資料:2件
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台湾の戦後と民主化
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1945年8月15日、太平洋戦争が終わると、ポツダム宣言により日本の主権は本州をはじめとする主要な島々のみとなった。これにより、カイロ宣言中にある「日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還すること」が達成されたのである。こうして台湾は、形式上は中華民国の一部となったものの、台湾と中国本土は簡単には統一できるものではなかった。
台湾が「光復」(中国語で自民族の土地・人民を取り戻すこと)されるべき土地であることが決まると、蒋介石は、陳儀を台湾省行政長官兼同省警備総司令に任命し、戦後の台湾接収に備えていた。陳儀は、重慶で行政長官公署の要員を任命して台湾接収組織の中核を編成し、10月25日に台北公会堂にて台湾受講式典を行った。この式典で、陳儀は蒋介石の代理として最後の台湾総督であった安藤利吉から降服を受けるとともに、台湾と澎湖諸島の中華民国編入を宣言し、台湾行政長官公署を正式に発足させた。以後、台湾ではこの10月25日が「光復節」とされている。この光復節により中華民国を回復した男性及びその子孫を「本省人」、それによらず中華民国国籍を持ち、かつ台湾に居住する男性及びその子孫を「外省人」と区別している。国府が発布した「台湾省行政長官公署組織大綱」によれば、台湾においては中国大陸と同様の省政府を設置する制度はとらず、中央政府に直接任命された行政長官が行政、立法、司法の権限を一手に握る「特殊制度」がとられ、さらに行政長官は、台湾省に所在する中央政府機関に対して指揮監督権を有するものとされた。つまり、行政長官公署は独裁的権限を付与されていたのである。このため、行政長官公署はまもなく台湾人からの失望とともに「新総督府」と揶揄されるようにもなった。
このような強大な権限を持つ陳儀のもとで軍事、行政、司法、教育・研究、報道機関など、各方面にわたる接収・再編が開始された。
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