(戦前の弾圧)信教の自由とは、人がどのような宗教を信じてもよい自由、信じない自由を含めた自由であり、宗教に関わる様々な行為について自由であることをいいます。明治憲法の時代には「神者は宗教にあらず」とされ、国家(国政)と神道が結び付けられ、治安維持法などによって天皇制と一体になった国家神道が国家によって国民に強制されました。こうして、個人の信教の自由が侵害されたばかりか、国民は悲惨な戦争に導かれ、宗教自体も歪められてしまいました。このような事態への深い反省から、日本国憲法は信教の自由を明記し、すべての国民の信教の自由を守るために、政教分離の原則を定めています。
<学習指導案>
指導詳細
1―B・4限
指導内容 学習活動 指導方法・留意点 導入 前時の内容を振り返りつつ本時の話を繋ぐ。
展
開 『信教の自由』(Co20)
人は何を信じても、何も信じなくても個人の自由である。
「政教分離の原則」
・靖国神社問題(前時の続き・補足)
・津地鎮祭訴訟
・愛媛玉ぐし料訴訟
『表現の自由』(Co21)
└→具体的内容の説明
・東京都公安条例事件
・タレント追っかけ本の出版差し止め
『学問の自由』(Co23)
・滝川事件
※精神の自由のまとめ
<人身の自由>
・戦前の警察による不当な逮捕・取調べの説明
・Co18 奴隷的拘束及び苦役からの自由
・Co31 法定手続の保障
└→罪刑法定主義--―
・Co36 拷問及び残虐刑の禁止
→信教の自由が保障されているからこそ、雑多な宗教風俗が成立し存在できる。
すべての宗教に自由を与えるために、国や地方公共団体はいかなる宗教行為も行うべきではない。(公権力による宗教への干渉の防止)
一宗教法人である神社を一国の首相が参拝...