事件は昭和52年5月8日午後3時30分ごろ、三重県鈴鹿市の溜池(以下本件池という)で起こった。本件池は、新興住宅街にやや囲まれており、公簿面積9万9378平方メートルのかんがい用溜池で、池水は農業用水と利用されており、事故当日はほぼ満水で、岸辺から中央へ1.5メートルのところで水深2.5メートルに達する急勾配の状態であるにもかかわらず、防護柵などの設備もなく水難の危険の大きい状態のまま放置されていた。
原告(以下X、父をX1、母をX2という)及び被告(以下Y、父をY1、母をY2という)一家は、いずれも昭和49年7月ごろ、農業用溜池である本件池の南部に隣接した団地に転居してきた。そして、両家は翌50年に入り、当初は町内会の隣組役員の関係から交際をはじめ、その後X子とY子が遊び友達となり、昭和54年4月からは共に幼稚園に通園するようになったことから交際を深め、両児も一緒に遊ぶことが多かった。
事件の当日の経緯は、午後3時ごろ、X子(当時3才4ヶ月、身長1.05メートル)とY子(当時4才)がY宅の庭先で一緒に遊んでいた。X2は夕食の買物に出かけるため、Y宅へ赴きX子を呼んだところ、Y子も同行したいと言い出したので、X2はY1に意向を尋ねたところ、Y1は、Y2もいるし自分も見ているから、X子をおいて行ったらよいという返事であった。X2は、やはりX子を連れて行くと再び言ったところ、Y2も短時間のことであり、見ているからと Y1と同様の返事であったので、X2はYにX子の監護を依頼し、買物に出かけた。Yはその日は大掃除をしており、X2がその場を去った後、10分から15分位の間は両児が自転車を乗りまわして遊んでいるのを仕事の合間に視認していたが、その後屋内へ入り7、8分後、次の仕事にとりかかろうとしているところへY子が戻ってきて、X子が泳ぐと言って池にもぐり帰ってこない旨を告げた。
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いわゆる隣人訴訟における諸問題の考察
(民法および世間観との関係から)
1.事実の概要
(1)事件の経緯
事件は昭和52年5月8日午後3時3 0分ごろ、三重県鈴鹿市の溜池(以
下本件池という)で起こった。本件池 は、新興住宅街にやや囲まれており、
公簿面積9万9378平方メートルのかんがい用溜池で、池水は農業用水と
利用されており、事故当日はほぼ満水で、岸辺から中央へ1.5メートルの
ところで水深2.5メートルに達する 急勾配の状態であるにもかかわらず、
防護柵などの設備もなく水難の危険の大きい状態のまま放置されていた。
原告(以下X、父をX1、母をX2と いう)及び被告(以下Y、父をY1、
母をY2という)一家は、いずれも昭和49年7月ごろ、農業用溜池である
本件池の南部に隣接した団地に転居してきた。そして、両家は翌50年に入
り、当初は町内会の隣組役員の関係から交際をは じめ、その後X子とY子が
遊び友達となり、昭和54年4月からは共に幼稚園に通園するようになった
ことから交際を深め、両児も一緒に遊...