最近の具体的な事例では、2004年6月に佐世保市で起きた小六女児同級生殺害事件がこれに深く関係していると私は考えている。同級生を殺害した女児はインターネットのできる環境にあり、自身のホームページまで持っていたという。そしてそのホームページのリンクサイトの一つには、事件に関連するものもあったようだ。そのサイトでは、登場人物の男子生徒が後ろから何者かに襲われ死亡する物語が掲載されている(私自身も見たので、この事実に間違いはない)。このシーンはカッターナイフで同級生の頸(けい)動脈を背後から切り付けた女児の手口と似ているため、女児が参考にした可能性も十分ある。それだけではない。「ホームページに面白くないことを書き込まれたので、(教室から現場の学習ルームへ)連れ出した。殺すつもりだった。」などと供述していることから、“普段言えないことも、インターネットの掲示板なら簡単に言えてしまう”という掲示板の特性が事件を惹起したといっても言い過ぎではない。それだけ、この事件には女児の持つインターネット環境が関与していると思われるのである。
小説「バトル・ロワイアル」に影響を受けたとみられる自作小説ノートも女児のランドセルから見つかっており、県教委は「残虐的な内容の多い映画や小説に影響を受けていたことは十分考えられる」としていることから、そのような映画や小説が及ぼす影響も無視できない。しかし、映画・小説そしてインターネットというそれぞれのメディアを比較した場合、映画のネット配信や電子小説の登場に見られるように、今後インターネットというメディアはその他のメディアを斜陽させ、侵食していくだろう。だとしたら、今後ますます児童に与えるインターネットの影響力は増大していく。インターネットの、教育による適切な対策が講じられるべきである。
情報化が教育にあたえる影響
情報技術の飛躍的な進歩によって、社会が急速に変わってきている。マルチメディア、インターネット、デジタル化などの言葉が溢れ、その中身も日々変化している。個人ではその動きを把握することすら困難な状況である。情報化という言葉は随分と前から使われているが、その内容は大きく変化している。最近はマルチメディア、携帯電話など色々な技術が現実のものとなって来て、まさに情報化が新しい段階を迎えているところだ。今後ますますいろいろな技術の革新、夢の実現がなされてゆくと考えられる。
しかしこのような情報技術がもたらすさまざまな恩恵は、同時に数々の害の危険をもたらしているということも知っておかねばなるまい。
個人が情報を得る機会を得るということは、不特定の誰かに個人の情報を得られる機会を提供してしまっている。つまり、個人情報が誰か知らない人間に知られ、運が悪ければそれが悪用されてしまうという危険性を伴うということだ。また、携帯電話などに電子化した財布や家の鍵などといった機能を付けたり、家電も含め家全体をインターネット化し、そのセキュリティー機能などを携帯電話から遠隔操作できるよ...