連関資料 :: 算数科教育法

資料:243件

  • 算数教育
  • 『算数科教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。上記を踏まえ、2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴について述べ、その教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。』  まず初めに、算数科教育の歴史についてである。日本における算数科教育の歴史は江戸時代からはじまる。当時は、武士のための学校と庶民のための学校と二つに分かれており、庶民の勉強の場であった寺子屋では算盤を用いた珠算などの算数が重視されていた。実学的なものが多かったということができる。明治時代になると学生が制定され、国家による学校教育が行われるようになる。算数教育においては数と計算のものが中心となり、江戸時代とは大きく転換した時期ということができる。教科書は絵柄が入り、幾何は小学校の内容から次第に消されていくようになる。明治後期になると、学制改革などの教育制度は国家による統制となり、小学校令の発布により就学率が急激に増加する。算数教育は学問と算術の分離、数え主義が取り入れられた。これは小学校の算数を数と計算問題の内容へと一元化することになった。しかし当時の子供の認識の発達を考慮したものではなかった。大正時代になると自由教育運動により教育のあり方が問われ、教育を大人でなく、子供の立場から創ろうという姿勢が生まれる。算数教育でも数え主義は子供にとって理解しにくい理由から少しずつ修正を行う動きにつながる。しかし、数え主義を主張する藤沢利喜太郎の影響により改訂は中途半端であった。明治時代前期になると国定教科書〔緑表紙教科書〕が発行された。これまで使われていた黒表紙教科書は数の分野を極端に重視していたのに対し緑表紙教科書は数・量・図形が算数教育の中心であり、計算問題や数え主義を中心にしていた今までと大きく転換された。子供を認識した構成ではあったがブルジョワ階級が中心となって作ったものなのでファシズムへの道を止められなかった。第2次世界大戦が始まると算数教育もファシズムの影響を受けるようになり、水色表紙教科書が出される。内容は緑表紙教科書と大きな差はないが理科との結びつきを持つようになる。数理学的な思想の重視と日常生活に役立つ実測・実験重視という内容的な発展がいくつか見ることができる。敗戦後は軍国主義が廃止され、民主主義が浸透するようになる。従来までの教師主義から子供中心へと移り、自由度のある教育となる。算数教育においてもアメリカの新教育と日本の研究者の流れが併存することによって教育現場において多くの矛盾が生じ、混乱が起こった。1950年代になると算数教育の改革の中で最も世界的に広く行われた数学教育の現代化という流れがおこる。日本では欧州のような現代化が導入されたわけではないが旧来の算数の内容に集合論を中心とした現代数学の内容を断片的に差し込むというものであった。しかし急速な改革は算数を理解できない多くの子どもを生み出し校内暴力・非行等、学校現場の敗退をもたらすことになる。このような結果が反省され現代数学の多くが削除され、ゆとりがテーマとして設定される。土曜日が休日になったこともあり授業数の削減も行われた。情報通信機器の普及した現代、集団より個が重視される傾向があり、算数教育もここのニーズに見合うように内容の多様性への変容を迫られている。今では生きる力が中心的な課題となり知識重視ではなく、学習過程の楽しさを重視したものへと変わっていく。しかし、「なぜ学ぶのか?」という根源的な解決方法
  • 佛教大学 レポート 算数 算数科教育法 通信
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  • 算数教育
  • 現在の小学校の算数科の内容について学習指導要領では、「数と計算」「量と測定」「図形」「数量関係」の4つに分かれている。歴史的にも、明治時代の黒表紙教科書には、「数と計算」の内容が多く占められていた。この時代には、小学校令に学齢児童の就学が父母後見人等の義務であることが明記されたこともあり、就学率が劇的な増加をみせた。また、算数の内容は厳格な数え主義のもとで「数と計算」を中心に構築されていったが、それは国家としての教育制度を確立する上で強力な推進力を担うものであったが、当時の子どもの認識の発達を考慮したものではなかった。  大正時代になると、国民の生活が経済的に安定してきたことを受け、子どもの教育への関心が高まってくるようになった。さらに大正自由教育運動によって、教育のあり方が再度問い直されるようになった。それは教育を大人の立場からではなく、子どもの立場から創りあげていこうという姿勢を生み出すこととなった。しかし、数え主義の影響は強く、固定教科書の内容が大幅に変わるということはなかった。それでも除々に子どもの立場で教育を考える姿勢が浸透していき、1935年には緑表紙教科書が発行された。この教科書は、数学・生活そして子どもの認識という3者を踏まえて教育内容を設定しており、日本の算数教科書史において、その斬新さと内容の充実の度合いは群を抜くものであった。また黒表紙教科書と比べて編纂方針も、計算技術や数量だけでなく、図形なども取り入れ数理的な思想を養う傾向になった。さらに訓練・注入的な指導方も、子どもの認識を重視し、自発的な活動を主とする指導方へと変化していった。  1930年代の日本は、満州事変や5.15事件・2.26事件がある中、植民地の拡大とファシズムという方法で、こうした局面を打開しようとするようになっていた。学校教育もこうした社会の変動に大きく左右されることとなる。
  • レポート 教育学 黒表紙教科書 学習指導要領 ゆとり教育 大正時代 算数科の歴史
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  • 算数教育
  • 算数教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ。 上記を踏まえ、2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴について述べ、その教育内容を自分の視点で考察せよ。   まず、算数教育の歴史について述べていく。  江戸時代、庶民の子どもたちは寺子屋を通して、算盤を用いた珠算など実学的な算数を学んでいた。  明治時代に入ると、1872年に学制が制定され、国家による学校教育が始まった。明治初期は、珠算を使用せずに筆算を基本とする洋算が中心となっており、江戸時代の算数教育とは大きく方向変換した時期である。また、当時の先進的な教育理論が教科書に反映される時期でもあった。
  • 佛教大学 レポート 算数科教育法 算数教育の歴史 佛大 2002年度
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  • 算数教育
  • 『算数科教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ。』 国定教科書「尋常小学算術書」ができた1905年、教育の国家統制が強まる中、算数教育は全国的な制度として一元化されていった。「尋常小学算術書」は、表紙の色が黒いため、「黒表紙教科書」とも呼ばれる。黒表紙教科書の内容は、藤沢利喜太郎によって、厳格な「数え主義」のもと、数と計算を中心に構築された。これまで行われていた幾何教育は、ユーグリッド言論をもとにした内容を中学校でのみ扱い、小学校では計量の計算問題の一部として取り上げられるだけとなった。黒表紙教科書は、国家としての教育制度を確立する上で強力な推進力を担うものであり、子どもの認識の発達を考慮したものではなかった。また、子ども自ら考えるというよりは、教師が教え込むスタイルであった。 明治~大正にかけ、黒表紙教科書は数回の改訂を受け、1935年には新しい尋常算術書が発行された。表紙が緑色だったため、「緑表紙教科書」とも呼ばれる。それまでの黒表紙教科書と違い、子どもの認識を重視した構成で、計算、数、
  • レポート 算数科教育法 黒表紙教科書 緑表紙教科書 水色表紙教科書 単元学習 現代化 ゆとり
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