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連関資料 :: 政治

資料:488件

  • 徳川時代の政治思想を学ぶ意義
  • 1.徳川時代の政治思想を学ぶ意義 過去を学ぶことは、ただその事象を把握しようとすることにとどまらず、そこから何らかの問題を読み取り、我々の生きる今、そして未来に生かそうとすることを、備えるべきである。過去と現在は必ずしも直接的影響を持つものではないが、C.W.ミルズが もしわれわれが現代社会の構造における動態的変化を理解しようとするならば、変化の長期的展開を確認したうえでいかなるメカニズムの中でその展開動向がひきおこされ、社会構造が変化していくのかを問題としなければならない。そのような問題提起の中で動向分析に対するわれわれの関心は〔…〕ある時代から次の時代への歴史的変動、いわば時代の構造の解明に向かって焦点付けられるのである。(1) と述べていることもまたその通りであろう。 丸山真男は1948年当時、徳川時代の政治思想を学ぶ目的を以下のようなものとした。 我々は、封建的なるものを、我々の身辺の至る所に、否、我々自身の中にさえ巣食っているものとして持っている。しかも、その克服掃蕩を課題とするとともに、同時に市民社会を止揚することをも課題としなければならない。(2) 私の考えも基本線はこれと軌を一とするものである。市民社会の止揚は、我々が社会を形成する限り、永遠に追求すべきものであり、その重要性は私も深く認識する。しかしながら、丸山が意図した封建的なるものが具体的にいかなるものか曖昧なままであるものの、現在日常生活において封建を感じることはない。一方で現在も感じることは、徳川時代、政治に限らず、社会に思想に、正統的に支配的なイデオロギーであった儒教の影響である
  • レポート 史学 日本政治思想史 荻生徂徠 丸山真男
  • 550 販売中 2006/05/30
  • 閲覧(2,648)
  • 【早稲田大学】摂関政治から見る中世日本
  • 藤原ただひらの時代、天皇の幼少時には摂政、元服後には関白になり天皇の後見として太政官の会議を指導するという、摂関政治の基礎が作られた。969年忠平の息子サネヨリは源満仲の密告によって、最後の有力公卿源満仲を失脚させ(安和の変)、政治的地位を確立した。藤原北家は、摂政、関白を独占したため、摂関家と呼ばれるようになった。10世紀後半から11世紀中ごろまでの藤原北家中心の政治を摂関政治と呼んでいる。  摂関政治おいては、摂関が天皇をないがしろにして専制をふるったかのようなイメージが作られたこともあったが、実際に天皇の政務を代行できたのは、天皇幼少時の摂政だけであり、幼少の天皇の時期は少なかった。むしろ成人の天応の政務を、協調的に補佐していた時期が大部分であった。  摂関は天皇をないがしろにしたわけではないが、権勢を振るったのは事実である。
  • レポート 史学 中世 日本史 教職
  • 1,100 販売中 2006/02/14
  • 閲覧(3,114)
  • 教育学の方法論と教育政治
  • 教育学について  他の学問分野(例えば心理学)と比較してみると、教育学の大きな特徴として、方法論の欠如があげられる。教育政治学を例にとってみると、教育政治学とは、政治学の研究手法を用いて教育現象を政治的側面から分析していくこと、ということになろうが、これは教育学独自の手法ではなく、政治学の研究手法を教育現象に援用しただけのことである。  このように、教育学は方法論がないためにどういうことになるのかというと、研究手法の比較的明確な学問分野(心理学、政治学、社会学、哲学など)の手法を援用、もしくは踏み台にして教育を論じていくことになる。いくら教育学といえども、ある研究手法を用いずに、あるいは踏み台にせずに教育を研究し、論じることはできないということである。何の研究手法も用いずに、あるいは何も踏み台にせずして研究をしても、混沌状態から抜け出せないので結局何をしたのかわからなくなってしまう。
  • レポート 教育学 教育学研究 教育政治学 研究の方法論
  • 550 販売中 2006/01/13
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