自分が今まで受けてきた国語の授業を振り返ってみると、小学校ではグループ授業、中学校ではグループ授業と普通の講義型授業が半々ずつ、高校では講義型授業が主だったものだった。当時は教師に言われるがままグループならグループで、普通の授業なら普通の授業でその意義など考えることもなく授業を受けてきたが、大学に入ってグループ授業の大切さ、個々にそれぞれが授業を聞くという体制の意義が、自分なりにわかってきたような気がする。その考えたことについて、以下に示していく。
まず、グループ授業について。自分が受けてきたグループ授業は、ときどき紙芝居を作ったり、またあるときは本を作ったりということもしたが、主に5、6人で班になって机をくっつけて、教師が出した問いをみんなで考え、そして意見をまとめて代表者が発表する、というものだった。この授業はクラス全員対一人ではなく、グループの中の個人個人で意見を言い合える点に利点があると考える。普通の授業の場合だと、中にはみんなの参考となるような良い考えを持っていても、発表するのが恥ずかしい、または否定されるのが嫌だ、などの理由で、手を挙げて意見を出すことの出来ない子もいる。しかしグループ授業の場合だと、少人数で話し合うことができるので意見も出しやすく、自分とは違う意見も取り入れやすいのだ。グループ内で違う意見があって考えが分裂したとしても、ある程度は意見をまとめる力を身につけることができるようになるのも、グループ授業の良い点だと考える。
そして次に、個人対個人の講義型授業について。この授業の利点は、集中して授業を聞くことによって、また疑問を投げかけることによって、短時間に多くの知識を得られる点にあると考える。
自分が今まで受けてきた国語の授業を振り返ってみると、小学校ではグループ授業、中学校ではグループ授業と普通の講義型授業が半々ずつ、高校では講義型授業が主だったものだった。当時は教師に言われるがままグループならグループで、普通の授業なら普通の授業でその意義など考えることもなく授業を受けてきたが、大学に入ってグループ授業の大切さ、個々にそれぞれが授業を聞くという体制の意義が、自分なりにわかってきたような気がする。その考えたことについて、以下に示していく。
まず、グループ授業について。自分が受けてきたグループ授業は、ときどき紙芝居を作ったり、またあるときは本を作ったりということもしたが、主に5、6人で班になって机をくっつけて、教師が出した問いをみんなで考え、そして意見をまとめて代表者が発表する、というものだった。この授業はクラス全員対一人ではなく、グループの中の個人個人で意見を言い合える点に利点があると考える。普通の授業の場合だと、中にはみんなの参考となるような良い考えを持っていても、発表するのが恥ずかしい、または否定されるのが嫌だ、などの理由で、手を挙げて意見を出すことの出来ない子もいる。し...