連関資料 :: 夏目漱石

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  • 夏目漱石『こころ』と現代社会の自殺論
  • 夏目漱石『こころ』と現代社会の自殺論                                                                                 自分が教師だとして、夏目漱石の「こころ」でどのようなことを教えたいかについて考察してみる。 「こころ」という誰もが知っているであろう名作の解釈うんぬんよりも、「K」と「先生」の「自殺」から、広く自殺一般、現代における生の解釈の多様性について生徒に考えさせてみたい。そこから、本当に命の価値は希薄になったのか、救いはあるのかということについて「こころ」を題材に生徒に考えさせたい。 また、ここでは私の主観でそれの是非を問いたり警鐘を鳴らすとかいうものではなく、普段あまり意識しない生死の問題について少し立ち止まって考えることのできる時間を高校生くらいの年齢に与えられればいい。もちろん大学生である自分も、中身は無力な高校生であることくらい自覚しているが、きっかけを作ることくらいはできるだろうと思う。 現在日本では、年3万人、一日にして約100人が自殺しているという統計があるが、これはあくまで大本営発表
  • 自殺 夏目漱石 こころ レポート
  • 550 販売中 2009/01/19
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  • 北村透谷と夏目漱石の共通点及び相違点について
  • 1 透谷と漱石の思想や生き方などの共通点及び相違点について述べる。  透谷と漱石は、明治日本の近代化の矛盾と誠実に取り組む中で、多くの形見を残した文学者であり、その二人にはある共通点と相違点があった。まず共通点の一つとして、二人の家庭環境があげられる。二人はとも両親とそりが合わなく、透谷はとくに母親と、漱石は父親とそりが合わなかった。そのため、結婚生活というものに対して幻滅していたところがあった。二つめの共通点は、思想と気質についてである。二人の終生変わることがなかった幕末の志士たちへの共感と、明治の元勲たちへの否定意識は、明治維新から自由民権運動時代にかけて精神形成を行った青年たちの一つの特長を示していた。また二人はともに反封建主義・反薩長主義であり、いわゆる天下国家に関心をよせる国土的要素を終生持ちつづけた作家であった。三つめは恋愛観及び文学観である。ともに英文学を専攻して漢文や漢詩を好んでおり、その文学作品には恋愛を主要なテーマとしたものがあって、恋愛というものは神聖なものと考えていた。そして恋愛とは同時に罪悪であることも指摘していたとされる。文学については、国民的思想化を目指しており、下層の貧民へ目を向けていた。また、作品の中には旅を通して文明を批判したものもあった。  次に相違点をあげると、一つに二人の生い立ちがあげられる。幕藩体制の崩壊により、明治維新の士族と名主の出身であった二人の父親たちの地位はともに変化し、その変化により透谷と漱石の生き方に大きな影響を与えることとなった。透谷は、長男ということもあり、母親によって否応なしに立身出世を方向付けられており、家庭の経済状態はきびしいものであった。一方の漱石は、夏目家の五男として生まれ、北村家に比べると経済的にはややゆとりがあった。
  • レポート 日本文学 北村透谷 夏目漱石 思想 文学観
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  • 夏目漱石『坊っちやん』に見られる批判の目
  • 夏目漱石『坊っちやん』 目次 神経衰弱と小説 漱石の「神経衰弱」と「他人本位」の社会 「個人主義」と『坊っちやん』 『坊っちやん』における批判とその正当性 〈正常〉と〈異常〉の不思議 論文末 参考文献リスト   なお、注釈は論文中必要な箇所に番号をふり、()として随時その箇所に記した。 一、神経衰弱と小説 小説『坊っちやん』は著者夏目漱石が、同氏による小説『吾輩は猫である』を朝日新聞に連載していた途中、明治三十九年の四月に雑誌『ホトトギス』に発表したものである。漱石が始めて創作にとりかかったのは丁度この頃のことである。漱石はこの二、三年前にイギリスに留学(明治三十三年五月~明治三十五年十二月頃)しており、この留学経験が彼の初期作品である『坊っちやん』に重大な影響を与えたと考えられている。それは漱石が小説を書き出した理由が、かねてからの神経衰弱がこのイギリス留学によって「ひどく悪化」し、その帰国後医師によって、「療養、気晴らしのために」心にあるものを吐き出だすことを勧められたからだ、といわれているからである。 この漱石が悩まされていたとされる神経衰弱が具体的に何の病気であったかについては諸説存在しており、塚本氏の分類によれば「精神分裂病説」(2002年からは統合失調症)「うつ病説 混合精神病説 パラノイアまたは敏感関係妄想説 境界例説 正常説」(①『漱石、もう一つの宇宙』 著 塚本嘉壽氏)と分けられる。ただし漱石の神経衰弱に関する情報は、明治という精神病についての知識が浅い時代であったこと(無理解)、また精神病は“よくないもの、恥ずべきもの”という風潮があったこと(虚偽性)、さらに漱石の情報を寄せている人々が漱石と無関係の立場にあったわけではないこと(非客観性)、など現代医学と異なる点に注意して考えなければならない。 まず、この塚本氏による区分を大きく分けるならば「正常説」か、否かであろう。「正常説」についてであるが、主にこの説を唱えているのは漱石の多くの弟子、及び彼を敬愛する人々であることが多い。よって前述したように漱石と無関係の立場にはあらず、漱石に対する敬愛の情から彼をかばい、人格者にしたてようとする傾向が強くあることが指摘される。 では逆に、何らかの病気であった場合についてであるが、この場合、漱石の妻である鏡子夫人がこの説を支持していた。妻という対場上、最も漱石と近い関係にあり、神経衰弱について有力な情報源となると考えられるのであるが、そこに虚偽性が認められるという指摘(②『詳伝 夏目漱石 上巻』 著 宮井一郎「7、神経衰弱」)がある。漱石と鏡子夫人の関係は漱石を研究する上で興味深いものであるようで、幾つかの参考文献にも記載されていた。その中で特に分かりやすいと思われるものを以下に引用する。 「『草枕』において、健三の妻お住(いわば鏡子夫人にあたる人物)のヒステリーを、三回にわたってきわめて精細に描いている。そしてその描写は、ときに凄惨でさえある。しかし、そこには悪意も冷酷さもない。むしろきわめてひかえ目で、また同情的で、それによって仲の悪い夫婦の絆が堅く結びなおされるようにさえ描かれている。 ところが悲しいことに鏡子夫人には、こういう漱石の執筆態度は少しも理解できない。逆にその主観においては、自分は精神病者漱石を、生涯介抱してきた、自分だからこそできたのだ、という自負がある。それを単にヒステリー女として描かれたのでは立つ瀬がないと思う。そこに漱石の一周忌に完成した豪華な墓が、いかにも成り金趣味だというので、それをきっかけに門弟友人の間で、
  • 論文 人文・文学 夏目漱石 坊ちゃん 近代文学 明治
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