日本国憲法は、前文第1段で「主権が国民に存する」、1条で「主権の存する日本国民」と規定し、国政の最終決定権が国民に存するという国民主権原理を採用している。それでは、ここでいう「国民」の意義および「主権が存する」ことの意味をいかに捉えるべきか。
全国民主体説は、主権概念における正当性の契機を重視する見解である。すなわち、主権の名の下に憲法破壊や人権侵害が正当化されることの危険を回避するためには、国民主権における主権概念は国の政治のあり方を最終的に決める権威であり、国民主権は憲法を制定し、かつ支える権威が国民にあることを意味するものでなければならないと考えるのである。この見解は、権力性の契機を抜きにして国民主権における「国民」の意義を考えるため、命令的委任の制度を導入する法律を制定することは認められないことになる。
しかし、この見解では、国民主権とは、「国家権力が現実に国民の意思から発する」という事実を言っているのではなく、「国民から発すべきものだ」という建前を言っているに過ぎないことになる。その結果、国民主権は権力性の契機と理論上、直接の関係はないことになり、せっかくの国民主権が全く健全化してあまりにも無内容なものとなってしまうため、この見解も妥当でない。
したがって、主権主体たる国民とは、有権者団のみでなく全国民を意味すると解すべきであるが、国民主権における主権とは、そのような全国民が国家権力の根源であり、全国民に制定憲法の究極の正当化の根拠があるという意味として解すべきである。
もっとも、憲法は改正手続において国民の参加を予定しており(96条)、このことからすれば、国民主権とは単に正当性の契機を内包するにとどまらず、憲法改正権の行使によって、国民が国家権力の究極の行使者として位置づけられるという権力性の契機を不可分密接に結合させたものと解すべきである。
国民主権について
日本国憲法は、前文第1段で「主権が国民に存する」、1条で「主権の存する日本国民」と規定
し、国政の最終決定権が国民に存するという国民主権原理を採用している。それではここにいう「国
民」を全国民と考えるべきか、それとも有権者の総体と考えるべきか。国民主権の原理において、
国民が国の政治の在り方を最終的に決定する権力を有するという権力性の契機と、国家権力の正当
性の究極の根拠が国民に存するという正当性の契機をどのように考えるかという点と関連して問
題となる。
この点、主権は憲法制定権(力)と同視でき、しかもその憲法制定権は一定の資格を有する国民
(有権者)の保持する権力(権能)であるとして、憲法制定権の主体である国民は、天皇を含まず、
また権能を行使する能力のない未成年者のような者も除外されるとする見解がある(有権者主体
説)。
この有権者主体説は、主権概念における権力性の契機を重視する見解である。すなわち、政治を
動かす力が国民にあり、この力は選挙などを通じて発揮されるから、選挙権を持つ有権者のみが主
権を有すると考えるのである。この見解に立てば、権力性の契機が重...