この物語は、ひとくくりにしてしまえば、絶対的な男性に抵抗した女性に焦点を当てた、社会的な物語といえる。似たような構図は現代にもあるだろう。しかしアンティゴネーは孤立していて、同じ女性である妹のイスメーネーでさえ、彼女を理解することはできない。まして、男性的価値観を持つ人物の典型といえるクレオンにとっては、アンティゴネーは理解不可能な存在であった。この物語の作者ソポクレースの時代はいわゆる黄金時代だったが、ペロポネソス戦争の真っ最中で、意志の遂行と共に卑劣な策略も必要とされていた。アンティゴネーと為政者クレオンの対立は、確信と懐疑の入り混じる、当時の社会を反映していたのかもしれない。アンティゴネーは自分の行為の意味を十分すぎるほど自覚していて、初めから死刑を覚悟している。それでいて彼女は、自己の信念を貫き通して国家に挑んだ。そんな強い姿勢に人々は魅力を感じ、深い感銘を受けるのではないだろうか。
アンティゴネーとクレオン
アンティゴネーはテーバイの先王オイディプスの娘(妹とも言える)であり、クレオンはオイディプスの妻(母)の弟で、2人は叔父と姪の関係に当たる。私はこの物語において、両者がまったく対照的な存在として表現されていることに興味を覚え、2人を比較してみることにした。
事の発端は、彼女らの兄ポリュネイケスとエテオクレスの対立だった。先王オイディプスの死後、兄弟は1年交代で王位につくことになっていたが、エテオクレスがその約束を破って王位を独占したため、怒ったポリュネイケスが母国に弓を引く形で弟を攻めたのだ。結局2人は刺し違えて死ぬことになる。私からすればどう考えてもエテオクレスが悪いような気がするが、新たに王となったクレオンは、祖国の敵としてポリュネイケスの埋葬を禁じる。それに抵抗したのが兄弟の妹、アンティゴネーだった。
クレオンはこの布告を行うことによって、国家という共同体の意味づけをしようとしていたのかもしれない。「誰をおとしめ、誰を称えるか」を定めることによって、必然的に共同体の範囲も定まるからだ。クレオンの布告によって定められた「共同体」を人々が受け入れ、それを...