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資料:21件

  • 「悪の
  • ボードレール『悪の華』「パリ情景」「葡萄酒」における孤独 ボードレールの詩集「悪の華」の「パリ情景」と「葡萄酒」の章から、百番目の無題詩(あなたがお嫉みだった、高潔な心を抱くあの女中……)、「殺人者の葡萄酒」、「孤独な男の葡萄酒」の3つの詩篇を引用し、そこに描かれる孤独について考察する。  まず、それぞれの詩に描かれている孤独者について考える。 「孤独な男の葡萄酒」  この詩のタイトルにもなっている「孤独な男」とは « poète »「詩人」である。この詩の前半の2節では、詩人を誘惑する様々なものを挙げている。それは、 « Le regard singulier d’une femme galante»(浮かれ女のいわくありげな視線)、« Le dernier sac d’ecus dans les doigts d’un joueur » (博打打ちの指にある最後の金貨袋)、 « Un baiser libertin de la maigre Adeline » (痩せたアドリーヌの淫らなくちづけ)、 «Les sons d’une musique énervante et câline »(無気力にさせるような甘ったれた音楽の響き)である。これらは詩人の視覚・触覚・聴覚を刺激しているといえるが、詩人の餓えた心はそのようなものには動かされず、酒の « Les baumes pénétrants »(身にしみるような香り)を求めるのである。酒は孤独な詩人に、 «l’espoir, la jeunesse et la vie ― Et l’orgueil»(希望、若さ、生気―そして、傲慢)を与えてくれるものである。  また、この詩人には、 « pieux »(敬虔な、信心深い)という形容詞が付いている。酒が詩人に与える高慢さというのは、 « Qui nous rend triomphants et semblables aux Dieux! »(我々を勝ち誇らせ、神に似た存在にさせる)とあることから、詩人の敬虔さを忘れさせるものであるといえる。 「殺人者の葡萄酒」  この詩は、 « Ma femme est mort, je suis libre! »(妻が死んだ、俺は自由だ!)という言葉から始まり、妻を殺した男の、好きなだけ酒が飲めるという解放感を描いている。殺人者は、 « Autant qu’un roi je suis heureux ; L’air est pur, le ciel admirable… »(俺は王様と同じぐらい幸せだ。空気は澄んで、空はすばらしい)といったように幸福を得て、酒を飲み、妻を忘れてしまおうとする。ところが、第7節には、 « Elle était encore jolie » (彼女はまだ綺麗だった)、« Je l’aimais trop ! » (俺は彼女をあまりに愛していた)とあり、続く第8節には、 « Nul ne peut me comprendre. »(誰も俺を理解できない)とある。第10節では、 « avec ses…,son… »と所有形容詞が繰り返され、妻についての様々なことを思い出している。そして第11節は、 « ―Me voilà libre et solitaire ! »(俺は自由、そして孤独だ)という行で始まっている。« libre»は一行目の繰り返しであるが、ここではさらに 、« solitaire »という語が加わっている。この男にあるのは、ただ解放感だけではなく、殺してしまったも
  • ボードレール 悪の花 文学
  • 550 販売中 2008/04/23
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  • 「一つの
  • 題材設定の理由:この一つの花は主人公のユミ子が未だ幼い時の話で、「一つだけちょうだい」といつもせがむユミ子に両親が心を痛ませる。戦地に赴くプラットホームで父親は「一つだけの花」と言い残し、ユミ子にコスモスを与えるというお話。「ひとつだけ」という言葉は「沢山あるうちのひとつ」という意味以外に「たった一つの」という意味にもなる。この大きな違いを文章の中から感じ取り、たった一つの宝物を子供たちの中に息づかせていきたい。 本時の位置:本単元は(6時間)を予定しており、本時は4時間目にあたる。1時間目に通読を行い、分からない言葉、新出漢字、段落わけ、初読感想を書いてもらった。教師はその感想を場面別・着目別などに分けておく。2時間目に第一場面部分をやり、その際感想文を添えて注目する。(3時間目には第二場面の疑問・質問をみんなで考える)本時はその続きから、お父さんの「一つだけのお花」という言葉に注目して(感想文を含め)意見を言ってもらう。5時間目は第三場面に関して、大きくなったユミ子はどう変わったのかなどを話し合う。6時間目に大きくなったユミ子に手紙を渡すと
  • レポート 教育学 一つの花 授業案 国語科
  • 550 販売中 2006/02/22
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  • 「『草の』における死について」
  •  今回自分は『草の花』のテーマの一つである「死」について考察していきたい。勿論『草の花』は愛情や友情といったテーマも兼ねている(寧ろ其方のほうに重点がある)が、自分にとってそれは非常に重く、また経験も微々たる物であるため、考察の水準が低くなってしまうことを恐れ、まだ大多数の人間が経験の少ない(?)「死」について取り上げることにした。  この話は汐見という青年と藤木という青年の儚い友情と愛情の物語である。汐見という青年は潔癖であり潔癖が妥協を許さないがため、青年はどんどん孤独になっていくのである。その孤独の中で考えていたことが愛や信仰、そして死についてである。この話の中の随所に死に関しての言及がある。  p11「あの看護婦は生きているんだ」「(前略)死の火影の廻りを飛び交う蛾の如し」(汐見)  p37「(前略)自分の内部にあるありとあらゆるもの、理性も感情も知識も情熱も、全てが燃え滾って満ち溢れるようなもの、それが生きることだ。」→「眩暈のような恍惚感」  p52〜57「人はすべて死ぬだろうし、僕もまたそのうち死ぬだろう(中略)人はそれをいつであるのか予め知ることが出来ないから、安んじて日々の生活の中に、それが生きていることだと暁ることもなし…」
  • レポート 教育学 草の花 福永武彦
  • 550 販売中 2006/02/22
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  • 風姿伝について
  • 十四世紀の半ばに、大和猿楽の結崎座の棟梁であった観阿弥を父として生まれた世阿弥は、新熊野神社での猿能楽で翁を演じた際に将軍足利義満から認められて側に置かれるまでになり、低い身分でありながら、都で高等教育を受けるなどした。将軍の寵愛を得たために、他の貴族たちからも特別な扱いを受けた。しかし後に二度将軍が変わり(義光→義持→義教)将軍の好みが変わったこともあって、段々良く扱われなくなっていった。そして長男を亡くし、次男は芸を継がなかった。さらに義教に佐渡島に流され、やっと赦されて帰郷した時には八十歳であり、間もなく世を去ったという人生を送った人である。 「まことの花」は追求するべき美として説かれている。美とは、誰が見ても美しいと思われるもので、普遍的であり理想的だ。少数の貴人や目利きにも、その他の人々にもそう思われるものだ。現実の、植物としての「花」は、貴人から庶民まで、ほとんどすべての人々に「美しい」と受け取られる、珍しく普遍性のあるものである。故に、能の演技で何かにとりつかれたり、愛や欲望に狂ってしまった「物狂い」が季節の花を身につけていたりすると、まだ一片の共同の人間性を保とうとしているのが分かり、哀れを誘う。人間であるが故に、誰でも陥る可能性のある危機である「物狂い(発狂)」は親しい人に先立たれる悲しみなど、その引き金は日常のそこここに隠れているのだろう。しかし能の上での物狂いはあくまでも舞台の上のことで、劇の中のことである。故に観客は安心して見ていられる。さらに、劇中から人間的、精神的に良いものを感じ取れることが大事だ。後味が悪いだけの結果にはしてはならない。最後には面白かったといって帰ってもらえるように、と説いている。
  • レポート 日本文学 風姿花伝 世阿弥 室町時代
  • 550 販売中 2005/07/29
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