ベトナムが共産主義の手に落ちれば世界中が雪崩式に共産主義に支配されるのではないか、という危惧感を抱いたアメリカが1960年代初頭から軍事介入を強めた事により起こる。表面的には、南ベトナムと北ベトナム間の武力闘争だったが、実質的には、南ベトナムを支援するアメリカと北ベトナムを支援するソ連および中国の代理戦争だった。
トンキン湾での北側による攻撃(トンキン湾事件)を契機に爆撃。その報復に、解放軍が米軍を攻撃した。63年に起こったケネディー暗殺の翌年の事件であり、その頃を堺にジョンソンが全権を得るが、トンキン湾事件は情報操作による架空の事件だったという見方もあり、真偽の程は不明。ジョンソンは北ベトナムへの支援を断つ為と称し、北部へ大規模な爆撃により戦争は拡大され、泥沼化してゆく。北爆は軍事施設以外の民間部にも及び、アメリカ国民の疑問が膨れ上がった。67年にはニューヨークの反戦運動に黒人が加わり、米国内はもちろん、社会主義国内では国家レベルで、西ヨーロッパ・日本でも民間運動として、様々の立場から激しく展開された。この結果、アメリカは国際的に国際的に孤立した。
翌年68年のテト攻勢で米大使館を爆撃した。ジョンソン政権への不信が高まり失脚。ニクソンの出馬となる。ニクソンは法と秩序の回復を目指し、どのように米兵を撤退させるかに頭を悩ませるが、結局は「名誉ある平和を勝ち取るまで戦争はやめない」という結論に。ニクソンの方針によりアメリカは分裂する。73年、ベトナム平和協定を締結させ、米軍を撤退が実現するが、ウォーターゲート事件により辞任に追い込まれる。
その後も南北の戦闘は続いたが、1975年4月30日に、アメリカの援助していた南ベトナム側(サイゴン政府)が無条件降伏する事により終結。翌年、南北が統一された。
ベトナム戦争(1965年‐1975年)
第2次インドシナ戦争の通称。対フランスの第一次インドシナ戦争後に、ベトナム独立と南北統一をめぐって戦われた戦争。
<概容>
ベトナムが共産主義の手に落ちれば世界中が雪崩式に共産主義に支配されるのではないか、という危惧感を抱いたアメリカが1960年代初頭から軍事介入を強めた事により起こる。表面的には、南ベトナムと北ベトナム間の武力闘争だったが、実質的には、南ベトナムを支援するアメリカと北ベトナムを支援するソ連および中国の代理戦争だった。
<経過>
トンキン湾での北側による攻撃(トンキン湾事件)を契機に爆撃。その報復に、解放軍が米軍を攻撃した。63年に起こったケネディー暗殺の翌年の事件であり、その頃を堺にジョンソンが全権を得るが、トンキン湾事件は情報操作による架空の事件だったという見方もあり、真偽の程は不明。ジョンソンは北ベトナムへの支援を断つ為と称し、北部へ大規模な爆撃により戦争は拡大され、泥沼化してゆく。北爆は軍事施設以外の民間部にも及び、アメリカ国民の疑問が膨れ上がった。67年にはニューヨークの反戦運動に黒人が加わり、米国内はもちろん、社会主義...