体である、と考えるところにある。したがって、本『年報』が目指しているのは、諸科学の発展の道を、一つの経過に還元してしまうような、科学知識に関する単一で一面的な図式の克服である。また本『年報』は科学知識の発展に関する研究と科学者に関する研究をあわせて行わねばならないと考えており、さらに社会変革や社会発展をめ
  • 全体公開 2007/12/24
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  • 書評:エリック・アシュビー講演集 科学技術社会と大学
  • E.アシュビー著(宮田敏近訳)『エリック・アシュビー講演集 科学技術社会と大学』 玉川大学出版部、2000年、246頁。  本書は、名著『科学革命と大学』(島田雄次郎訳、中央公論社および玉川大学出版部)の著者として有名なアシュビーの講演集である。これらの講演は、最も古いもので1959年、最も新しいもので1972年になされたとのことである(本書「序文」による)。原著Adapting Universities to a Technological Societyは1974年に出版されている。  アシュビーは1904年生まれのイギリスの生物学者であった。とはいえ、彼の知的好奇心と活動範囲は、一生物学者として留まるにはあまりに広かった。イギリスの大学で学んだ後、ドイツやアメリカに留学し、オーストラリアの大学で教えたこともあれば、第二次大戦中は(オーストラリア公使館)科学顧問としてモスクワに滞在した、といった具合である。また、アシュビーは1950年、北アイルランドのベルファスト大学の学長に就任するなど、大学管理者としての経歴を歩み始め、1959年から75年までケンブリッジ大学クレア・カレッジの学寮長を務めるとともに、1967年から69年まではケンブリッジ大学の学長も務めた。アシュビーは、イギリスの大学をその中枢にあって経験するとともに、世界各地の大学の実状に通じるという希有な経歴の持ち主であったわけである。  元来生物学者であったアシュビーは、大学を生物との比喩で考えており、このことは原著のタイトル(直訳すると、『技術社会への大学の“適応”』)にもみてとることができる。また、本書の随所で開陳されている。例えば、次の通り。    生物の共同体のなかでは、そして大学の共同体のなかでは、新しい品種が現れるとき、そこに革新と交配という出来事がおこります。(17頁)  大学は生物のように遺伝(伝統)と環境の産物であります。大学の伝統は明白であり、大学が何を標榜するかについて大学人のあいだにはコンセンサスがあります。つまり、卓越性、客観性、理性の陶冶、知識の内在的価値であり……このコンセンサスは、……力強い内部論理をつくりだします。大学環境とはそれをささえる社会的、政治的システムです。それは二つの主要な力によって作動します。二つの力とは入学しようとする志願者の圧力(顧客ニーズ)と卒業生を引き出す雇用者からの吸引力(人的資源に対するニーズ)です。……それゆえ、すべての大学において内部論理、圧力、吸引力という三つの力のあいだに動的な平衡状態が存在します。(173頁)    すなわち、アシュビーによれば、大学は内部論理と圧力と吸引力という三つの力ないしはベクトルのせめぎあいと均衡の中から変革のエネルギーをくみ取ってきたのである。その結果、大学は中世に誕生して現代に至るまで、また、ヨーロッパから発して世界の至る所に、さまざまな変異種を生み出しながら、存続し発展を遂げてきたのである。換言すれば、大学には「知的専門職のための学校という機能に、紳士をつくるための教養学校、研究機関、共同体のための奉仕場所……」といった多様な機能が加増され、現代の大学は「多目的機関」となった(222頁)。  ところが、大学は、単なる「危機」というよりは、これまで経験したことのないような「文明の転換期」に遭遇している、とアシュビーは考える(224頁)。だとすれば、大学は、科学技術の急速な発展によってもたらされた「文明の転換期」を、これまで成功してきた「適応」戦略によって、これまでと同様に乗
  • 全体公開 2007/12/24
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  • 教員採用試験対策:社会科学①世界史編
  • 教員試験対策、主に全校種の一般教養&小学校専門が対象。 (中学社会・高校地歴科の人には不必要だと思います) …↑の世界史編をあげてみました。 「数ある教員採用試験対策本の活字による説明ではまとめにくい」 「ランナーの内容では不十分すぎる」 という自分の経験から、予備校の授業と合わせて作ったのがこの年表形式のノートです。 世界の横の動きを把握するためにこういう形式にしました。 それに加えて、事柄の背景の説明、年号の覚え方を記載しています。 特に当時の情勢を踏まえつつ、現代人にも身近に感じられる例を交えた背景説明に力を入れました。 日本史は別途、日本史編を作成予定のため詳述はしていません。 4大文明~第2次世界大戦終了までの世界史+中国史詳細という構成です。 自分はこのノートで今年3自治体の計5回試験を受けて(小学校志望)、筆記は全て9割を超えました。
  • 教員 社会 一般教養 専門 小学校 採用 試験 世界史
  • 880 販売中 2012/11/14
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  • アインシュタインと科学革命--世代論的・社会心理学的アプローチ
  • L・S・フォイヤー『アインシュタインと科学革命--世代論的・社会心理学的アプローチ』 法政大学出版局、1991年、454 + xii.(1977年、文化放送出版局) 再刊に際して  「ダーウィン産業(Darwinian Industry)」という言い方があるとの話を聞いたことがある。ダーウィンや進化論に興味をもっている人が多く、また研究者も多いので、このテーマは出版業界にとって手堅くビジネスができる分野とみなされ、その結果ダーウィンがらみの出版がひきもきらない、という事情を皮肉まじりに表現した言い方であるとのことだった。我が国でも同じことが言えるだろうし、またダーウィンだけでなくアインシュタインについても同じ事情があると言えるだろう。本書『アインシュタインと科学革命』は、必ずしもアインシュタインだけを論じたものではないが、「ダーウィン産業」の言い方にならえば、本書も「アインシュタイン産業」の一翼を担っているということになるのかもしれない。そのあたりの事情を確認するために、訳者の一人が勤務している大学(広島大学)の図書館の蔵書目録から、書名の一部にアインシュタインを含む和書を(コンピュータ端末を用いて)試みに検索したところ、なんと42冊もの書物がリストアップされた。そのうち、本訳書の初版が刊行された1977年以降に限って代表的なものを刊行年順に列挙すると次のようになる。 C・ランチョシュ(矢吹治一訳)『アインシュタイン--創造の十年』講談社、1978年. M・フリュキガー(金子務訳)『青春のアインシュタイン--創造のベルン時代』東京図書、1978年. 矢野健太郎『アインシュタイン』(人類の知的遺産)講談社、1978年. H・デュカス、B・ホフマン(林一訳)『素顔のアインシュタイン』東京図書、1979年. 湯川秀樹監修『アインシュタイン選集(1-3)』共立出版、1979-80年. F・ヘルネック(村上陽一郎・村上公子共訳)『知られざるアインシュタイン』紀伊国屋書店、1979年. P・C・アイスブルク、R・U・ゼクスル(江沢洋・亀井理・林憲二共訳)『アインシュタイン--物理学・哲学・政治への影響』岩波現代選書、1979年. A・P・フレンチ(柿内賢信・石川孝夫・笠耐・星野義昭共訳)『アインシュタイン--科学者として人間として』培風館、1981年. 金子務『アインシュタイン・ショック(上・下)』河出書房新社、1981年. B・クズネツォフ(小泉俊介訳)『アインシュタインとドストエフスキー』れんが書房新社、1985年. A・パイス(西島和彦監訳)『神は老獪にして--アインシュタインの人と学問』産業図書、1987年. L・パイエンソン(板垣良一・勝守真・佐々木光俊共訳)『若きアインシュタイン--相対論の出現』共立出版、1987年. A・J・フリードマン、C・C・ドンリー(沢田整訳)『アインシュタイン「神話」』地人書館、1989年. 金子務『アインシュタインはなぜアインシュタインになったのか』平凡社、1990年.    アインシュタインの物理学上の業績、特に相対性理論に関する解説書の類をこれに含めれば、右のリストは膨大なものとなるはずである。我が国の読書人の間ではアインシュタインに一貫して強い関心がもたれていると言えよう。いや、アインシュタインへの関心はもっと裾野が広い。現在NHKで放映中の特別番組「アインシュタイン・ロマン」は、我が国における広範なアインシュタインへの関心に由来する企画であろうし、またそれを一層強固なものにするこ
  • 全体公開 2007/12/24
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  • マックス=ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を社会科学の例をだして論ぜよ
  • 「社会科学の主要な役割は説明、理解、批判の3個とよく言われる、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の議論を例にして論ぜよ」 社会科学は社会現象を説明し、解釈し、社会を批判することをその目的としている。社会科学はこの3つの課題、説明、理解、批判を果たすための学問体系であるといってよい。  説明とはかくかくじかじかの原因でこういう結果になったのだという類のことを指す。時間の流れとは因果関係がその中では大きな意味を持つ。このような意味での説明は、経験的な社会科学の第一の課題と言ってよい。  これに対して解釈とは人間の行動の中に潜む意味、動機、理由といったものを読み取る、理解するという作業を指す。このような解釈と言う作業は社会科学が人間を扱う科学である限り、自然科学的な、時に無味乾燥な因果関係の分析に還元できないことが多い。むしろ、心の中の動機を探る、世界観を描きだすことが人間行動の解明に最も重要であることが多い。  最後の課題として人間社会を批判的な目で見直すことである。自らの価値観や理想と照らし合わせて、距離を置いた観察をする所に社会科学が存在しうる。  このような3つの課題を扱うのが社会科学だが、ウェイトのおき方は人それぞれだ。個人の性格や志向によって自然に異なるウェイトが置かれてくるからだ。 では、ここでマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義社会の精神を参考に論じていく。 19世紀の急速な近代化を受けて、社会学が政治学や経済学と並ぶ社会科学の一員として成立したが、その時代に社会学をリードしたのがマックス・ウェーバーだ。近代化の中で、資本主義が加速し、都市化や宗教的価値観の衰退により伝統社会が崩壊していった時代に、それに対する危機感や知的関心の中で、近代社会の分析を行い、近代社会学を創っていった人物たちである。  17世紀以降、徐々に勃興してきた近代資本主義の原型を形成する精神的、内的なものは古代以来オリエント世界や地中海世界、中世ヨーロッパのドイツ自由都市やベネチア、フィレンツェなどの商業都市の商人の精神から派生したものではなかった。実際に近代的な資本主義が発生した地域はそれらの地域とは一致しない。近代的な資本主義が勃興した地域、イギリスやドイツ、アメリカ合衆国といった地域や住民を調べてみると意外な結果が見えてくる。古代、中世的な商人精神とはむしろ一見無関係な禁欲的なプロテスタンティズムの精神から資本主義の精神は発生したのだ。倹約に努め、「天職観念」を持つ禁欲的で敬虔なプロテスタントが資本の蓄積に勤め、近代的な資本家となった。そのような資本家が近代資本主義の原型を形成していったのだ。  ウェーバーがこの歴史の逆説を解き明かしていく中で、重要な鍵としたのが、「資本主義の精神」、「エートス」であった。  古代以来様々な地域で商人による「資本主義」が起こった。これは利潤を獲得し、貨幣を得ることが目的という商人を中心に、中国やオリエントなど様々な地域で巻き起こったものだ。だが、ウェーバーが研究対象とし近代社会を規定することとなっていった近代資本主義はこのような地域では勃興はしなかった。ウェーバーは近代資本主義を成立させていった装置として、近代資本主義が成立していった地域に共通なもの、プロテスタンティズムを見出した。 中世カトリック修道院に見られ、それらの限定的な場でしか見られなかった「世俗外的禁欲」が、プロテスタンティズムによって世俗生活にも波及した。ここでの「エートス」は倫理観といった単純な訳ではな
  • 歴史 社会 宗教 経済 経営 倫理 社会学 科学 近代 資本主義
  • 550 販売中 2008/01/02
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