日本の歴史の中で、仏教は大きな役割を果たしてきた。仏教は飛鳥時代に伝来し、聖徳太子や蘇我氏など貴族の手を経た後、天台宗と真言宗の二派が生まれ貴族の間で信仰され、聖武天皇の大仏建立によって一つの山場を迎えるのである。その後、鎌倉新仏教の登場によって仏教は、民衆の間にも広く信仰されるようになる。
経塚と埋経について
日本の歴史の中で、仏教は大きな役割を果たしてきた。仏教は飛鳥時代に伝来し、聖徳太子や蘇我氏など貴族の手を経た後、天台宗と真言宗の二派が生まれ貴族の間で信仰され、聖武天皇の大仏建立によって一つの山場を迎えるのである。その後、鎌倉新仏教の登場によって仏教は、民衆の間にも広く信仰されるようになる。
本講義で取り扱った埋経も、この仏教史の大きな一事象である。埋経とは、仏教の経典を紙や石に書き写し、容器に入れて土に埋める行為をあらわす。特に、末法思想に誘発されて、経典を写して功徳を積み、地中に埋めてさらなる功徳を願おうとしたのである。これが全国で行われたのが11世紀の末である。
その目的は、仏教を後世に残そうという意識によるものである。埋経が行われ始めた時代は、仏教の世界では末法の始まりにあたる。仏教の教えが失われると考えた僧侶や貴族は、こぞって埋経を行ったのである。それが、多くの記録と遺物によって現代の私たちもその様子を窺うことができる。
さて、埋経に用いた経典はどの様な物だったのか。様々な経典が用いられるが、如法経が最も多いものである。また、経典を写し取るいわゆる写...