人格が失われたことによって、脳死患者は価値を有する生物学的生命でしかないと考えることはできない。全ての死の規準が「人格の喪失」に統一するという定義の仕方は、価値を有する生物学的生命と尊厳を有する人格的生命との区別をも生み出す。しかし、人格の尊厳への配慮が表されるのは、身体においてであり、身体を事物の類に貶めることはできないという考え方を私はとりたい。臓器移植後進国である日本の現状の問題としては、脳死・臓器移植に対する知識不足、脳死の判定方法、など様々あるが、実際、この問題をクリアしていかなければ、いつまでたっても
法医学Ⅰ 期末レポート
「死に対する自分の考えと死の分類について」
はじめに
死とは、感情論でいえば恐怖、不安などを連想させる言葉である。しかし、同時に考えるところの多いものである。よって私は、死とは何か、ということを定義しつつ、「死」について思うところを考察していきたいと思う。
まず死とは何か、ということについて考えてみたい。基本的には人の死は三兆候死、つまり「呼吸停止、心肺停止、対光反射の停止」によるものとされているが、近年の医療技術の発達によって人の生を「人工的に」保つことが出来るようになり、脳死のような複雑な事態が様々起こるようになった。脳死の場合においては確かに心拍も...