フランスの十六世紀は世紀を二つに分け、戦争というものを二度も経験した時代である。イタリア戦争が一五五九年に終わり、そうしてカトリックとプロテスタントとの宗教戦争が勃発する。さらに十四世紀頃から始まっていた魔女裁判に更に火を点けた特別異端裁判所の設置など、もはや当時のフランスは血生臭い以外の何物でもなかったのである。殊に魔女裁判においては、ウンベルト・エーコの名作『薔薇の名前』などでも生々しく描かれるように、当時の民衆の間では熱烈な勢いで広まり、信じられ、優秀な学者なども強く肯定していたというのだから驚きである。魔女の存在を否定することすら当時にとっては聖書に権威に逆らうとされ危険であった。我々にとって魔女裁判ほど理解の出来ないものは無いかもしれないが、ここまで当時、キリスト教という宗教が、それだけではなく宗教そのものが大きな権威を持っていたのは確かである。
もはや我々の理解を超える境地までたどり着いていた当時のフランスに、寡黙に己を生き抜いたのがミシェル・ド・モンテーニュである。既に人間から逸脱した人間たちは、命を命とも思うはずもなく、慈悲などを持ち合わせていなかった。非科学的な迷信や思想がまかり通る時代において、全ての民は現実というものや、己自身というものを見ずに生きることを始めていった。悪に対し処罰を与えるだけでは留まらず、彼らは特殊な拷問を次々に生み出すべく頭を悩ませるほど、死というものを超えた苦痛を求め彷徨っていたほどだ。もはや何のために戦い、人を殺すのかという原点が見えていない、この「異常」が「正常」とされていた世の中において、モンテーニュは唯一己という人間の性質を、そして現実を見詰めることを貫いたのである。無論彼以外にも立派な人はいたのだろう。
本当の「ルネサンス」
『エセー』、残酷さについてから見るモンテーニュ
フランスの十六世紀は世紀を二つに分け、戦争というものを二度も経験した時代である。イタリア戦争が一五五九年に終わり、そうしてカトリックとプロテスタントとの宗教戦争が勃発する。さらに十四世紀頃から始まっていた魔女裁判に更に火を点けた特別異端裁判所の設置など、もはや当時のフランスは血生臭い以外の何物でもなかったのである。殊に魔女裁判においては、ウンベルト・エーコの名作『薔薇の名前』などでも生々しく描かれるように、当時の民衆の間では熱烈な勢いで広まり、信じられ、優秀な学者なども強く肯定していたというのだから驚きである。魔女の存在を否定することすら当時にとっては聖書に権威に逆らうとされ危険であった。我々にとって魔女裁判ほど理解の出来ないものは無いかもしれないが、ここまで当時、キリスト教という宗教が、それだけではなく宗教そのものが大きな権威を持っていたのは確かである。
もはや我々の理解を超える境地までたどり着いていた当時のフランスに、寡黙に己を生き抜いたのがミシェル・ド・モンテーニュである。既に人間から逸脱した人間たちは、命...