自己愛と他者愛について

閲覧数2,131
ダウンロード数7
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    今回、私はアンドレ=コント・スポンヴィルの『愛の哲学・孤独の哲学』から始まった、人を愛することについての講義に最も関心を持ったため、そのことについて述べようと思う。
     その中で、講義中先生の仰ったことに共通するものとして、人間は「自己を高めることによって幸福を求める」ことを説いている。すなわち、『愛の哲学・孤独の哲学』においては幸福を求めるためには己が生きる術を身に付ける必要があるとし、生きる術がすなわち知(智慧)であり、知を介して幸福を求める行為が哲学であると述べ、哲学の存在意義と理解をうながした。それと平行して、ソクラテスとキルケゴールの2者を例に挙げ、哲学についての補足を行なった。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    自己愛と他者愛について
     今回、私はアンドレ=コント・スポンヴィルの『愛の哲学・孤独の哲学』から始まった、人を愛することについての講義に最も関心を持ったため、そのことについて述べようと思う。
     その中で、講義中先生の仰ったことに共通するものとして、人間は「自己を高めることによって幸福を求める」ことを説いている。すなわち、『愛の哲学・孤独の哲学』においては幸福を求めるためには己が生きる術を身に付ける必要があるとし、生きる術がすなわち知(智慧)であり、知を介して幸福を求める行為が哲学であると述べ、哲学の存在意義と理解をうながした。それと平行して、ソクラテスとキルケゴールの2者を例に挙げ、哲学についての補足を行なった。
     ソクラテスは、「魂の配慮」からより善く生きることを考え、何が正しい行為であるかを「知性」として求め、合法的に探求することが哲学であり、哲学が人間の人生そのものであると説いている。
     キルケゴールは、人生がいくつかの段階を経て成り立っているとした。初期段階においては、己が感じるものに忠実な、非常に利己的な生き方をしている。しかし、さらに上位の段階に移行するに従って、より客観的...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。