普段私達は、意味を先に優先させて、それからその意味に見合うことばを探していく。そのせいか、逆に同じように、人間の多くがまずはことばに意味を求めるに違いない。ふと、音の響きが綺麗だと感じることがあっても、それが意味を伴わなければ、ほとんどの人間がそこで頭に疑問符を浮かべるだろう。私もまた同じく、自然とことばに意味を求める。それゆえに、初めてまともに詩を読んだときには、必死にその詩に隠された意味を探り、詩人が一体何を伝えたいのか、何を言いたいのかを探ることに懸命になっていた。本当のことをいえば、今でもたまに、無意識のうちにそれをしてしまう。なぜならそれが今まで自分の当たり前の日常であったからだ。
詩のことば
詩のことばというのは、なんとも不可思議で、私には到底理解できないものである。いや、そうではなくて、到底人間が理解するのは不可能なのかもしれない。ことばによって生かされている私達に、どうやっても追い付くことが出来ないほど先を生きることばを、自分の中に取り入れ、それを理解し、自在に操ることなど最初から無理なのかもしれない。ましてや、意味よりも、その「ことば」本来が生きている詩を相手にするとなると、ぽっかりと宇宙に口をあけた暗闇の奥底の如く、本来の姿が見えない、恐怖の実体なのかもしれない。
普段私達は、意味を先に優先させて、それからその意味に見合うことばを探していく。そのせいか、逆に同じ...