近年、わが国でも広義の「安楽死」に対する是非が議論を呼んでいる。これは、医療技術の目覚しい発展によって、一命を取り止められることが可能\となったが、治る見込みのない末期ガンや進行性難病などで余命数ヶ月と言われ、病院のベッド上から外出も出来ないほど衰弱し、毎日激しい身体的精神的苦痛に耐えながら死を待たなければならない者、あるいは植物人間状態や脳死となっても生命維持装置によって生かし続けることが可能\となったためである。しかし、そこには本人のみならず、家族にも精神的かつ金銭的に大きな負担を伴うことから、医師に「安楽死」を依頼する場合が増えてきたのである。
私が患者やその家族の立場ならば、一定条件の内容を満たしている場合に限って「安楽死」には賛成である。なぜなら、治療法はなく余命が極わずかとなった場合、痛くて苦しければ鎮痛剤を使い、自ら積極的に命を絶つのではなく自然な形で亡くなりたいと思っているからである。また、人の命を救う立場の医師であったならば、設題のエイズ患者に対して職業倫理と照らし合わし、地位や名誉など引き換えてでも承諾して実施することは現在できない。なぜなら、日本国内で発生している医師による安楽死事件裁判のほとんどが、患者やその家族から再三の要請に根負けして行なった医師による「安楽死」であり、自殺幇助罪として有罪判決となっているからである。このことを踏まえつつ「安楽死」について様々な角度から検証し論じたいと思う。
まず始めに、広義の「安楽死」とは何かということを考えてみることにする。定義化をするならば、「苦痛を訴え、あるいは人間の尊厳性を求める不治の末期患者の要請に応じ、医師その他の他人が、積極的あるいは消極的手段で患者を死に至らしめること」といえるであろう。
「エイズ患者が1人いて死にかけている。病状は進んでいて治療薬はなく、毎日堪えられないほど苦しんでいる。患者は医者に安楽死を要請する。仮にこのような業況が生じ、あなたが担当の医者であるとすれば、その患者の要請にどのように応えるかを論じなさい。
近年、わが国でも広義の「安楽死」に対する是非が議論を呼んでいる。これは、医療技術の目覚しい発展によって、一命を取り止められることが可能となったが、治る見込みのない末期ガンや進行性難病などで余命数ヶ月と言われ、病院のベッド上から外出も出来ないほど衰弱し、毎日激しい身体的精神的苦痛に耐えながら死を待たなければならない者、あるいは植物人間状態や脳死となっても生命維持装置によって生かし続けることが可能となったためである。しかし、そこには本人のみならず、家族にも精神的かつ金銭的に大きな負担を伴うことから、医師に「安楽死」を依頼する場合が増えてきたのである。
私が患者やその家族の立場ならば、一定条件の内容を満たしている場合に限って「安楽死」には賛成である。なぜなら、治療法はなく余命が極わずかとなった場合、痛くて苦しければ鎮痛剤を使い、自ら積極的に命を絶つのでは...