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連関資料 :: 仏教について

資料:159件

  • 〈神〉と〈生〉と〈死〉  ―中世仏教を中心に―
  • 〈神〉と〈生〉と〈死〉  ――中世仏教を中心に――                       目次   はじめに   1、中世の身体に対する視線 ――九相死絵巻と鎌倉彫刻――   2、中世の死のイメージ   3、生と死に対するイメージの緊張   おわりに      参考資料 はじめに 人というものは死から逃れる事はできない。そして逃れられぬ一つの終焉に、あるいは恐怖を抱き、あるいは目を背き、あるいは楽園へと続く道を信じる。その捉え方は十人十色であるが、それは人が死の経験というものを自ら持って語ることが出来ないからである。経験したこと、見たこともないものを〈なに〉であるか決定する事は難しいし、また〈なにでもない〉とするにはあまりにも人は弱い。 それぞれの国や地域などの文化で多少は違えども、宗教はこの生と死の問題と密接に関係して存在している。しかし、現代日本では宗教が日常に溶け込み過ぎているせいか、その存在を意識することは難しい。仮に「貴方の宗教は何ですか?」と尋ねられたとしても即座に答える事ができない。一つの確定した何かを信じているわけではないからだ。現代日本では仏教、神道を同時に信仰している(勿論信仰しているという意識は低いが)、つまり神社にもお寺にもお参りに行く人が大半であろう。さらにいえば、クリスマスも祝うし、結婚式では教会の選択肢もある。そこにキリスト教への熱心な信仰を持っている人は少数だろう。いわゆる信仰意識は低いものの結果として「多重信仰」の形となっているのが現状である。 信仰の意識が低いというのは、例えば受験の時には神社に詣で神様にお参りし、合格祈願のお札を求めるという良く見られる光景に象徴されている。つまりその人がお墓参りにお寺に行ったところで怒りだす日本人は少ない、明確な区分においてその宗教を信じている意識が低いからこのような光景が日常となり得るということである。 言い方が可笑しいかも知れないが、我々は用途に応じて(仏と神は別ではあるものの)〈神〉を使い分けているのではないだろうか。思想や教えなどの〈中身〉を取り払い、自身の願いや守ってもらう事にのみ〈神〉を持って来る。八百万の神などとは言うがそこに〈神〉に対する本来的な畏怖の念は薄くなっている。 また〈中身〉がなければ当然、死後の世界にスポットが当たるわけもなく、救いも伝わらない。むしろ死後の世界など〈非科学的〉であり〈オカルト的〉イメージを拭えない。現代日本人が宗教という言葉に抱く複雑な気持ちがあるように思える。〈中身〉のない倫理観、罪の意識の欠如に、遠藤周作をして「神なき日本人の弱さ」と言わしめたが、本来であれば〈正〉がなければ〈異端〉も存在しないはずなのである。 宗教に関して言えば確たる自国の信仰がない状態(こそが日本の信仰の形かもしれないが)なので、比較的日本は寛容に見える。昨今話題になった〈もったいない〉精神であろうか、祈って助けてくれるのなら誰の手でも多い方が良いのかもしれない。しかしそんな日本では、いざ他国が入って来るとなると非常に敏感である。実質のない状態であれば〈利〉であり広く他国の文化も吸収するが、直接的な関係は苦手とするのか、まだまだ腰が引けて〈害〉に目を向けがちになる。文化と文化の本質的な〈衝突〉は避け、まるで仮面を被る様に形や形式的なところは借りて(このところを以って他国から日本の実体が見えづらいとされるのではないだろうか)いく。つまり強いて言うなら日本は非常に貪欲な、上辺すくいの良い所取り志向の国なのである。 このように〈核〉を持たない日本には、それ
  • 論文 人文・文学 中世文学 仏教 宗教 死生観
  • 880 販売中 2006/12/26
  • 閲覧(4,248)
  • 倫理学 日本の倫理思想に対する仏教影響について述べよ
  •  日本における倫理思想は、日本人の民俗、習俗に加えて外来の思想(儒教、仏教、西洋思想)の需要と展開を軸にしながら展開されてきた。  日本の古代国家は4世紀から5世紀にかけては、大和朝廷に見られる宗教的一体で「律令」による国家体制へと変化していった。そのあと、朝鮮半島との国交とうしてもたらされた「論語」と仏教の伝来という歴史的事実から、この儒・仏教思想が具体化されてきた。  まず聖徳太子は人を君・臣・民の態度などや人の和の心をもっとも重視した「論語」の強調する道徳規律の遵守精神である。  聖徳太子のあと、律令国家へと移行し中世になって正法・像法・末法という仏教的歴史の「末法」説くに置ける危機意識を契機として仏教の日本に定着していった。  末法思想とは普通、仏滅1500年から2000年のあとにおける。  仏法は末世末法であるという危機感である。末法は時代が汚れ天災地変や戦乱など社会悪もろもろの邪悪な思想や見解がはびこる様々な精神的悪徳があふれる。  人々の性根が低下する、人間の寿命が次第に短くなるという「五蜀」の世であると説く。そのような末法の予告や末法の歴史観や世界観や人間観は「発心集」や「愚管抄」そして当時の説話物語などに多くみられる。とりわけ宗教倫理的な展開として恵心僧都源信(942〜1017)があげられる。源信は、人間のあるべき理想像を往生要集に表し、その方法を当して念仏を進めた。汚れた世界であるこの現実世界を理想的な浄土を喜んで求めることであるとする。  根本において末法という時間と場所で人間が以下にあるべきかという積極的な問いがある。この問いの具体的な解決は、平安末期から鎌倉時代の日本における仏教の特色の展開すなわち仏教の日本的土着化に求められる。  鎌倉期に起こった仏教の特色は人間凝視という点にあり、その意味で十分倫理学の問題でもある。
  • レポート 哲学 倫理学 保育学科 仏教 日本の倫理思想
  • 550 販売中 2006/01/24
  • 閲覧(4,806)
  • R0704 仏教文学概論 科目最終試験
  • 過去問の集計により、科目最終試験に出題されると予想される6問について、その解答をまとめた資料です。 ちなみに2009年度のものですので今年度も同じかどうかはシラバスなどで確認してください。 この解答例は私が自分用にまとめたものなので、きちんとした文章になっていない場合もありますし、誤字脱字もあるかと思います。 また、私が合格したのはこの中の1問ですので、そのほかの解答については100%の保障はありません。 あくまでも参考程度の資料として、そのあたりをご了承いただける方のみ、よろしくお願いします。
  • 科目最終試験 R0704 仏教文学概論
  • 770 販売中 2010/05/02
  • 閲覧(3,091)
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