政教分離原則に関する判例の分析(愛媛玉串料訴訟判決について)
1.事実の概要
愛媛県は、昭和56年から61年にかけて、宗教法人靖国神社の行う宗教上の祭祀である例大祭に際し玉串料として9回にわたり各5000円を、同みたま祭に際し献灯料として4回にわたり各7000円または8000円(計31000円)を、また、宗教法人靖国神社の行う慰霊大祭に際し供物料として9回にわたり各10000円を、それぞれ県の公金から支出して奉納した。これに対し、同県の住民らが、憲法20条3項、89条等に違反する違法な支出であると主張して、当時の知事らに地方自治法242条の2第1項4号に基づき、県に代位して当該支出相当額の損害賠償を求めた。
2.判旨および津地鎮祭事件判決との比較
(1)本問で問題となったのは、いわゆる政教分離原則である。この問題は、20条3項にいう「宗教的活動」をいかに解するかと密接な関係にある。
①政教分離とは、国家の非宗教性ないし中立性をいう。つまり、国家は原則として国民の信仰的、内面的生活に関与すべきではないので、国家は宗教的行為をしてはならないとの原則である。日本国憲法では、20条1項後段と同条3項とがこれを明示し、この政教分離を財政面から裏付けているのが89条である。
②政教分離原則の趣旨するところは、ⅰ.信教の自由の保障の強化、ⅱ.国家の破壊・宗教の堕落の危険防止にある。もしこの原則に反し、国教制度がとられたり国家が宗教活動を行うと、少数者の信仰・宗教的実践は間接的に抑圧を受け、信教の自由は事実上侵害される危険が大きい。そして、国家と宗教との結びつきによって他の宗教に対する迫害が生じたことは歴史的経験が示すところである(ⅰについて)。また、国家と特定の宗教が結合すると、諸宗教的価値は互いに相容れないから、宗教間の不信・憎悪が高まることになる。また、権力と結合した宗教自体が堕落し国家もそれに引き込まれることになる(ⅱについて)。
(3)政教分離原則についてまず問題となるのは、その法的性格をいかに解するかである。学説においては、制度的保障とするもの(制度的保障説、通説)や信教の自由の一内容をなすものと解する説(人権説)がある。
①制度的保障説の根拠は、制度的保障とは、個人の人権保障に資する歴史的伝統的制度の本質を憲法が立法による変更・廃止から保障しようというものであり、そして、政教分離原則は、信教の自由の保障を担保するために歴史的に形成された宗教と国家との結合を否定する消極的な制度であり、また規範の名宛人が国民ではなく専ら国および公共団体に限定されていることにある。この説は、一般に国家と宗教との分離を緩やかなものと考える傾向にある。
この説に対しては、制度的保障は、法律の留保型の人権保障体系下ではない現在においてはその存在意義が疑問である、人権と制度とがいつのまにか主客転倒し、制度の本質を害しない限り人権が害されてもよいと解される危険があるといった批判がある。
②一方、人権説の根拠は、信教の自由の保障は、直接的な強制・弾圧を排除するだけでなく、政教融合という個々人にとっては間接的な圧迫をも排除することによって、はじめて完全なものとなることにある。この説は、一般に国家と宗教との分離を厳格に考える傾向にある。
この説には、国家が政教分離原則に違反すると直ちに個人の信教の自由を害したことになって、これを理由に全国民が違憲訴訟を提起しうることになり、司法的救済における争訟適格性・事件性を抽象する危惧がある、20条1項、3項、89条の規定の仕方から、あくまで
政教分離原則に関する判例の分析(愛媛玉串料訴訟判決について)
1.事実の概要
愛媛県は、昭和56年から61年にかけて、宗教法人靖国神社の行う宗教上の祭祀である例大祭に際し玉串料として9回にわたり各5000円を、同みたま祭に際し献灯料として4回にわたり各7000円または8000円(計31000円)を、また、宗教法人靖国神社の行う慰霊大祭に際し供物料として9回にわたり各10000円を、それぞれ県の公金から支出して奉納した。これに対し、同県の住民らが、憲法20条3項、89条等に違反する違法な支出であると主張して、当時の知事らに地方自治法242条の2第1項4号に基づき、県に代位して当該支出相当額の損害賠償を求めた。
2.判旨および津地鎮祭事件判決との比較
(1)本問で問題となったのは、いわゆる政教分離原則である。この問題は、20条3項にいう「宗教的活動」をいかに解するかと密接な関係にある。
①政教分離とは、国家の非宗教性ないし中立性をいう。つまり、国家は原則として国民の信仰的、内面的生活に関与すべきではないので、国家は宗教的行為をしてはならないとの原則である。日本国憲法では、20条1項後段と...