連関資料 :: 社会保障

資料:230件

  • 社会保障の役割と機能につい1
  • 社会保障の役割と機能について 1、社会保障の意義  わが国では社会保障は、憲法第25条「生存権」に基づき、国家が国民の最低生活を保障している。資本主義社会においては、国民各自の生活は、個人の責任によって維持すると言うのが本来の原則であるが、国民の最低生活の保障が国家の任務であるということを意味している。  これは資本主義の原理が、この意味では修正、変化したことを表している。第二次大戦後、社会保障は、国の責任と負担によって国民生活を保障することが国の第一の任務であり、積極的に社会保障を進める福祉国家の出現を促したのである。  沿革的に社会保障の範囲は、社会保障制度審議会の答申を基本としており、所得保障、医療サービス、社会福祉サービス、保健・公衆衛生サービスを含む概念として社会保障という用語を用いている。  狭義の社会保障の体系、概念のうち、以下、公的扶助、社会保険を中心に考察することとしたい。 2、社会保障の役割 (1)社会保障制度の体系  わが国では社会保障は、憲法第25条「生存権」の規定を受けて公的扶助、社会保険に大別される。 ①公的扶助  公的扶助は、わが国では生活保護制度として位
  • 憲法 福祉 社会福祉 社会 社会保障 医療 保険 生活 社会保険 サービス
  • 550 販売中 2008/12/31
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  • 社会保障論 第二レポート
  • 医療保険制度の概要について 医療保険制度の各国の現状をみると、イギリスやスウェーデンなどの採用する「保険医療サービス方式」と、日本やアメリカなどが採用する「医療保険方式」に大別できる。 「保険医療サービス方式」とは、すべての国民に税を財源とした公費負担で保険医療サービスを無料提供する方式である。これは、サービスの無料提供という天で理想的ではあるが、税を財源としたサービスの提供には、財政上の制約という問題が生じてしまう。また、この方式にどう供給体制の組織化という問題もある。一方、「医療保険方式」とは、事前に保険料の納付を行い、必要とする医療サービスについても一部自己負担する方式である。この方式には、保険により医療費を保証する「現金給付方式」と、保険により医療サービスを支給する「現物給付方式」とがある。両者に共通する問題としては、ここで言う保険が事故などの発生後に機能するため、その対応範囲が「治療」に限られることがある。今日の医療は治療に限らず、予防やリハビリテーションまでを含むとすることからも、保険に対応範囲を広げることが求められている。 しかし、日本とアメリカの保険でも少し違うことがあ
  • 日本 アメリカ 医療 保険 企業 社会 高齢者 健康 家族 問題
  • 550 販売中 2008/09/06
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  • 社会保障 公費負担医療制度
  • わが国の医療保障制度は、健康保険や国民健康保険などの医療保険制度および老人保険制度や介護保険制度のほかに、もう1つの柱として公費負担医療制度がある。公費負担慰労制度には、国が責任をもって補償する国による直接給付である戦傷病者や原爆被爆者等の医療のほか、公衆衛生の向上を図るものと、経済的弱者を救済する社会福祉的な制度に大別される。また、都道府県・市町村が独自に実施している医療費助成制度もある。これらは特定の疾患以外に、年齢や所得の制限など体象者の範囲が定められている。  社会福祉による公費負担医療制度 ①母子保健法に基づく養育医療。都道府県、保健所を設置する市または特別区は、養育のため病院または診療所に入院することを必要とする未熟児に対し、養育医療の給付を行い、またはこれに代えて養育医療に要する費用を支給することができる。申請により養育医療券交付され、指定養育医療機関において医療を受けた場合に、保健適用後の自己負担分につき公費負担が適用される。 ②児童福祉法に基づく公費負担医療 身体に障害のある児童が、生活の能力を得るために必要な医療は従来、育成医療として児童福祉法に規定されていたが、障
  • 社会福祉
  • 550 販売中 2010/08/04
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  • 昭和40年代の社会保障の状況
  • 昭和40年代の社会保障の状況 我が国経済は昭和39年から昭和40年にかけて、当時戦後最大と言われた不況に陥ったものの、昭和40年代には昭和30年代を上回るような高度経済成長を続けた。欧米の企業と対等に競争していくために、昭和35年の「国民所得倍増計画」を受けて、昭和37年に全国総合開発計画が策定された。我が国の国際競争力は急速に強化され、昭和40年代に入ると、戦後一貫して赤字だった国際収支にも黒字基調が定着するようになった。昭和43年には自由主義諸国の中で国民総生産が第2位の経済大国となった。 しかし、このような高度経済成長に伴う社会の変動は、さまざまな新しい問題を生むことにもなった。大気汚染
  • レポート 福祉学 社会福祉 社会保障 歴史
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  • 社会保障制度の拡充と「福祉元年」
  • 社会保障制度の拡充と「福祉元年」 1、 社会保障制度拡充の背景 高度経済成長によって、第2次・第3次産業の就業人口が増加するとともに失業率が低下し、我が国に完全雇用に近い状態が出現した。これに伴って労働力不足が顕著となり、国民所得の増加とともに雇用者の賃金や農業所得が上昇した。また、物価の上昇もみられた。その結果、就業できない者若しくは一定の社会保障給付によって生活する者に対する生活援護問題が大きな政策課題となった。 昭和30年代後半から昭和40年代にかけて、国民生活の個人消費部門におけるモノの豊かさに比べ住宅や生活環境の未整備、社会保障の低水準、公害、交通難、物価の上昇などいわゆる高度経済成
  • レポート 福祉学 社会福祉 社会保障 歴史
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  • 復興期における社会保障制度の整備
  • 復興期における社会保障制度の整備 第1項 保健医療行政の進展  日本医療団の解散後、厚生省は、今後の地域における医療機関の体系的整備の在り方について検討を重ねた。昭和23年、医療制度審議会は「医療機関の整備改善方策」について、公共医療機関によって国民医療を充足することという内容の答申をした。これは、戦中戦後の医療供給が極めて不足したことを反映した、医療供給の確保と二重投資の回避を目的としたものであった。しかし、医療機関の整備は、統一的な計画に基づいて計画的に行われなかったため医療機関の適正配置という観点からは十分ではなかった。  終戦によって「健兵健民」の政策目標は消滅した。戦後の結核対策は、早期発見と治療に重点をおいた。身体検査、届出制度、予防接種、化学療法剤などによって、結核による死亡率は激減し、治療期間も短縮された。そういった状況の中、昭和25年の社会保障制度審議会の勧告は、戦後の我が国の社会保障制度の在るべき方向を示すとともに、その中で結核対策を体系化し、それ以後の結核対策の在り方を方向づけることとなった。昭和26年には新しい「結核予防法」が制定され、それまでの予防と隔離という対策から治療するという方向、医療保険制度の活用と公費負担制度の確立による医療の普及という方向、を通して結核の早期絶滅を目標とした。その後、死亡率の低下がみられるなかで、昭和30年「結核予防法」が改正され、健康診断の範囲を拡大して、患者を早期かつ徹底的に把握し、療養施設の充実と、医療費負担の軽減によって治療を確実に行わせようとした。結核の正確な実態把握の上で、これに対応する合理的な対策の体系が作られ始めたのである。  精神衛生対策は、太平洋戦争終結まで、精神病院へ入院した場合に限って保護と治療が行われるにすぎなかった。終戦後にもたらされた欧米の新しい精神衛生に関する知識と、新憲法によって樹立された人権の思想とによって、医療の充実と、広く精神的健全性と精神病の予防をも追求すべきであると考えられるようになった。しかし、精神病の治療方法については、対症療法中心の時期から、積極的な治療効果を上げようとして模索する時代を迎えたばかりであり、精神障害者に対する処置は患者の治療よりも、保護中心の消極的なものにとどまらざるをえなかった。このような背景の中で、精神障害者に対する基本的人権の確立と、可能な範囲で国の社会保障制度による保護を適用するという要請から、昭和25年、「精神病者監護法」及び「精神病院法」に代えて「精神衛生法」が制定される。 第2項 福祉三法体制と戦争犠牲者援護  統一的救済法としての旧「生活保護法」は、実施する中でさまざまな問題が生じた。第1に、民生委員の問題であって、無差別平等の原則、国家責任の原則からSCAPIN775にそぐわないと考えられたのである。第2に、昭和24年にドッジ・ラインが実施されたことに伴う経済不況の下で、生活保護法の改善強化が必要となった。すなわち、失業者、戦争未亡人・母子階層に対する対応である。第3に、不服申立ての権利の問題である。旧生活保護法では、不服申立てを認められないものと解釈されていたが、愛知県知事からの疑義照会がなされたのを契機に、法の適正運用の意味で不服申立制度を導入することとした。 社会保障制度審議会はこうした状況をみた上で、昭和24年「生活保護制度の改善強化に関する件」を勧告した。その内容うけて、厚生省は、直ちに旧生活保護法の改正作業に取りかかり、昭和25年、新しい理念に基づいた新「生活保護法」が公布・施行された。 新生活保護
  • レポート 福祉学 社会福祉 社会保障 歴史
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  • 昭和30年代の社会保障の状況
  • 昭和30年代の社会保障の状況  昭和30年代は、神武景気、岩戸景気といった設備投資を中心とした大型景気が続いた。産業構造は、重化学工業中心へと一変し、昭和30年代後半には労働力不足が生じた。労働者の賃金は高騰し、生活水準が大幅に上昇した。そのなかで、低所得層や被保護世帯では高度経済成長の恩恵をあまり受けることができなかった。厚生行政においては、一般的繁栄の中で貧困に陥っている人々の生活の擁護、貧困から立ち上がる施策の推進、一般的繁栄に取り残される恐れのある人々及び老人、身体障害者、母子家庭など稼得能力を失い又は制限されている人々の生活を、経済の発展に対応して向上させていく措置を講ずることに特に
  • レポート 福祉学 社会福祉 社会保障 歴史
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  • 高齢化時代の社会保障改革
  • 高齢化時代の社会保障改革  高度経済成長期を通じて、我が国の社会保障制度は制度的には西欧諸国と遜色のないものとなった。昭和48年の第一次石油危機による石油価格の高騰は、物価を急上昇させるとともに、企業収益を圧迫し、高度経済成長の終焉をもたらした。我が国経済は、主として輸出の増加を通じて安定成長に移行することとなった。 この時期において、人口高齢化の速度は早まっていった。また、高度経済成長期を通じて家庭の扶養機能が低下したことから、老人扶養の問題が低所得階層のみならず一般世帯においても大きな問題となっていった。年金費用を含む社会保障給付費が増加し、その負担も増加することが予測され、将来の社会保障
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