当初からアメリカはアラブ諸国にとって「敵」ではなかった。むしろソ連と共に、英仏の植民地主義に
対する対抗者としてアラブ地域に影響力を行使できる新たなアクターかも、という期待感さえあった。
<政権レベルでの認識の展開>
* “国策上”対米依存政策を脱却することはできないという判断を下し、これが国民の自国政権批判につながることを恐 れた。自国政権への直接非難をかわすために、国民の間での反米意識を強める事を放置した側面がある。
◎ 「反イスラエル」イデオロギー:大衆レベルと政権レベルで合致。
◎ アラブ諸国政権における国会選挙:不正と国家権力の介入にまみれている。政権は巧みに国民感情を慰撫して「大衆性」を強調し、問題の責任を「アメリカ」という国外の存在に転嫁している。
◎ 国民に参政権がない環境の中、情報の共有だけは急速に進んでいる。情報を共有し得た反イスラエル・反米感情をもつアラブ諸国の大衆は国境を越えてフセイン大統領やビン・ラーディンに「大衆感情の代弁」を求めた。
∴アラブ諸国はイラクの反米・反イスラエル強硬姿勢を「利用」してきた!
導入・着眼点
アラブ社会におけるアメリカ観がどのような形で変容し、それが激しい反米意識まで発展していった過程を探っている。
フセイン政権の「反米」とイラク国民の「反米」のギャップに注目。
イラクを中心としたアラブ諸国における対米感情の変遷を、とりわけ政権の「反米」と大衆の「反米」の落差に注目して論じている。
1 アラブ社会におけるアメリカ観
当初からアメリカはアラブ諸国にとって「敵」ではなかった。むしろソ連と共に、英仏の植民地主義に
対する対抗者としてアラブ地域に影響力を行使できる新たなアクターかも、という期待感さえあった。
’60s“障害”発生 アメリカの対イスラエル支援政策とアラブ・ナショナリスト革命政権に対する忌避姿勢を示す。アメリカは一層鮮明なイスラエル寄りの姿勢を示していく。
◎ Q. なぜか?
A. ’50年代後半のアラブ諸国における民族主義共和制政権をアメリカが嫌ったから。
かつ、冷戦期だったため同政権の影響力拡大を阻止しようとしたから。
◎ 当時の共和制政権は圧倒的な大衆の支持をもとに成立していた。(ex.エジプト・ナセル政権)
∴ 政権の「反米」と国民の「反米」が一...