資料:243件
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同和(人権)教育
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『戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を論述せよ』
同和地区の人々は部落差別によって子どもの頃から厳しい生活を強いられ、教育の機会均等が保障されず、現在においても学力実態に見られる格差が存在している。そのような実態を改善し、教育の機会均等と学力・進路保障を実現していくことが同和教育の重要な意義ではないだろうか。『同和教育』とは「同和問題を解決するための教育の営みの総称である」と言われている。当然のことながら、教育以外の取り組みも同和教育には含まれている。同和教育の課題として、
①雇用(就労)を促進し安定した経済基盤を保障すること②劣悪な居住環境を改善していくこと
③「同和地区」の子どもたちの教育権を保障すること
の3つが挙げられる。言うまでも無く、同和教育の第一は、3つ目の子どもたちの教育に関することであり、部落差別によって奪われていた教育を受ける権利の保障、とりわけ、学力・進路の保障であり、そのことによって「差別の悪循環」を次世代に引き継がせないことであった。
これを踏まえた上で、これまでの同和教育がどのように行なわれてきたのかを見ていきたいと思う。
1946年2月、全国水平社の活動家を中心に「部落開放全国委員会」が結成された。一切の差別の解消と同和事業の実施要求を活動の中心目標において取り組んだ。
1946年3月、政府は同和予算の打ち切りを都道府県に通達してきた。それに対して、各地の地方自治体は西日本を中心に、地域の要求を受け止め独自の予算で同和事業を実施した。これに対し部落開放全国委員会は「部落開放国策樹立要請書提出」の運動を行なった。
そのような中、1951年10月に京都で「オールロマンス事件」が起こった。この闘争を通じて、地方行政を通して政府に要求する差別行政糾弾闘争という新たな運動が展開され、それがその後の「同和対策事業特別措置法」へと結実していくのである。1953年には、同和教育に取り組む全国各地の学校教育関係者や社会教育関係者によって全校同和教育研究協議会が結成される。
このような運動を踏まえて、部落開放全国委員会は1955年に部落解放同盟と名称を改めた。
1958年以降、部落解放同盟をはじめ諸団体が部落解放国策樹立要請全国代表者会議を開催。同年、政府は同和問題閣僚懇談会を発足させる。そして、1960年の臨時国会で、同和対策審議会を設置する法律が可決される。
こうした運動の結果、1962年に同和対策審議会が設置され、1965年に同和対策審議会答申が政府に提出された。その4年後の1969年、「同和対策事業特別措置法」が10年を期限とする時限立法として制定された。3年の延長の後、1982年には「地域改善対策特別措置法」が5年の時限立法として施行される。1987年には「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」が5年の時限立法として制定、その後2回の延長が行なわれ、2002年3月をもって「法の時代」は終わりを迎えた。
次に、同和教育に対する京都市の取り組みを見てみる。
戦後の京都市における同和教育施策は、同和地区児童・生徒の長期欠席(以下、長欠)・不就学の取り組みに始まる。1951年、京都市内の児童・生徒で年間50日以上欠席したものの比率は、小学校で0.6%、中学校で2.8%であったのに対して、同和地区児童・生徒の比率は順に6.5%、28.7%と約10倍であった。そこで、1952年には“経済的援助の施策”として「特別就学奨励費」が制度化され、10年後
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設 題
戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を論述せよ。
⇒〔戦後の同和教育史〕
戦後の同和教育施策は、同和地区児童・生徒の長期欠席・不就学の解消に向けた取り組みから始まった。「オールロマンス差別事件糾弾要綱」では、教師が部落の児童をさべつすることもある、不就学児童の問題に市は無関心である、といったことが述べられた。当時の同和地区児童・生徒の長欠・不就学率はかなり高く、同和教育創成期における最も重要で緊急な教育課題とされた。
この解消に向け、京都市では同和教育費が導入され、就学奨励事業が始まった。また、教員の有志によって学習に遅れが見られる同和地区児童・生徒に対し、補習学級が実施されることになった。
しかし、高校への進学率はきわめて低く、長欠・不就学の解消の次に、学力・進学保障の取り組みへと進んでいった。すると、同和地区児童・生徒の低学力という課題が浮かびあがってきた。
1964年、同和地区生徒の高校進学率を引き上げるための「進学促進ホール」が開設された。ここで全市の同和地区生徒は夜間登校し、高校入学試験合格のための学
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『50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を論述せよ。』
江戸時代につくられた身分制度の下では、武士、農民、職人、商人よりもさらに下に位置づけられた「えた・非人」と呼ばれる人たちが存在した。そして、この人たちの住んでいた部落、子孫は現在でも差別をされている。部落出身者を理由とした、就職差別、結婚差別などが現在でも続いているのだ。
こういった部落差別を中心として、あらゆる差別をなくそうとする教育を同和教育という。差別をなくすための知識・意思・行動を育む活動、学力や進路を保障する活動、部落や地域を変えていく活動などが含まれる。
では、戦前戦後の同和教育の歩みをみていこう。
まず、明治初期の頃の被差別部落の子どもたちは、学校に行くことができない、成績が優秀でも正当に評価されないなどの問題があった。そんな中、1922年全国水平社が結成され、部落解放の運動が行われた。この活動に政府が衝撃を受け、被差別部落の人に自覚更生を、それ以外の人には同情を説いて、両者を融和させようとした。これを融和教育と言ったが、太平洋戦争へ突入してい
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『50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を論述せよ。』
1945年、太陽戦争に敗れた日本は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導のもとに平和で民主的な国家の建設に向けて歩み出した。そして、1947年5月に「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」を三大原則とした日本国憲法が施行された。特に、第14条では「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と謳われており、「社会的身分」という文言によって、政府は被差別部落の人々が差別されないという理念を明文化した。
戦前は被差別部落の人々が「社会的な排除」を受け続けることを克服すべき課題として取り上げられない社会であった。それがこの条項で「社会的関係において」も差別されないと言及されたことは、戦後の民主化がもたらした大きな成果といえる。
次に、具体的な部落解放運動の動きについて見ていく。
戦後、部落問題が解決しない中、まず部落解放運動の大きな転機となったのが、1951年10月
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「50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を論述せよ。」
戦後における同和教育施策として、同和地区児童・生徒の長欠・不就学の取組を京都市が始めた。当時の同和地区の長欠率の高さは顕著であった。小学校、中学校ともに、京都市の全体平均の約10倍という数値が、同和地区の不就学率であった。
「同和地区の不就学児童を無くす為」に、部落解放委員会京都府連合会は京都市に対し「生活困窮家庭の児童・生徒への学用品の無料支給、及び、無料で完全な給食の実施」等の要求を行った。このような糾弾闘争を受けた京都市は「今後の同和施策運営要綱」を策定し、これに基づき、同和教育費としては戦後初である200万円を1952年度に予算として計上する事となった。その結果10年後の1962年度には、京都市の平均の約5倍程度まで同和地区の長欠率を抑える事が出来た。学用品等の現物支給を行う「特別就学奨励費」はその後も長期間、同和地区家庭に給付され、同和教育費は年々増額されるようになっていったのであった。
また「特別就学奨励費」の長期間の給付も、同和教育費の年々
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人権(同和)教育..
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戦後から現在までの同和教育と学校における
同和教育の実践の具体的なあり方について
戦後50年間かけて同和教育は取り組まれてきました。その間に差別を取り囲む問題大きく変化し、それとともに同和教育の内容も変化を遂げてきました。
戦後、初めに取り組まれたのは同和地区での長期欠席、不就学の子どもへの対応でした。市や県から教育の予算が特別に作られて、子どもの就学しやすい環境づくりがされました。学用品を無料にしたり、給食の無料配布がされたりしました。このように学校側だけでなく市や県など行政も関わって、解決に向かいました。
長期欠席、不就学の問題が解決されると次に同和地区の生徒の高校進学率の向上が目標とされました。進学率の向上のために、学習できる場が開設されて、そこで同和地区の生徒が夜登校して高校入学のための学習指導を受けていました。同和地区の教員が中心となって学習指導をしていました。
同和教育が進んで、同和地区の子どもの格差が低下した背景には、部落の問題を訴え続けた人達とそれに協力していた教師の人とのこつこつと積み重ねた努力があったのだと思いました。このような活動がみのって同和地区での高校への進学率が他地区と同程度に引きあがっていきました。
同和地区の子どもへの授業外での補習授業は、単に授業以外での学習の促進という目的にとどまらず、とても工夫されていて生徒の学習内容の理解度を引き上げるものとなっています。
学習はマンツーマンの学習指導から始まりました。この授業は、個人個人の学習の課題をなくしていくためには効果のあるものでしたが、集団の中で生まれる刺激や
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