今回、「日本における世界遺産についての意識調査」において、「姫路城」を対象に選定した理由としてまず挙げられることは、日本における世界遺産指定・第1号であるという点にみられる「文化性・希少性」の高さを評価したためである。もう一つの選定理由は、「姫路城」がわが国固有の木造建造物である以上に、日本独自の精神文化である「武士道」における象徴的建造物としての「城」に調査意義を感じたからである。現在の日本を形成する原点となった精神の「ひとつの象徴」である城に対して、現代人が持っている意識の調査・分析を行うことは非常に興味深いといえる。
その反面、「姫路城」についての国際的評価の高さに比べ、作業グループ内に訪問者がいない、という事実もあった。それは、「姫路城」の観光対象としての一般的評価が低いためであるのか、という疑問にまで至った。そこから、意識・イメージの調査を通して「姫路城」についての観光における可能性を探ってみたいとの選定理由も挙げられる。
(2)調査対象の概要
播磨平野の中央、姫路城は、1346年(正平元年)に、赤松貞範により築城されたと言われる。その後、池田輝政・松平忠明・豊臣秀吉ら幾人かによって治められ、時を経て1951年に天守閣が国宝に指定された。
そして、1993年12月、姫路城は奈良・法隆寺とともに、日本で初めてユネスコの「世界文化遺産」に登録された。それは、1988年に改訂された、世界遺産委員会が定めた基準の運用ガイドラインに基づいて行われた。
姫路城
1.調査の背景
(1)対象選定の理由
今回、「日本における世界遺産についての意識調査」において、「姫路城」を対象に選定した理由としてまず挙げられることは、日本における世界遺産指定・第1号であるという点にみられる「文化性・希少性」の高さを評価したためである。もう一つの選定理由は、「姫路城」がわが国固有の木造建造物である以上に、日本独自の精神文化である「武士道」における象徴的建造物としての「城」に調査意義を感じたからである。現在の日本を形成する原点となった精神の「ひとつの象徴」である城に対して、現代人が持っている意識の調査・分析を行うことは非常に興味深いといえる。
その反面、「姫路城」についての国際的評価の高さに比べ、作業グループ内に訪問者がいない、という事実もあった。それは、「姫路城」の観光対象としての一般的評価が低いためであるのか、という疑問にまで至った。そこから、意識・イメージの調査を通して「姫路城」についての観光における可能性を探ってみたいとの選定理由も挙げられる。
(2)調査対象の概要
播磨平野の中央、姫路城は、1346年(正平元年)に、赤松貞範により...