連関資料 :: ジェンダーとは

資料:60件

  • 職場におけるジェンダー問題について
  • ジェンダー」という言葉の意は、社会的・文化的性差であると言われる。元来、男女の存在はお互いをそれぞれの「らしさ」で尊重してきたが、この考えに歪みを提唱する発議が盛んになりつつある。いわゆる、和製英語で「ジェンダーフリー」などと言われるが、固定的性差観念の払拭、社会的役割の強要をやめようというのが狙いでもあるようだ。  では、この「ジェンダーフリー」を語るときに、雇用の問題がある。元々、わが国における伝統的思想に「男尊女卑」がある。社会的地位において、女性は男性より劣るというものだ。近年、ライフスタイルの変化に伴い、女性の高学歴化、女性の社会進出などをきっかけに、男女感の多様化などが進んだ。
  • レポート 社会学 ジェンダー 男女雇用機会均等法 男女格差
  • 550 販売中 2006/07/18
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  • ジェンダーの西洋史
  • フランスでは、封建的君主国家の成立とカトリック教会の圧力の下に女性の地位は長い間低下していた最初にジェンダー論が沸き起こったのは14世紀である。当時、聖職者によって女性に不当な非難が加えられていたことに対して、クリスチーヌ・ド・ピザンという詩人が多くの著作で女性を弁護したのだ。このような事例はごく少数であり、状況は17世紀まで続いた。ところが、18世紀にはいると宮廷やサロンで活躍する女性が増え始めた。それにしたがって女性自身によって権利の主張が行われたのだが、これが社会運動につながっていくのはフランス革命期になってからのことである。というのは、この時期は依然としてこのような女性は特権的少数派であり、夫やパトロンの財力や社会的地位に依拠していたからである。 フランス革命には多くの女性が参加した。とりわけ、1789年10月5日のヴェルサイユ行進に7000人もの女性が参加したことは有名である。これにともない、家族法における女性の権利は伸長したものの、参政権などは認められず、さらには「ナポレオン法典」によって女性の地位は決定的に低下した。 19世紀には第一帝政・7月革命・2月革命・第二帝政・パリコミューン・第3共和制など革命やクーデターによって体制がめまぐるしくかわり、女性たちの運動は絶えず抑圧されてきた。ところが大きな転換が訪れた。1830年代に産業革命が起こったことで女性労働者が増え、社会主義者の影響もあり、フェミニズムの思想や運動が粘り強く行われた。 そして20世紀初頭にはフェミニズム運動の全盛期を迎える。フェミニストの国際提携の生まれ、2つの世界大戦で女性が大きく社会進出をしたことも要因の一つとなり、教育や労働の面で多くの権利を獲得していき、ついに1944年には女性参政権が成立したのだ。70年代には、女性たちの権利はイギリスやアメリカのそれに並んだのだ。
  • レポート ジェンダー 女性 フランス ドイツ
  • 550 販売中 2006/07/30
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  • 新優生学とジェンダー
  • 新優生学とジェンダー  果たしていわゆる出生前診断において、胎児が障害をもつ場合(あるいは同性愛傾向や性同一性障害と置き換えることも可能であるが)、中絶が許されるか、という問題について、ジェンダー論の立場からはどのような答えが可能なのだろうか。  このような場合に中絶を許容する考えは、新優生学と呼ばれる。優生学(eugenics)といえば、ナチス・ドイツが推進した、健全なる国民の名のもとに、障害者や同性愛者など、政権により劣位にあるとされた形質の遺伝子を根絶するという、今では悪名高き思想である。しかし、ここで言われているのは、個人の「自由な」自己決定に基づく、あるいはそれを尊重するためのものである。従って、国家によるのでなく、個人の意思決定に基づくなら、優生学は正当化されるか、と問題を言い換えることもできる。  この場合、自己決定の主体となるのは、生む性としての「女性」である。(なお私はMTFトランスジェンダーとして、妊娠するというより妊娠させる側の身体を持つ、従ってこの問題については当事者ではないことは予めお断りしておく。)なにゆえに自己決定ということが主張されるかといえば、障害をも
  • 女性 社会 ジェンダー 障害者 障害 問題 自由 比較
  • 全体公開 2007/12/21
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  • 女性労働者ジェンダー
  • 日本の女性労働者 現代の日本女性労働者の実情 昔は、女性は結婚したら、または子供が生まれたら、仕事をやめて家庭に入り、家事や育児に専念するというのが一般的な女性の生き方であった。そのような時代を生きてきた会社の男性に結婚した後も仕事を続けたいと申し出たり、育児休業を要求したりすれば、「女性は普通、結婚すれば仕事をやめるものだ」と言われる。 しかし経済のソフト化、サービス化が進んだ1980年代以降、結婚しても、子供が生れても働き続ける女性や、いったん家庭に入っても、子供が手を離れるようになったら再び働き始める女性が増えてきた。そして、1984年にはじめて、働く主婦の数が専業主婦の数を上回った。その後この傾向がますます加速し、2000年には、専業主婦1739万人、女性雇用者は2140万人と、働く主婦が多数派になったのである。「女性は結婚をしたら仕事をやめる」というのは、時代遅れの認識となったのである。  しかし女性労働者は増加してきたが、女性は男性と同じように働いているわけではない。男性は学卒業後就職し、その後は継続して働くから、30歳くらいまでは年とともに労働率があがり、その後は同じ水準
  • ジェンダー 女性 労働 格差 差別 社会
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  • 童話の持つジェンダーへの影響
  •    2005年11月18日 「教育とジェンダー」   私は教育、とりわけ子供達に家庭内で何気なく行われる躾や、私たちが幾度となく親しんできた童話などから、初等教育を受ける以前の子供達に既に植え付けられてしまう人為的な性差別、ジェンダーの意識はどのようなものか、またどのようにして変革していくべきかを考察していく。  子供が生まれた時から、親の頭の中には「男の子らしく」「女の子らしく」という発想が根強く残っている場合が多々ある。これは子供の産着を選ぶ際に男の子なら青、女の子なら赤などを自然に選んでしまうことからも推測できる。しかし生まれたての乳児に自分の好みの色を尋ねたところで明確な答えが返ってくる可能性は全くないのであるから、親や周りの大人が選ぶ以外に方法は無い。この際肝心なことは、生まれてきた子の性別に関係なく、自分が自分の子に着て欲しいと思う色、この子ならこの色を着て欲しいと思う洋服を選ぶべきだ、ということだ。ある程度大きくなり、子供の好みがはっきりしてからも、男の子は青系統、女の子は赤系統の色を選ばざるをえないような状況は多々ある。私の通っていた保育園では誕生日の日に、子供は洋服の上にリボンをつけることが出来る。リボンは青とピンクの2色であり、各自自由に選ぶことができた。しかしたほぼ9割近くの子が、男の子は青、女の子はピンクを選んでいた。私の友人の男の子のみピンクを選び、大変不思議に思ったことを鮮明に覚えている。しかし本来、選ぶリボンの色は個人の好みのみに基づいているべきであり、不思議に感じた私には、既にその時「男の子なら青、女の子ならピンク」という固定観念ができていたのだ。そして私以外の大多数の子供が同じような選択をしたということから、この固定観念は多くの家庭で、子供達が自分の選択基準を持つ以前から刷り込まれていたということが分かる。  ではそうした幼い時期のジェンダー認識とはどこで作られるのだろうか。実は、子供達に親が繰り返し読み聞かせる童話にも、ジェンダーの影響は潜んでいる。童話は幼い子供のためだけにあるのではなく、小学校低学年までには文字を読むことが出来るようになり、自分達で自発的にそれらを読み始める。この時にも無意識のうちに誤ったジェンダーの認識を刷り込まれていく。以下にいくつかの例を挙げて検証していく。 1赤頭巾 祖母を見舞うように言われた赤頭巾は、母親の寄り道をしないようにという約束を破り、狼と遊ぶ誘惑に負けてしまう。結局狼に食べられる赤頭巾の教訓は、「大人の規範に合わせて行動せよ」「誘惑に負けぬよう官能を抑えよ」であろう。 2シンデレラ 継母や義理の姉のいじめに負けず従順にすごしたシンデレラは、魔法使い           から舞踏会へ行く機会を貰い、美しい故に王子との結婚を果たすことができる。この結末のキーワードは「美しさ」であり、男性側からの評価に基づいたものだ。さらにシンデレラは自ら幸せになるために積極的な行動を起こしたかと問えば、決して起こしたとは言えない。 3白雪姫 この物語では、美しさは男性からの評価を得るだけでなく、女性同士の争いの 原因ともなっている。最終的に白雪姫が勝利する最大の要因は「若さ」である。シンデレラと同様男性側から見た女性の評価基準に基づく勝利の獲得であり、白雪姫自身は何ら積極的な行動は起こしていない。  さらに主人公の性別の差があれど設定があまり変わらない物語として「親指姫」と「一寸法師」を挙げることが出来る。しかし親指姫は回りに促され旅に出て、旅先で様々な困難に出会うも他者の助けを得ながら最
  • レポート 社会学 ジェンダー 童話 幼児教育
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  • 女性労働者ジェンダー
  • 日本の女性労働者 現代の日本女性労働者の実情 一昔前まで、女性は結婚したら、または子供が生れたら、仕事をやめ家庭に入り、家事や育児に専念するというのが一般的な女性の生き方であった。そのような時代を生きてきた会社の上司(男性)に結婚した後も仕事を続けたいと申し出たり、育児休業を要求したりすれば、「女性は普通、結婚すれば仕事をやめるものだ」言われる。 しかし経済のソフト化、サービス化が進んだ1980年代以降、結婚しても、子供が生れても働き続ける女性や、いったん家庭に入っても、子供が手を離れるようになったら再び働き始める女性が増えてきた。そして、1984年にはじめて、働く主婦の数が専業主婦の数を上回った。その後この傾向がますます加速し、2000年には、専業主婦1739万人、女性雇用者は2140万人と、働く主婦が多数派になったのである。「女性は結婚をしたら仕事をやめる」というのは、時代遅れの認識となったのである。  しかし女性労働者は増加してきたが。女性は男性と同じように働いているわけではない。男性は学卒業後就職し、その後は継続して働くから、30歳くらいまでは年とともに労働率があがり、その後は
  • 女性 労働者 差別 ジェンダー
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  • ジェンダーの起源と自己決定
  • ジェンダーの起源と自己決定 M.ダイアモンド博士講演に際して # 去る8月25,26日の両日に、大阪と岡山でミルトン・ダイアモンド博士の講演が行われました。本文は両講演のレポートというわけではないですが、かいつまんだ感想にあたります。  ジェンダー学の関係者には広く承知されているように、ジェンダー、すなわち社会的性別の起源については、社会構築主義と本質主義が対立している。前者は、男性または女性に特有のふるまい、思考パターン、社会的役割などは、生物学的要素によって決定されているのではなく、人が社会生活を送る途上で、後天的に習得されるものであるとする。後者はジェンダーもまた生物学的要因によって先天的に決定されており、後天的に習得されるものは限られている、とする。  この対立の科学的な評価は別として、トランスジェンダーが問題になる以前から、フェミニズムにおいては立場を二分する論争になってきた。この点、女性に与えられた性役割(家事労働、職場での補助的業務等)からの解放を前面に掲げる立場からは、社会構築主義がその理論的な根拠になってきた。すなわち、社会的性別は本来根拠のないものであり、だからこそ変えうるものであると。そして、教育や啓発活動等を通じて性差をなくせば、性差別が解消されるというという考えが導き出され、性差をなくすという意味でのジェンダーフリーの運動が実践されていたりする。  一方、近年の性科学によれば、いわゆる脳の性分化説のように、男性と女性では脳の構造に差異があり、その結果出生後の社会行動にも本質的な差異が生じるという説が有力になりつつある。そして、これは自然科学的認識とは厳密に区別されるべきであるが、社会一般においても、男女の社会的性差についても本質的な差があるという理解が、科学に裏打ちされて一般化されつつある。丁度少し前に流行った、「話を聞かない男、地図が読めない女」のように。この点、社会構築主義に本拠をおくフェミニストからみれば、性差の固定化につながる脳の性差の存在は受け入れがたいであろうし、仮に受け入れたとしても、その社会的性差に及ぼす影響は、ごく小さいと主張するであろう。反対に、社会的性差を固定的に考える立場からは、やはり男女には差異があるのだから、それにふさわしい社会的役割があてがわれるべきである、と考えられることになろう。  ここでダイアモンド博士のとる立場は、出生後の社会的環境による影響を一定限度認めながらも、「人は出生時において、あらかじめ心理的性別に関する差を有している」(Individuals are psycho-sexually biased at birth)というものである。これには、『ブレンダと呼ばれた少年』に記されたような、いわゆる「マネーの双子」(一卵性双生児として生まれた男児の兄弟の一方が医療事故により男性器を消失し、ジョン・マネー博士の指導により女児として育てられたところ、マネー博士が社会構築説の実証例として学会で発表したにもかかわらず、実際には女児として育てられた方の子は性別違和に苦しみ、現在は男性として生活しているという実例)が根拠とされている。  ただ、ダイアモンド博士の、次に提唱するものは、「性自認や性指向に関する疑いをもったら、オープンかつ十分に話し合い、十分に情報を得た上で、成長後であってもいつでも性別を変更せよ」(Discuss openly and fully any doubut as to identity or orientation, and change of sex whene
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  • ジェンダーという概念の歴史概観
  • 1、文献の要約及び知見の整理 第?章1節の「差異の政治学」ではフェミニズムの文脈というよりももっと広範な文脈のもとでジェンダー概念の登場からその進展の系譜が整理されており、興味深く読むことができた。したがってまずはこの節を中心に知見をまとめたいと思う。 ジェンダーという概念を最初に定式化したのは心理学者のR・ストーラーであるといわれているが、その概念を採用し広げたのはフェミニズムであると上野は言う。「性差は育ちの結果である」という標語は当初のフェミニズムの中で基本的な了解事項とされていた。自然的であり、したがって変えることのできない性差が厳然として存在するが、それを相対化するために、このジェンダーという用語が用いられたのである。今日のフェミニズムの中で、あるいは一般的で簡便な理解としても、セックスは「生物学的性別」、ジェンダーは「社会的文化的性別」を指す用語として定着している。私自身、今回の講義を拝聴するまでは、生まれながらに不変なセックスありきで、周囲の社会・家庭環境や教育の効果でジェンダーという性差の要素が加わるものだと単純に理解していた。つまり、講義後半のポスト構造主義フェミニズムを学習するまでであるが。 ........ しかし、セックスとジェンダーの境界線はどこにあるか、また、解剖学的性差から解放されても社会的文化的性差からの解放はどちらの性にとっても難しいのではないかというような問いが残っていた。前者に関してはマネーとタッカーの性転換にまつわる臨床研究が進むにつれて、セックスとジェンダーの非連続性という回答が出されてきた。セックスがジェンダーを規定するという生物学的還元説が否定され、ジェンダーとセックスは端的に別のものであるということやそれでもなおジェンダーの拘束力は大きいことが示されたのである。後者の問いについてフェミニズムは80年代に入って文化的な性差本質主義で答えようとした。先述したように、ジェンダーは社会的に形成されるものであるが、社会化した動物としての人間が結局そこから逃れるのは困難である、としたら逆にジェンダーの社会化過程や女性文化の中で形成され受け継がれる「女性性」を、積極的に賞賛し、受け入れていくべきだという考え方が台頭したのだ。 ,......
  • レポート 社会学 ジェンダー 差異 上野千鶴子
  • 550 販売中 2005/10/13
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