連関資料 :: 哲学

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  • 【玉川大学】宗教哲学「仏教の思想」
  • ※このレポートは、玉川大学通信教育部・科目名「宗教哲学」平成23年度課題の合格済レポートです。 教員による評価・批評は以下の通りです。 <評価> B(合格) <批評> ①仏教の考察に偏っている。両宗教において比較される問題をもう少し丁寧に考察するよい。 ②基本的なことはよくまとめられている。参考書をまとめるだけでなく自分なりの問いを設定するとよい。 ____________________________ 1、仏教がキリスト教とどのような点で根本的に異なっているか1000字で指摘せよ。  仏教とキリスト教の根本的な違いは、崇拝対象の違いによる教義の本質の違いである。つまり、仏教では人間である仏を崇拝するのに対して、キリスト教では神を崇拝する。そのことは、必然的・根本的に教義が異なることを意味する。つまり、仏教の本質は縁起であり、キリスト教の本質は神の愛である。 教義の本質的な違いを具体的に言えば、一つは、仏教ではすべてのものに実体はないと考えるのに対して、キリスト教ではすべてのものは神が創造するものと考える点。もう一つは、すべての出来事には縁があると考え、自らによって変えていくことができるとする仏教に対して、キリスト教ではすべての現象は神の意志によるものとし、人間には変えることができないものとしている点である。 これらはつまり、あくまで人間である仏による仏教の中心的な思想である縁起の思想、空の思想が、一神教であるキリスト教思想と大きく異なるということである。以下に縁起の思想、空の思想の詳細を述べる。 縁起の思想は、一切の出来事には直接的な原因である因と、間接的な原因である縁があり、この二つが作用して生じるものであるとして、固定したものや不変のものはないとする。すなわち、すべてのものが関係し合って互いの存在を支えているという考え方で、関係性においてのみその存在が確かめられる。また、すべての出来事には始まり(縁)があるということは、原因を帰れば結果を変えることができるということである。  空の思想はすべてのものに実体はなく、その存在は現象にすぎないとして、実体を感じることでそれがあるように見えるというものである。 このように、仏教は人間である仏陀の教えを、キリスト教は神の教えを崇拝対象とするゆえに、仏教では縁起をその本質とし、キリスト教では神の愛をその本質としている。つまり、仏教とキリスト教の根本的な違いは崇拝対象の違いによる教義の本質的な違いである。…
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  • 過去問 PA2040 教育哲学
  • 明星大学通信教育学部 教育哲学の科目終了試験の過去問です。 私が持っている、2014/9、2014/10、2014/12、2015/2、2015/5、2015/6、2015/8、2015/10、2015/11、2015/12、2016/2、2016/2、2016/4、2016/4、2016/5、2016/6、2016/10、2016/12、2017/2、2017/4、2017/5、2017/10、2017/12、2018/2、2018/6、2018/8までの過去問を自己解答したものです。 出題内容が重複している部分の回答は省略しています。主に教科書を参考に解答しています。全国共通の問題ですから、本資料で大部分のカバーができると思います。今後は自分で情報を得る機会がなくなるため、今回が最後のアップになると思います。新たな情報をいただきましたら、アップしたいと思いますので、その際はよろしくお願いします。この資料の傾向についての所感を最後尾につけています。
  • 明星大学 過去問 教育哲学 PA2040 通信教育 試験 解答 通信 哲学 科目終了試験
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  • 『歴史哲学講義』(東洋世界−インド−)
  • 外国史特論『歴史哲学講義』ヘーゲル著                第一部 東洋世界  第二編 インド ① インド概観(p229~) ●ヘーゲルが語るインドについてのイメージ ○古い形態をそのまま現在に残している国、あこがれの国、不思議の国、魔法の世界、空想と感情の国 ○生活の観念化がおこなわれるが、それは想像力にもとづく概念なき観念化 →生活を出発点としながらも「一切を空想へとかえてしまう」 が、「とはいえ、(中略)イメージとしての神が存在する」 ○女性のたとえ=情緒ゆたか、神経質な美しさ(p230) ●インド人の世界観(P231~) ○インド人の一般的原理である夢見る精神 夢のなかの個人=精神が自立して他者と対立することがなく、外的な個物とその一般的な本質とが区別されることがない。 →インド人は有限物にもなるし、無限で無性的な神にもなる。                     =一般的な汎神論であり、しかも思考にもとづかない想像力にもとづく汎神論 ① 感覚的なものを、(中略)そのまま拡大して途方もない怪物をつくりあげ、神の像をおろかしいものにしてしまう。=つまり、精神の自由な力によって美しい形のものへと表現されない。 精神はそのなか(夢のなか)で自己を喪失し、(中略)有限な事物を主なる神とあがめて、それに従属してしまう(ex、太陽、月、星、ガンジス川、動物、花、などが精神にとっては神) ←そのため、有限なものがかえって個としての安定性をうしない、理解する知性のはたらきが消える。 神の存在は変わりやすい不安定なものとなるため、低次元の形態かつ全く不純な存在になり格が下がる。 ○まとめ 事物には、原因と結果の有限なつながりのような理解できる筋道がなく、 人間には、確固とした自由な自立性や人格や自由が欠けている。(p233) ●インドと外の世界とのつながり(p234~) ○言語(サンスクリット語とヨーロッパ言語)に見られるように、インドは西洋世界全体の出発点。 だが、インドを起点に民族が自然発生的に広がっていったことを示すに過ぎない。 また、その痕跡があったとしてもインド伝来ではなく、むしろインド要素を払拭したもの インド的なものの広がりは政治的行動を欠いたもの。→インドは征服されるばかり。 (政治的行動=征服!?) ○あこがれの地 東洋や近代西洋の大国で、この地の一地域を征服したことのない国はほとんどない。 (ex、アレクサンダー大王、近代ヨーロッパ人、東インド会社) =ヨーロッパ人に服従するというのがアジア諸国ののがれられぬ運命(マラータ地方の征服、1818年) 地理的区分け(P235~236) ②インド人の政治生活とカースト制度(p236~) 中国との違い 中国 インド 全ての個人の平等がたてまえとされ、統治権は皇帝という中心に集中して、特殊な個人が自立したり主体的な自由を獲得することがない。 有機的な共同生活が成立するための特殊化していく自由がなく、区別が自立性をもたない。 専制君主の統一権力をはみ出す、自立した部分が形成されている。 しかし、分化してくる違いは自然的なもの。 →その区別のあらわれがカースト制度   インドでは、自由や内面的な共同精神がまだ成立していないので、うみだされる区別は、職業や階層の区別にすぎない。 →この区別が、市民生活の全体や宗教意識にまで影響を及ぼす。共同体の初期の段階 ⇔個人の自由な主体性にもとづくものではない。 カースト制度(p238~) カースト階級 バラモン(神事を行う司祭者、生まれつき神を所有)クシ
  • レポート 歴史 哲学 インド ヘーゲル
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