彼の詩は、素晴らしい技巧が凝らされた詩とは違う洒落気がある。ことば自体が作られて、飾り立てられてお洒落になっているのではなく、彼のことばの選び方がお洒落なのだ。特別に難しいことばを繰り返し使うわけでもない。日常の中、目の前に用意されたことばを摘み上げて、並べていくかのようである。勿論それは彼のことばへの拘りがそうさせるのだろうし、その並べ方も真似の出来ない彼のセンスなのだろう。「四千の日と夜」、「幻を見る人」、「にぶい心」、「奴隷の喜び」、数々の詩のタイトルだけでも、格好良いと思わず唸りたくなるようなものばかりだ。余計な装飾には頼らない、正に断言的でさっぱりとした男性的な美しさを感じる。
田村隆一「腐敗性物質」を読んで
詩のことばは、硬派かそれとも飛びぬけて技巧的でなければならないと思っていた。それは誰かに言われた記憶もなければ、何処かで読んだ記憶でもない。ただ漠然と決められたルールのように感じていた。しかし何のことはない、田村隆一の書いたことばに、あっさりとその固定観念と呼ばれるものが吹き飛ばされたのである。
今までの苦悩の詩は、己の混沌とした内面を吐き出すものが多かったように感じたが、彼の詩はぐるぐると己の中を回っているのを、顎先に手を添えて、冷静に外から客観視しているような、そんな落ち着きがあるように感じる。理屈を抜いて、ここまで素直に初めから「格好良い!」と思えた詩は無かったかもしれない。この感覚は何だ、今までとは全く違う。私の中に素直に響いてくる彼の選んだことばのひとつひとつ。しかも、詩集の最後に向かうに連れて、なぜか鼓動が早くなり、すうっと現実へ帰っていくような不思議な感覚がある。
彼の詩は、素晴らしい技巧が凝らされた詩とは違う洒落気がある。ことば自体が作られて、飾り立てられてお洒落になっているのではなく、彼のことばの選び方がお洒落なのだ。特別に難し...