古今和歌集の仮名序を見て、わたしはふと考えた。万葉集から約百五十年後のそれは、随分とことばへのこだわりが変わり始めているように感じるのである。それまで生活の中で神のものと考えられていたことばが、人々の目線の位置に下がってくるどころか、ある種また別の意味で目線より上へと位置を変えているような気がするのだ。
勿論根本的な歌の概念に大きな変化は無いかもしれない。以下は紀貫之によって書かれた仮名序の冒頭である。
「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。」
「万葉から古今へ 創作の誕生」
ことばとは魂である。ことばそのものに神々の力が宿り、口にすれば実現する。それが言霊というものであった。
「しき島のやまとの国は事霊のたすくる国ぞまさきくありこそ」(柿本人麻呂 万葉集 13.3254)
日本の国は言霊が人を助ける国なので本当の幸せとなる、という意味である。万葉集で柿本人麻呂が詠んだように、古代の日本人は言霊というものを信じ、その言霊の力が人間よりも遥か上の存在として扱っていたのである。現代のわたしたちにとって、この考え方はあまり身近なものではないだろう。特に文学に傾倒しているわけではない人々ならば余計だ。そういった人々にとってことばというものは、コミュニケーションの道具のひとつにしか過ぎない。しかし古代の日本人は「雨よ降れ」とことばにし、そのことばに神々の力が宿り、日照り続きの日々に雨が実際に降ると考え、呪いのことばなども安易に口にはしなかったという。それらはことばには神の力が宿り、口にしたならば実現するという考えであったからだ。この考えは既に現代日本において消え去っているように感じるが、忌み言葉という縁起の悪い言葉を使うと不幸な事態...